2009年10月15日木曜日

天皇を訴える?<刑事編>

 例えば誰かとすれ違ったとき、不注意によって相手に怪我を負わせたとしましょう。
 法的には刑事上の問題と民事上の問題が生じるのですが、この場合、刑事的には「過失傷害罪」の問題であり、民事的には「損害賠償」の問題です。
 しかし怪我を負わせた者が天皇であった場合、これをどのように考えればよいのでしょうか。
 刑事上の問題と民事上の問題は性質が異なりますので、別々に分けて考えてみます。
 今回は刑事上の問題について、次回は民事上の問題についてお話します。
 さて、刑事上の問題といっても、「刑事裁判権」と「刑事責任」の2つに分けられます。
 先ずは天皇と刑事裁判権の関係を検討しましょう。
 当たり前といえば当たり前なのですが、そもそも天皇が刑罰を受けた裁判例などありません。
 また直接的な条文規定もないのですが、あえて言えば皇室典範第21条に求めることができると考えられています。

【皇室典範第21条】
摂政は、その在任中、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。

 「訴追」という言葉ですが、これは刑事訴訟で使われるものであり、民事訴訟で使われることはあまりありません。
 さて、条文から明らかなように、摂政ですら在任中は訴追されないわけですから、天皇なら勿論訴追されないと解釈できるのです。
 これを法学では「勿論解釈」といい、立派な法学用語であります。
 逆に、天皇と摂政は違うのだから、天皇は訴追されると解釈することは、理屈の上では可能です。
 これを法学では「反対解釈」というのですが、殆んど支持されていない解釈であります。
 但し、在任中は訴追出来ないだけであり、在任中でなければ訴追は可能です。
 とはいっても、皇位継承の要件は天皇崩御ですから(皇室典範第4条)、天皇の生存中は訴追されることがないのです。
 なお、訴追という用語に明確な定義がなく、天皇の訴追に関していえば、逮捕、勾留も通説では訴追に含まれます。
 しかし訴追の権利は害されないわけですから、これを素直に解釈すれば、天皇の崩御後なら犯罪の疑いのある行為や事実を捜査することは出来るわけです
 ただし、被疑者「崩御」として検察官送致が出来るまでで、崩御している以上、不起訴処分とするしかありません。
 従って結論としては、天皇には刑事訴訟権は及ばない、すなわち、検察は天皇を被告人として刑事裁判を起こすことは出来ないのです。

 次に、天皇を刑事責任に問えるか否かを検討してみましょう。
 刑事責任というのは、単純に「刑法上の責任」と考えて差し支えありません。
 さきほどの皇室典範第21条を文字通りに解釈した限りでは、たとえ天皇であっても犯罪行為、犯罪事実そのものを払拭することは出来ないものであります。
 その意味においては天皇も刑事責任を有しています。
 これは、刑法第1条にその根拠を求めることが出来るのです。

【刑法第1条第1項】
この法律は、日本国内において罪を犯したすべての者に適用する。

 すべての者とあるから、天皇も1個人であるだけなら天皇にも適用されて然るべきでしょう。
 しかし、天皇の場合、そう単純な話ではないのです。
 なぜならこれは、今回及び次回の話の中心となる日本国憲法第1条の規定があるからです。

【日本国憲法第1条】
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 すなわち、天皇は単なる個人だけでなく、「日本国の象徴」であり、「日本国民統合の象徴」でもあるからです。
 これは天皇の三面性といわれる極めて特殊な存在であり、天皇は特別格段の地位にあるのです。
 この3つの立場を時々に応じて切って切り離すことが出来るなら、上記の「すべての者」の適用を当然に受けることとなります。
 しかし、この3つの立場はいつ如何なる場合においても切り離すことは不可能と考えるのが自然であり、法学でも争いはありません。
 従って、「個人としての天皇も刑法の適用を受けるが、同時に象徴という特別格段の地位を有しているが故に刑法上のすべての者に該当しない」ということです。
 ややこしい言い回しに聞こえるかもしれませんが、要するに俗な言い方をすれば、「人は犯罪人になっても、日の丸は犯罪人にならない」ということです。
 結局のところ、刑事裁判権についても天皇の象徴性が前提となっているのです。
 もっとも、象徴を法的に定義することは簡単ではないのですが、世界に誇るべき永い歴史、伝統、文化を有する「日本国」と、日本固有の精神を有する「総ての日本人」とを統合する「天皇の地位の尊厳性重大性」から、「天皇が罪を犯す」ことなど想定していないのです。
 
 以上より結論としては、「天皇には刑事責任はなく、天皇に対し刑事訴訟を起こせない」のです。
 ただし、刑事訴訟と刑法は本来的には別物であり、天皇に刑事訴訟権が及ばないこと「のみ」をもって直ちに刑事責任が排除されるものではないことに注意して頂ければと思います。
 次回は民事上の問題についてです。

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