<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602</id><updated>2012-02-17T10:42:59.658+09:00</updated><title type='text'>国民に伝えたい日本国憲法義解</title><subtitle type='html'></subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>79</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-7371958433434490871</id><published>2010-12-26T18:12:00.004+09:00</published><updated>2010-12-26T21:18:58.282+09:00</updated><title type='text'>議員の不逮捕特権</title><content type='html'>　国会議員の汚職等の犯罪疑惑がマスコミ等で話題となるとき、必ず出てくる話の１つが「議員が逮捕されない権利」です。&lt;br /&gt;　これは日本国憲法に次のように明記されているからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第５０条】&lt;br /&gt;両議院の議員は、&lt;strong&gt;法律の定める場合を除いては&lt;/strong&gt;、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　一般的には、議員の不逮捕特権というのは「行政府や司法府からの不当な干渉を排除するためのもの」と説明されています。&lt;br /&gt;　勿論これは間違った説明でも何でもありません。&lt;br /&gt;　しかし、行政府や司法府の公務員、とりわけ行政官僚も権力からの不当な干渉を受けることが有り得る立場という意味においては国会議員と違いはありません。&lt;br /&gt;　従って、国会議員「だけ」が不逮捕特権を有することに対する説明としては不十分と言えるでしょう。&lt;br /&gt;　これは、実はヨーロッパの歴史的な議会制度に由来する特権なのです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　古代ローマ帝国が衰退し、中世の時代に差し掛かったころは封建領主らが群雄割拠し、貴族勢力が百分千裂するような極めて統治状態が不安定でした。&lt;br /&gt;　そこで、有力貴族らの中から誰か代表者をたてることによって統治の安定化を図ろうとしました。&lt;br /&gt;　その代表者が「中世の王」なのです。&lt;br /&gt;　当時の王といっても有力貴族間の調整役に過ぎない立場であり、王と貴族らで様々な政策を議論する場として「中世の議会」が誕生しました。&lt;br /&gt;　西欧における中世の議会は、例えばフランスでは三部会、オランダではスターテン・ヘネラール、スペインではコルテスなどなど国によって呼び名はまちまちですが、課税に関する議題が中心だったことは共通していました。&lt;br /&gt;　その議会の中から&lt;strong&gt;王が課税するには必ず議会の同意を要す&lt;/strong&gt;（租税法律主義）というルールが確立されていくのですが、課税に限らず「議会の決議（法）は王も拘束する」というルールも確立されるようになりました。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「王は人の上に在り、法の下に在り」&lt;/strong&gt;というのは中世の諺の１つです。&lt;br /&gt;　しかし、王といっても明君もいれば暗君もいます。&lt;br /&gt;　とりわけ財政難に陥ったときは明君が暗君に豹変することもあり、王と議会の対立が激化した際、時には王の気に添わない反対貴族議員らを王が&lt;strong&gt;「政治犯」&lt;/strong&gt;として逮捕の上、議会から排除したこともあったのです。&lt;br /&gt;　このような王による違法逮捕のたびに、特権階級らが王と「戦って」逮捕されない自由を暗君に再確認させたのです。&lt;br /&gt;　なお、王の行為が違法か否かは最終的には自由民裁判によって決められたのですが、これは例えばイングランドでは議会内で裁判が行われていました。&lt;br /&gt;　だからイギリスでは貴族院の中に最高裁判所があるのです。&lt;br /&gt;　ただし２００９年、三権分立の明確性という観点から、長い歴史を経てようやく最高裁判所は貴族院から独立しました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以上より、不当な逮捕は絶対に許されないことは明らかなのですが、一番重要な問題は、如何なる条件なら逮捕・刑罰が合法とされるかであります。&lt;br /&gt;　このことを検討するにあたり、逮捕・刑罰の要件についての条文を紹介します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第３１条】&lt;br /&gt;何人も、&lt;strong&gt;法律の定める手続によらなければ、&lt;/strong&gt;その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　何人もとあるから直接的には人権を規定した条文ではあります。&lt;br /&gt;　しかし、これは１３世紀の初めにイングランドで制定された大憲章（マグナ・カルタ）所縁の非常に長い歴史的意義のある条文なのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【大憲章第３９条】&lt;br /&gt;いかなる自由民も、&lt;strong&gt;その同輩の合法的裁判によるか、または国土の法によるのでなければ&lt;/strong&gt;、逮捕、監禁、差押え、法外放置、もしくは追放され、またはなんらかの方法によって侵害されることはない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　つまり、本来は一部の自由民（特権階級）の自由を保障した規定であって、現代の国民の自由を保障した規定ではありませんでした。&lt;br /&gt;　それが封建制の崩壊・貴族の没落に伴い特権を享受する者が拡大され、ついには国民全般にもこの特権が享受されるに至りました。&lt;br /&gt;　この歴史的特権が現在の人権なのです。&lt;br /&gt;　議会が定める法の手続保障というのは、自由と犯罪を厳格化する上で非常に重要な保障です。&lt;br /&gt;　法の手続保障がなければ、権力者は自由を犯罪に変えることなど簡単に出来ることなのです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　言うまでもなく、法の手続保障が「ある」からといって直ちに自由が獲得できたと考えるのは稚拙であります。&lt;br /&gt;　これは拙ｈｐで何度も繰り返していることですが、自由や権利などは&lt;strong&gt;「与えられたもの」&lt;/strong&gt;などではないからです。&lt;br /&gt;　自由と権利は国民の&lt;strong&gt;「不断の努力によって」&lt;/strong&gt;保持されなければ（日本国憲法第１２条）、適正手続保障という鎖で縛られた権力はいつでも解き放たれてしまうのです。&lt;br /&gt;　これは人類が何度も何度も権力の暴走を許し、無数の犯罪人を生み出してきたことによる歴史的教訓規定でもあるのです。&lt;br /&gt;　不断の努力がなければ必ず権力の暴走を許す失敗を繰り返すのです。&lt;br /&gt;　適正手続保障規定は、自由を犯罪にしない上で最も重要な規定の１つであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、「何人も」は当然国民の代表者たる国会議員も含みます。&lt;br /&gt;　日本国憲法５０条規定の「法律の定める」という規定は、以下のとおり正に&lt;strong&gt;手続的保障を規定したもの&lt;/strong&gt;なのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【国会法第３３条】&lt;br /&gt;各議院の議員は、院外における現行犯罪の場合を除いては、会期中その院の許諾がなければ逮捕されない。&lt;br /&gt;【国会法第３４条】&lt;br /&gt;各議院の議員の逮捕につきその院の許諾を求めるには、内閣は、所轄裁判所又は裁判官が令状を発する前に内閣へ提出した要求書の受理後速かに、その要求書の写を添えて、これを求めなければならない。&lt;br /&gt;【第３４条の２】&lt;br /&gt;内閣は、会期前に逮捕された議員があるときは、会期の始めに、その議員の属する議院の議長に、令状の写を添えてその氏名を通知しなければならない。&lt;br /&gt;第２項　内閣は、会期前に逮捕された議員について、会期中に勾留期間の延長の裁判があつたときは、その議員の属する議院の議長にその旨を通知しなければならない。&lt;br /&gt;【第３４条の３】&lt;br /&gt;議員が、会期前に逮捕された議員の釈放の要求を発議するには、議員二十人以上の連名で、その理由を附した要求書をその院の議長に提出しなければならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここでポイントを少しだけ記しておきますと、&lt;strong&gt;院外での現行犯罪&lt;/strong&gt;の場合は逮捕されることです。&lt;br /&gt;　なお、各議院が逮捕を許諾するにつき、例えば「３日間に限り認める」などと期限付きで逮捕が認められるか否かですが、これは判例上は認められないとされています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　次に参議院の緊急集会中での逮捕についてですが、参議院の緊急集会は天皇の国事行為（日本国憲法第７条第２号）を経ずに内閣が招集するものですから、国会ではなく「集会」と呼びます。&lt;br /&gt;　ただし、参議院の緊急集会中も国会の会期中と同じように扱っております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【国会法第１００条】&lt;br /&gt;参議院の緊急集会中、参議院の議員は、院外における現行犯罪の場合を除いては、参議院の許諾がなければ逮捕されない。&lt;br /&gt;第２項　内閣は、参議院の緊急集会前に逮捕された参議院の議員があるときは、集会の期日の前日までに、参議院議長に、令状の写を添えてその氏名を通知しなければならない。&lt;br /&gt;第３項 　内閣は、参議院の緊急集会前に逮捕された参議院の議員について、緊急集会中に勾留期間の延長の裁判があつたときは、参議院議長にその旨を通知しなければならない。&lt;br /&gt;第４項 　参議院の緊急集会前に逮捕された参議院の議員は、参議院の要求があれば、緊急集会中これを釈放しなければならない。&lt;br /&gt;第５項 　議員が、参議院の緊急集会前に逮捕された議員の釈放の要求を発議するには、議員二十人以上の連名で、その理由を附した要求書を参議院議長に提出しなければならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　因みに、国会の会期中でも議員を起訴することは判例上可能とされています。&lt;br /&gt;　必ずしも逮捕は起訴の要件とされていないからです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　以上より、議員の不逮捕特権というのは、議員が適正手続きの保障を権力者に対して要求し続けてきた議会の歴史的産物だったのです。&lt;br /&gt;　単に国会議員は立場が重いからなど単純な理由で認められた権利ではありません。&lt;br /&gt;　ましてや汚職疑惑を容認する目的のものでは断じてないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、議員には不逮捕特権以外にも特権が認められています。&lt;br /&gt;　これについては拙ｈｐの&lt;a href="http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/07/blog-post_25.html"&gt;「斎藤隆夫～議員の言論自由権～」&lt;/a&gt;をご参照頂ければと思います。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-7371958433434490871?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/7371958433434490871/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/12/blog-post.html#comment-form' title='4 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/7371958433434490871'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/7371958433434490871'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/12/blog-post.html' title='議員の不逮捕特権'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image 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/&gt;古代は践祚は即ち即位であり二つの行いではない。令義解は天皇の即位を践祚と言う。祚は位である。この時より、践祚の日に神器を奉られた。まさしく歴世の宣命にみえる古諺のとおり&lt;strong&gt;「天子の位は一日でも空けてはならない」&lt;/strong&gt;のである。継体天皇が群臣の大伴金村らの迎えを受けた際、皇位に就くことを承諾され、直ちに越後の国から大阪の樟葉宮に向かわれ即位された（注）。それに対し、天智天皇は神器を承てなお皇太子と称えて七年の後に即位の礼を行われた。これは践祚と即位と両方の区別をした最初の出来事である。その後、歴代天皇が践祚の後数年して即位の礼を行われたことがあるが、神器は必ず践祚の時に奉る事は、古代と異なる事はなかった。本条は&lt;strong&gt;「皇位が一日も空位であってはならないこと」&lt;/strong&gt;を示したものであり、また、古代からの慣習たる「神器相承を大義とすること」を本条は明らかにしたものである。継承の大義は践祚の儀文のあるなしを問わないのは、もとより本条の精神である。&lt;br /&gt;　注）原文は次の通り。&lt;br /&gt;　故ニ継体天皇群臣ノ迎フルトコロトナリ未タ帝位ヲ践ミタマハス而シテ史臣既ニ天皇樟葉宮移ト書シタリ【藤原兼実玉海】&lt;br /&gt;　つまり、継体天皇を践祚即即位の原則、空位禁止の原則の例外と解すべきではないということ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　まず、本文のポイントは&lt;strong&gt;「皇位の空位禁止の原則」&lt;/strong&gt;です。&lt;br /&gt;　これは上記の古諺にあるとおり、日本の歴史の中で確認されてきたことを伊藤博文が再確認したものです。&lt;br /&gt;　ただし、例外的に践祚されて何年も経ってから即位された例もあります。&lt;br /&gt;　その１人が天智天皇（第３８代）なのですが、これは白村江の戦いや近江遷都が原因です。&lt;br /&gt;　また、後柏原天皇（第１０４代）は践祚して２２年後に即位されてます。&lt;br /&gt;　次代の後奈良天皇（第１０５代）は践祚して１０年後に即位されているのですが、両者ともに応仁の乱が原因です。&lt;br /&gt;　これらは全て「重大な国乱」が原因だったのであり、何も従前の慣例を改めることを目的としたものではありません。&lt;br /&gt;　従って、伊藤博文は&lt;strong&gt;「例外の原則化を禁じた」&lt;/strong&gt;のです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、本条に限ったことではありませんが、本条の最重要ポイントは一言でいえば&lt;strong&gt;「皇室の近代化」&lt;/strong&gt;であります。&lt;br /&gt;　明治以前　諸藩という国があり士農工商という身分制度があり、国家も国民もが１つではありませんでした。&lt;br /&gt;　このようなバラついた中世的国家体制では近代主権概念をもった欧米列強諸国と肩を並べることができないし、現に幕末期には不平等条約締結という屈辱的な体験をしました。&lt;br /&gt;　だから列強諸国と対等な関係を構築する上で、元首の下で１つの国家の中に国民を１つにまとめること（近代的な国民国家・主権国家の建設）が急務だったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;主権に一瞬たりとも空白が生じてはならない。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　&lt;strong&gt;当然主権者に一瞬たりとも空位が生じてはならない。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　つまり如何に政体が混乱しようとも政乱によって国乱が生じることは断じてあってはならないことなのです。&lt;br /&gt;　そこで伊藤博文は、単に践祚即位だけを伝統主義の大義として今後の皇室（近代的皇室）を運営して本当に大丈夫かどうかを再考しました。&lt;br /&gt;　すると、強固な近代的皇室制度を作る上での重大な弊害的要素を伊藤博文が「発見」したのです。&lt;br /&gt;　それは天皇の&lt;strong&gt;「生前譲位」&lt;/strong&gt;制度です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【第３段落（最終段落）】&lt;br /&gt;再び慎んで思うには、神武天皇より舒明天皇に至るまで三十四世総て譲位された事はなかった。譲位の例は皇極天皇に始まるのは、蓋し、女帝の仮摂より来たものである。なお、継体天皇が安閑天皇に譲位されたのは、同日に崩御されたため、未だに譲位の始としてはいけない。聖武天皇・光仁天皇に至って遂に定例となった。これを世変の一つとする。その後、権臣の脅迫によって両統互立を例とすることがあるに至る。そして南北朝の乱は、ここに原因がある、本条に践祚を以て先帝崩御の後にすぐに行われるものと定めたのは、条大の恒典により&lt;strong&gt;中古以来の譲位の慣例を改めるものである&lt;/strong&gt;。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　古代はとりわけ族制国家的な色合いが強かったせいか皇室内における後継問題が熾烈だったことや、また権威的統治者（天皇）と権力的支配者（中央政府）の分離体制が不十分であったこともあって、時の権力者が頻繁に天皇の後継問題を政治利用していたわけです。&lt;br /&gt;　だから生前譲位、すなわち天皇と上皇による重統治構制度は国体や政体を不安定にするもので、非常に難儀な制度なのです。&lt;br /&gt;　本文に紹介されている聖武天皇（第４５代）から光仁天皇（第４９代）までの時代は律令制度が建設された直後の時代であり、あの有名な弓削道鏡が登場する国の大乱期でした。&lt;br /&gt;　皇室でもない道鏡などは、女帝であった第４６代の孝兼天皇（重祚して称徳天皇・第４８代）と恋仲に陥った挙句の果てには「天皇になりたい」と言い出す始末でした。&lt;br /&gt;　藤原百川にいたっては、政治策略のためなら事もあろうか即位宣命をすり変えてでも「勝手に」白樺王を光仁天皇に奉り立ててしまったのです。&lt;br /&gt;　その後、足利尊氏の時代に皇統が北朝と南朝に大分裂を起こしたことは有名な史実として知られています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　伊藤博文が我が国の歴史を再考した際、このような譲位慣例は問題ありと判断しました。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;だから践祚即位は「天皇の崩御直後に限る」とし、譲位慣例の廃止を断行したのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　皇室典範義解には古事記・日本書紀といった日本神話がたくさん出てきます。&lt;br /&gt;　伊藤博文を日本神話の原理主義者と評価する否かは別として、伊藤博文が皇室の伝統主義に拘束されなかったことは間違いありません。&lt;br /&gt;　つまり伝統といっても&lt;strong&gt;「残すべき伝統」&lt;/strong&gt;と&lt;strong&gt;「残すべきでない伝統」&lt;/strong&gt;があるというのです。&lt;br /&gt;　本条の残すべき伝統というのは「践祚」であり、残すべきでない伝統は「生前譲位」です。&lt;br /&gt;　この点を見極めたからこそ皇室の近代化、日本の近代化を成功に導いたといっても過言ではありません。&lt;br /&gt;　更にはこの伊藤博文の超人的な合理的精神の理解なくして明治憲法の理解なしといっても決して過言ではありません。&lt;br /&gt;　なお、念のために付言しますと、何も譲位そのものが「悪いこと」だとか「間違ったこと」といった意味ではありません。&lt;br /&gt;　あくまでも皇室の近代化においては不要な制度に過ぎないだけのことです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ところで、践祚即位というのは単に日本の良い伝統の重みの大切さだけの話ではありません。&lt;br /&gt;　歴代天皇から脈々と大切に受け継がれた宝物は&lt;strong&gt;「世界でたった１人の天皇」&lt;/strong&gt;が継承できるのです。&lt;br /&gt;　その継承者こそが&lt;strong&gt;日本国「固有の」天皇&lt;/strong&gt;であり、天皇は日本以外の国の元首では絶対にありえません。&lt;br /&gt;　この我が国固有の象徴的意義の重みと奥深さは、憲法学からだけでは決して導くことができないのです。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-5818943661436553407?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/5818943661436553407/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/09/blog-post.html#comment-form' title='6 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/5818943661436553407'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/5818943661436553407'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/09/blog-post.html' title='践祚即位と生前譲位'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>6</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-1065796521780947139</id><published>2010-08-24T12:31:00.001+09:00</published><updated>2010-08-24T12:40:07.504+09:00</updated><title type='text'>静思堂行きを逃した夏</title><content type='html'>　それにしても猛暑が続いています。&lt;br /&gt;　京都では８月１日から２３日までの間、３５℃を超えた日が何と１３日もありました。&lt;br /&gt;　さて、私は今月、かねてよりの念願だった兵庫県の&lt;strong&gt;出石町（いずしちょう）&lt;/strong&gt;にある&lt;strong&gt;「静思堂」&lt;/strong&gt;を訪れる予定でした。&lt;br /&gt;　出石町は、お蕎麦で有名な町です。&lt;br /&gt;　静思堂といっても御存知ない方が多いかもしれませんが、衆議院議員の&lt;strong&gt;「齋藤隆夫」&lt;/strong&gt;と言えば御存知の方が多いかもしれません。&lt;br /&gt;　静思堂というのは&lt;strong&gt;「齋藤隆夫記念館」&lt;/strong&gt;のことです（注）。&lt;br /&gt;　しかし、私の家から静思堂までJRを使って片道４時間以上もかかり、今月の猛暑に加え、仕事のバタバタで静思堂に行くチャンスを逃してしまいました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　出石町で生まれ育った齋藤隆夫は&lt;strong&gt;「反軍演説・粛軍演説」&lt;/strong&gt;といった帝国議会内での歴史的名演説で有名な代議士であり、「憲政の神様」として知られています。&lt;br /&gt;　また彼は弁護士でもあり、日本国憲法公布時の国務大臣でもあります。&lt;br /&gt;　なお、齋藤隆夫については拙ｈｐにてお話したことがありますので、一読頂ければと思います（&lt;a href="http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/07/blog-post_25.html"&gt;齋藤隆夫～議員の言論自由権～&lt;/a&gt;） 。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　結局今月は静思堂のことをアップすることができず、齋藤隆夫著「帝国憲法論」と伊藤博文著「皇室典範義解」を読み返すくらいがやっとでした。&lt;br /&gt;　とにもかくも私のような極めて暑さに弱い者にとっては辛い夏であります。&lt;br /&gt;　次回は伊藤博文著「皇室典範義解」の践祚即位についてお話します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（注）&lt;br /&gt;・&lt;a href="http://www.izushi-guide.com/contents/kankou/seisidou/index.html"&gt;静思堂&lt;/a&gt;（出石まるごとナビ）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-1065796521780947139?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/1065796521780947139/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/08/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/1065796521780947139'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/1065796521780947139'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/08/blog-post.html' title='静思堂行きを逃した夏'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-6271334856611660602</id><published>2010-07-31T16:36:00.002+09:00</published><updated>2010-08-01T09:17:16.303+09:00</updated><title type='text'>大臣の罷免と天皇の認証</title><content type='html'>　今年の５月下旬、福島瑞穂氏が大臣を罷免されたことについてマスコミ等が大きく取り上げました。&lt;br /&gt;　普天間問題において福島氏が閣内で足並みを揃えなかったことが原因で罷免されたことは記憶に新しいことと思います。&lt;br /&gt;　さて、この大臣を罷免する権限は内閣総理大臣にあるのですが、これは日本国憲法に明記されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第６８条第２項】&lt;br /&gt;内閣総理大臣は、&lt;strong&gt;任意に&lt;/strong&gt;国務大臣を罷免することができる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「任意に」&lt;/strong&gt;と明記されていますから、気に入らない大臣などは簡単にクビに出来るように思えます。&lt;br /&gt;　しかし、現行憲法下での大臣罷免例は極めて少ないのです。&lt;br /&gt;　もちろん、歴代の大臣に優秀な大臣が多かったことが理由ではありません。&lt;br /&gt;　先ず政治的な観点で言えば、総理大臣がヒラ大臣を無暗に罷免すると「首相の任命責任はどうなっておるのか」と野党から批判の的にされることが理由なのでしょう。&lt;br /&gt;　また野党からだけでなく、与党からも批判される場合もあり、政権運営に大きな支障を来たしかねないことも大きな理由です。&lt;br /&gt;　しかし、単なる政治上の問題だけでなく、憲法上の問題も多く含んでいるが故に大臣を簡単に罷免できないのです。。&lt;br /&gt;　なぜなら、大臣を罷免するには総理大臣の意思だけでなく、次の規定があるからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第７条第３号】&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;国務大臣&lt;/strong&gt;及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を&lt;strong&gt;認証&lt;/strong&gt;すること。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　つまり、総理大臣がヒラ大臣を罷免するには&lt;strong&gt;「天皇の認証」&lt;/strong&gt;が必要なのです。&lt;br /&gt;　言い換えれば、天皇の認証&lt;strong&gt;「前」&lt;/strong&gt;なら総理がクビと言おうと何と言おうと&lt;strong&gt;「大臣は現職の大臣」&lt;/strong&gt;なのです。&lt;br /&gt;　ところで私は京都人で東京の地理には明るくないのですが、首相官邸（大臣罷免）から皇居（天皇認証）に到達するまで約２、３０分が所要時間でしょうか。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;実はこの所要時間こそが憲法の欠陥そのものなのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　「大して時間のかかるような話ではない」、「天皇の認証なんてすぐ済むではないか」、「何を大袈裟な」と思うのが普通の感覚でしょう。&lt;br /&gt;　しかし、時間の長短を問わず、この&lt;strong&gt;「時間差の存すること自体」&lt;/strong&gt;が国家危機管理や国益の上で大問題なのです。&lt;br /&gt;　この「時間差の恐怖」というのは簡単に実感できないのが当然なのですが、例えば最近話題になった口蹄疫問題を仮定します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　総理から「お前はクビじゃ」と言われた某農水大臣がカチンときて「個人的宗教観から牛や豚を殺処分することは一切罷りならぬ」なる問題声明を発したとします。&lt;br /&gt;　この「有効声明」に対しては、政府が直ちに憲法解釈論をアレやコレやと振り回して「この大臣声明は無効」とすることで一件落着するのかもしれません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;ただし、天皇の「認証前の」クビ大臣の声明が法的に無効か否かについては、確固とした法的根拠（条文・判例・慣習）などは存在しないのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　これだけでも大概危なっかしい問題なのですが、純粋な国内問題として処理されるだけならまだ手の施しようもあります。&lt;br /&gt;　しかし、外交問題が絡むと取り返しのつかない国益問題・国防問題に発展しかねない重大な問題なのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　例えば、天皇の認証「前」のクビ外務大臣が「パレスチナ自治区内の総ての反イスラエル武装組織を全面支持する」なる声明を米国に発したと仮定します。&lt;br /&gt;　この声明は対外的に有効か否か？&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;【答え】　有効と看做すか無効（又は取消し）と看做すかは米国次第&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　上記のような純粋な国内問題なら政府による修正無効声明で何とかなるでしょう。&lt;br /&gt;　しかし、外国相手の発言はそう単純ではなく、日本政府が「時間差で」米国に声明無効と主張したところで、米国側が国際法的にも国際政治的にも日本政府の主張に拘束されることがないのです。&lt;br /&gt;　そもそも&lt;strong&gt;認証前の大臣は罷免されていない現職大臣&lt;/strong&gt;なのだから&lt;strong&gt;「現職大臣の有効な公式声明」&lt;/strong&gt;と米国側が認識するのは当然のことだからです。&lt;br /&gt;　従って、米国側が「現職の大臣が発言したことではないか」と主張したところで米国側に何ら過失がない以上、相当な釈明や謝罪、いや、場合によっては金員までも日本政府に要求することだって十分あり得るわけなのです。&lt;br /&gt;　相手国にとっても国防の根幹に拘わる国際問題である以上、ただの「発言ミス」で済まされるような甘い話ではないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;どこの国であれ、国民の生命・自由・財産を守り国体を護持する上で、国家に「時間的空白」や「人的空白」を一瞬たりとも許さないのが国家防衛上の大原則です。&lt;br /&gt;　また、国家の時間的空白や人的空白を一瞬たりとも容認するような憲法規定は、これこそ真の意味での違憲なのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　この点に無頓着な国家など「まともな国家」として世界から認められることはありません。&lt;br /&gt;　従って、わずかであれ国家的空白を容認している我が国の憲法規定は「まともな規定」ではないのです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　実は、歴代政府はこの憲法上の欠陥については十分に認識しており、だからこそ政府は憲法上の罷免手続規定の行使を非常に躊躇ってきたのです。&lt;br /&gt;　つまり、憲法が施行されて以来、政府は&lt;strong&gt;「辞表提出（依願免官）は罷免（本免官）と違うから天皇の認証は不要」&lt;/strong&gt;という反対解釈の立場で憲法の欠陥を辛うじて補っているのです。&lt;br /&gt;　従って、ヒラ大臣が辞表を切りまくる形式的依願免官の殆どは、要するに「実質的にクビ」ということだったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　なお、無数の大臣が辞表を提出して「クビ」になったのに対し、上記の憲法手続きによってクビになった大臣は以下の５人だけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;・昭和２２年１１月４日　平野力三（農林大臣）&lt;br /&gt;・昭和２８年３月３日　　広川弘禅（農林大臣）&lt;br /&gt;・昭和６１年９月９日　　藤尾正行（文部大臣）&lt;br /&gt;・平成１７年８月８日　　島村宜伸（農水大臣）&lt;br /&gt;・平成２２年５月２８日　福島瑞穂（少子化担当大臣）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　幸いこの５人は憲法の欠陥たる「空白規定」を濫用することなくクビになったのですが、だからといって６人目のクビ大臣が空白規定を濫用しない法的保証はありません。&lt;br /&gt;　やはり欠陥憲法下での憲法解釈で危機を凌ぐのではなく、法律の整備や憲法の改正によって欠陥憲法の濫用を防止することが大切だと思います。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-6271334856611660602?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/6271334856611660602/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/07/blog-post_31.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/6271334856611660602'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/6271334856611660602'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/07/blog-post_31.html' title='大臣の罷免と天皇の認証'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-5947402762133696606</id><published>2010-07-18T18:34:00.002+09:00</published><updated>2010-07-18T19:52:52.557+09:00</updated><title type='text'>憲法とねじれ国会</title><content type='html'>　参議院議員選挙が終わりました。&lt;br /&gt;　政権与党の獲得議席が過半数を割り、政権運営が困難となりました。&lt;br /&gt;　いわゆる&lt;strong&gt;「ねじれ国会」&lt;/strong&gt;という現象が生じたのですが、予算案の可決や条約の承認、内閣総理大臣の指名といった話ではこのねじれ現象が特段問題視されることはありません。&lt;br /&gt;　しかし法律を制定する際、このねじれ現象が何かと問題になるのです。&lt;br /&gt;　なぜなら、日本国憲法には次のような規定があるからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第５９条】&lt;br /&gt;法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。&lt;br /&gt;２ 衆議院で可決し、&lt;strong&gt;参議院でこれと異なつた議決をした法律案&lt;/strong&gt;は、衆議院で出席議員の&lt;strong&gt;三分の二以上&lt;/strong&gt;の多数で再び可決したときは、法律となる。&lt;br /&gt;３ 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　衆議院も参議院も、政権与党に過半数の議席を有していれば法案は可決されます。&lt;br /&gt;　しかし、いったん参議院で与党の議席が過半数を割ってしまうと、衆議院で３分の２以上の議席がなければ法律が作れないのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;逆に言えば、参議院で野党が過半数の議席を獲得すれば、あとは衆議院で３分の１以上の議席数で簡単に廃案に追い込めるのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　この条文について憲法学の一般的な教科書では「衆議院の優越性」と紹介されているのですが、これだけ衆議院の与党に高いハードルを設定しながら果たして「衆議院が参議院に優越してる」と言えるのでしょうか。&lt;br /&gt;　実はこの条文が制定された際、GHQが次の条文を礎にして作ったことが憲法制定過程の優れた研究によって明らかになっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【合衆国憲法第１条第７節第２号】&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;下院および上院&lt;/strong&gt;を通過したすべての法案は、法律となるに先立ち、&lt;strong&gt;合衆国大統領&lt;/strong&gt;に送付されなければならない。&lt;strong&gt;大統領&lt;/strong&gt;が承認する時はこれに署名し、承認しない時には拒否理由を添えて、これを発議した&lt;strong&gt;議院&lt;/strong&gt;に還付する。その&lt;strong&gt;議院&lt;/strong&gt;は、その拒否理由の全部を議事録に記載し、法案を再審議する。再審議の結果、その&lt;strong&gt;議院の三分の二&lt;/strong&gt;がその法案の通過に同意した場合は、法案は&lt;strong&gt;大統領&lt;/strong&gt;の拒否理由と共に他の&lt;strong&gt;議院&lt;/strong&gt;に送付され、他の&lt;strong&gt;議院&lt;/strong&gt;でも同様に再審議を行う。そして再び&lt;strong&gt;三分の二&lt;/strong&gt;をもって可決された場合には、その法案は法律となる。&lt;br /&gt;すべてこれらの場合に、両議院における表決は、賛否の表明によってなされ、法案の賛成投票者および反対投票者の氏名は、各議院の議事録に記載されるものとする。もし法案が大統領に送付されてから十日以内(日曜日を除く)に還付されない時は、その法案は大統領が署名した場合と同様に法律となる。ただし、連邦議会の休会により、法案を還付することができない場合は法律とはならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　長い条文ですが、&lt;strong&gt;「下院・上院・議院」を「衆議院」&lt;/strong&gt;に、&lt;strong&gt;「大統領」を「参議院」&lt;/strong&gt;と読み替えると、ほぼピッタリ上記の日本国憲法第５９条の内容と合致するのです。&lt;br /&gt;　確かにアメリカのような統治システムでは大統領にこのような広汎な法案拒否権を与えることに意味があります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;しかし、「議会・大統領の関係」と「衆議院・参議院の関係」は全く性質が異なったものであります。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　GHQが一体いかなる意図をもってアメリカ議会と大統領の関係をそのまま衆議院（下院）と参議院（上院）の関係に置き換えたのか。&lt;br /&gt;　これについては未だに明らかではありませんが、そもそもGHQは当初、単に貴族院を廃止して一院制を主張していました。&lt;br /&gt;　これに対し、松本烝治国務大臣らをはじめ、日本政府側は二院制を主張しました。&lt;br /&gt;　どちらの制度を採用するかをめぐってGHQ側と日本政府側の間で様々な政治的駆け引きがあったのですが、紆余曲折の末、GHQの「政治主導」によって現在の条文が出来たのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;このように、参議院に与えられている法案議決権というのは、アメリカ大統領の法案拒否権が手本になっているのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　つまり、条文そのものが&lt;strong&gt;「ねじれ規定」&lt;/strong&gt;であり、実質的には&lt;strong&gt;参議院の優越性&lt;/strong&gt;と言わざるを得ない可笑しな規定なのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、今回のように与党が過半数を割ってしまうと忽ち他党と連立を組むのに四苦八苦し、法律の制定が困難になります。&lt;br /&gt;　例えば話題の消費税増税問題。&lt;br /&gt;　この問題は大変で、税に関しては日本国憲法に次の規定があるからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第８４条】&lt;br /&gt;あらたに租税を課し、又は&lt;strong&gt;現行の租税を変更&lt;/strong&gt;するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　現在の与党の議席数では消費税増税の法案を通すことは極めて難しい状況です。&lt;br /&gt;　そこで仕方なく現政権が「超党派で協議して云々」と言ってるのは、上記の第５９条第３項所定の両議院協議会規定のことを指しているのです。&lt;br /&gt;　換言すれば、この規定をフルに活用するくらいしか方法がなく、財政再建の上でも「ねじれ規定」の弊害は少なくないのです。&lt;br /&gt;　だから、民主党だけが悪者にされたくないといった意味だけで現政権が超党派協議を持ちかけているのではないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　選挙が終わり、報道機関等は今回の「ねじれ現象」ばかりを積極的に取り上げています。&lt;br /&gt;　中には「ねじれ国会によって与野党間で十分な協議が出来るからそれなりのメリットもあるではないか」などといった呑気な主張を見受けます。&lt;br /&gt;　しかし、国民の代表者たる国会議員が議院内で十分な協議をすることなどは議会制民主主義では当然のことで、ねじれ国会とは何の関係もなく、全くナンセンスな主張であります。&lt;br /&gt;　結局は&lt;strong&gt;憲法改正&lt;/strong&gt;にまで踏み込んだ議論をしなければ、この「ねじれ問題」はいつまでも解決しないのです。&lt;br /&gt;　凡そ二院制を採用し、民主主義を標榜している国家の中で、このような珍規定を憲法に明記している国は、私の知る限り日本くらいしかありません。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-5947402762133696606?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/5947402762133696606/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/07/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/5947402762133696606'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/5947402762133696606'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/07/blog-post.html' title='憲法とねじれ国会'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-2397318272442368435</id><published>2010-06-30T12:38:00.004+09:00</published><updated>2010-06-30T14:41:16.818+09:00</updated><title type='text'>憲法と参議院の開設</title><content type='html'>　今回は日本で参議院が誕生したときの参議院議員の任期についてのお話です。&lt;br /&gt;　まず、参議院議員の任期については憲法では次のように定められています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第４６条】&lt;br /&gt;参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　明治憲法下では参議院は存在しなかったわけですから、現行憲法の施行によって参議院が誕生したことは言うまでもありません。&lt;br /&gt;　しかし参議院開設の際、「どのようにして」半数を改選するかを予め決めておかなければいつまでたっても参議院が機能しなかったのです。&lt;br /&gt;　そこで憲法では次のような条文を設けたのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第１０２条】&lt;br /&gt;この憲法による第一期の参議院議員のうち、その&lt;strong&gt;半数の者&lt;/strong&gt;の任期は、これを&lt;strong&gt;三年&lt;/strong&gt;とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このように、第一期参議院議員の半数の任期を&lt;strong&gt;「例外的に３年」&lt;/strong&gt;とすることによって第４６条を機能させたのです。&lt;br /&gt;　では、「どのようにして」半数の者が決められたのかを見てみます。&lt;br /&gt;　第１回参議院議員選挙の投票日は１９４７年４月２０日です。&lt;br /&gt;　この選挙に際し、議員定数は&lt;strong&gt;２５０人&lt;/strong&gt;、そのうち地方区の定数は&lt;strong&gt;１５０人&lt;/strong&gt;、全国区の定数は&lt;strong&gt;１００人&lt;/strong&gt;と定められました。&lt;br /&gt;　内訳は次の通りです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;・地方区（都道府県）　　１５０人&lt;br /&gt;　２人区（２５県）　　　　 上位１人・下位１人&lt;br /&gt;　４人区（１府１４県）　 上位２人・下位２人&lt;br /&gt;　６人区（１府３県）　 　 上位３人・下位３人&lt;br /&gt;　８人区（１都１道）　　 上位４人・下位４人&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;・全国区１００人　　　　上位５０人・下位５０人&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　上位、下位というのは当選者の順位のことです。&lt;br /&gt;　このように、定数２５０に対して上位当選者１２５人、下位当選者１２５人が決めらました。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;そしてこの下位当選者１２５人の任期が３年とされたのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　下位当選者は３年後の第２回参議院議員選挙、上位当選者は６年後の第３回参議院議員選挙によってそれぞれ半数が改選されたのです。&lt;br /&gt;　例えば第１回参議院議員選挙の京都選挙区を見てみますと、京都選挙区の定数は４人でした。&lt;br /&gt;　結果は次の通りです（注）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;京都選挙区（立候補者数９人）&lt;br /&gt;１位：１３７０１３票。　波田野林一&lt;br /&gt;２位：　８５７３２票。　蟹江邦彦&lt;br /&gt;３位：　５５４６３票。　大野木秀次郎&lt;br /&gt;４位：　５２８５３票。　奥主一郎&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この結果から、大野木氏と奥主氏の下位２名の任期が３年とされたのです。&lt;br /&gt;　因みに３年後の第２回参議院議員選挙において大野木氏は再当選されました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、条文中の法律というのは&lt;strong&gt;「参議院議員選挙法」&lt;/strong&gt;のことで、１９４７年２月２４日に施行されました。&lt;br /&gt;　これは細かい話なのですが、法上の原則としては、参議院や参議院議員に関する法律を制定するには１９４７年５月３日の憲法施行後でないといけません。&lt;br /&gt;　しかし、憲法施行後に参議院を呑気に作っていては国家権力に空白が生じ、国家危機管理の根本に拘わる大問題となりかねません。&lt;br /&gt;　そこで、憲法施行前に参議院開設の準備をしようとしたのです。&lt;br /&gt;　このことは日本国憲法第１００条第２項に明記されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第１００条第２項】&lt;br /&gt;この憲法を施行するために必要な法律の制定、&lt;strong&gt;参議院議員の選挙&lt;/strong&gt;及び国会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　前項の期日というのは憲法施行日の１９４７年５月３日のことです。&lt;br /&gt;　さらに万一、憲法施行日に合わせて参議院が開設されなければ、衆議院が国会の権限を行うことで参議院開設及び権能を担保したのです。&lt;br /&gt;　これは日本国憲法第１０１条に明記されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第１０１条】&lt;br /&gt;この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまでの間、&lt;strong&gt;衆議院&lt;/strong&gt;は、国会としての権限を行ふ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;どこの国の憲法であれ、憲法は国家権力の空白を許しません。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　だから国家危機管理の観点からも、参議院の開設は非常に重大な課題であったわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　因みに、「貴族院に代わって参議院が設けられました」といった表現がネットや書籍等で散見されますが、これは不適切な表現です。&lt;br /&gt;　なぜなら、明治憲法下の貴族院と現行憲法下の参議院では議院権能も議員資格もまったく別物だからです。&lt;br /&gt;　また、単に貴族院から参議院に看板をつけかえたわけではないことは、現行憲法制定過程におけるGHQ案と政府案を突き合わせて検討すれば明らかなことです。&lt;br /&gt;　参議院が憲法に明記された過程についてはまた稿を改めてお話する予定です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以上から、今回紹介した日本国憲法第１００条、１０１条、第１０２条などは、歴史的な役割を終えた条文です。&lt;br /&gt;　同時に、参議院開設のために制定された参議院議員選挙法は衆議院議員選挙法などと共に１９５０年、&lt;strong&gt;公職選挙法&lt;/strong&gt;の制定によってその歴史的役割を終えました。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　まもなく参議院議員選挙の投票日です。&lt;br /&gt;　今回はあまりにも多くの小党が乱立しており、これは決して好ましい政状とは言えません。&lt;br /&gt;　それはともかく、参議院の誕生に関して歴史的に重要な役割を担った条文を思い起こしてみるのも、投票する上で決して無駄なことではないと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（注）&lt;a href="http://www.senkyo.janjan.jp/election/1947/99/001803/00001803_8434.html"&gt;ザ・選挙ｈｐより&lt;br /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-2397318272442368435?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/2397318272442368435/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/06/blog-post_30.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/2397318272442368435'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/2397318272442368435'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/06/blog-post_30.html' title='憲法と参議院の開設'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-3546167967103800185</id><published>2010-06-18T09:46:00.001+09:00</published><updated>2010-06-18T09:58:02.863+09:00</updated><title type='text'>物と罪</title><content type='html'>　今回は憲法から少し離れて、ユニークな刑法のお話をします。&lt;br /&gt;　例えば、池を泳いでいる観賞用の鯉を見て、ちょっと悪戯してやろうと思い、池の真横にある川に鯉を逃がしたとしましょう。&lt;br /&gt;　これが何の罪に該当するのかという話です。&lt;br /&gt;　これ実は&lt;strong&gt;「器物損壊罪」&lt;/strong&gt;に該当するのです。&lt;br /&gt;　意外と思われるかもしれないのですが、これは現在でも通用する明治４４年の判例であり、ほとんどの刑法学の本ではこの話を紹介しているのです。&lt;br /&gt;　ではさっそく条文を紹介します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;刑法第２６１条&lt;br /&gt;前三条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　前三条というのは「公私文書、電磁的記録の毀棄・建造物、艦船の損壊」のことです。&lt;br /&gt;　他人の物というのは、簡単に言えば「普通の物」および「動植物」のことを指します。&lt;br /&gt;　物を損壊したり、動植物を傷害（殺害も含む）すると、犯罪になるのです。&lt;br /&gt;　では、鯉を傷つけたり殺したりしていないのに、どうして鯉を逃がすことが器物損壊罪に該当するのでしょうか。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　これは、たとえ損壊や傷害をしてなくても、&lt;strong&gt;「事実上または感情上、本来の目的に供することを不可能にしたときは、損壊・傷害にあたる」&lt;/strong&gt;という明治４２年の判例があるからなのです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　すなわち、鯉を逃がしたことによって鯉を鑑賞すること（本来の目的に供すること）が不可能になったわけです。&lt;br /&gt;　よって、この場合、鯉を逃がす行為は「傷害」に該当するのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;現在でも「魚を殺傷し、器物損壊罪の容疑で」という記事を見かけることと思います。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　なお、飲食器への放尿、小鳥を籠から逃がす行為も器物損壊罪に該当します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　次は、&lt;strong&gt;「電気を盗む」&lt;/strong&gt;とはどういうことかについてお話します。&lt;br /&gt;　盗むというと「財布やカバンを盗む」といったことをイメージするのですが、「電気を盗む」と言われてもピンとこないのが普通の感覚でしょう。&lt;br /&gt;　では、「電気を盗むとはどういうことか」を考えるにあたり、まずは有名な窃盗罪についての条文を紹介しましょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;刑法第２３５条&lt;br /&gt;他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　かつて、&lt;strong&gt;「他人の財物に電気を含むか否か」&lt;/strong&gt;をめぐって大騒ぎとなった事件がありました。&lt;br /&gt;　時は明治３４年。&lt;br /&gt;　ある電気利用者が、電力会社との契約に定められた以上の電力を「勝手に」使ったのですが、これを「利用者が電気を盗んだ」として利用者が訴えられたのです。&lt;br /&gt;　なお、参考のため、当時の条文も紹介しておきましょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;旧刑法第３６６条「人ノ所有物ヲ窃取シタル者ハ窃盗ノ罪ト為シ二月以上四年以下ノ重禁錮ニ処ス」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　旧刑法が制定されたのは明治１３年なのですが、当時は「盗む物」といえば、財布やカバンなどといった「有体物」を指すものであり、電気といった「無体物」を盗むことなど想定もしていなかったのです。&lt;br /&gt;　従って「電気は物か否か」の争いは、当時としては非常に難儀な話だったのです。&lt;br /&gt;　地方裁判所は「電気は物だ」といい、高等裁判所は「電気は物ではない」といい、意見が分かれてしまいました。&lt;br /&gt;　日本中が注目する中、最高裁は明治３６年、&lt;strong&gt;「電気は物である」&lt;/strong&gt;と判決したのですが、簡単に言うと次の通りです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　窃盗罪に言う「物」とは、「人が動かせる物」、「人が移せる物」、「所有者が管理できる物」であり、必ずしも有体物であることを必要としない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　実感しにくいかもしれませんが、このように物を定義することによって、電気も窃盗罪上の物とされたのです。&lt;br /&gt;　この判決を受けて明治４０年、次のような規定が定められました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;刑法第２４５条&lt;br /&gt;この章の罪については、電気は、財物とみなす。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私が初めてこのような条文を見たとき、何故こんな条文があるのかと首を傾げたことがあったのですが、上記のような歴史的経緯があったのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;現在でもよく「コンビニのコンセントを勝手に使って携帯電話を充電し、窃盗罪の容疑で」という記事を見かけると思います。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　鯉の放流といい、電気窃盗といい、ユニークな話であります。&lt;br /&gt;　次回はまた憲法の話に戻ります。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-3546167967103800185?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/3546167967103800185/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/06/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/3546167967103800185'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/3546167967103800185'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/06/blog-post.html' title='物と罪'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-3524196174868289019</id><published>2010-05-24T15:08:00.001+09:00</published><updated>2010-05-24T15:19:51.136+09:00</updated><title type='text'>明治憲法前文義解＜後篇＞</title><content type='html'>　前回は、明治憲法前文の第１節を紹介しました。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;第１節を要約すると、天皇及び天皇の後嗣は「歴代天皇が日本を統治してきた功績を承け」、「立憲愛民主義に基づき」、「明治憲法の規定に従って」日本国家の統治権を行使することを約束したものです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　今回は第２節から最終節を紹介するのですが、結論から言いますと第１節とほぼ同趣旨のものであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【第２節】&lt;br /&gt;国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて之を子孫に伝うる所なり朕及朕が子孫は将来此の憲法の条章に循い之を行うことを愆らざるべし&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これは第１節と重複した内容です。&lt;br /&gt;　すなわち、国家統治権は皇室の世襲に属すること、国家統治権を行使するには憲法の規定に従うことを明記したものであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【第３節】&lt;br /&gt;朕は我が臣民の権利及財産の安全を貴重し及之を保護し此の憲法及法律の範囲内に於て其の享有を完全ならしむべきことを宣言す&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これは第１節の立憲愛民主義の事実を現したものです。&lt;br /&gt;　すなわち、臣民の権利財産を安全に貴重保護することを天皇が約束したものであります。&lt;br /&gt;　しかし公共の福祉のため、必要な範囲で止むを得ず臣民の権利財産を制約せざるを得ない場合があります。&lt;br /&gt;　ただしその場合であっても、必ず憲法及び法律の範囲内でこれを制約しなければならないことを天皇が約束したものです。&lt;br /&gt;　言い換えれば、&lt;strong&gt;「臣民の権利財産は天皇の所有物であっては断じてならない」&lt;/strong&gt;ということであり、本節は近代憲法の要諦である権利保障規定を予定したものであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【第４節】&lt;br /&gt;帝国議会は明治二十三年を以て之を召集し議会開会の時を以て此の憲法をして有効ならしむるの期とすべし&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これは憲法が有効となる時期を定めたものであり、第１節の「明治十四年十月十二日の詔命」、すなわち「国会開設の勅諭」を指したものであります。&lt;br /&gt;　また憲法だけでなく、将来の様々な法律を制定するには臣民の代表者たる議会が開設されなければなりません。。&lt;br /&gt;　本節は、憲法が有効となった以上、今後は&lt;strong&gt;帝国議会の協賛がなければ法律は制定できない&lt;/strong&gt;旨を示したものであります。&lt;br /&gt;　因みにこれは、第１節の「（天皇が）臣民の翼賛に依り与に倶に国家の進運を扶持せむこと」と同趣旨のものでもあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【第５節】&lt;br /&gt;将来若此の憲法の或る条章を改定するの必要なる時宜を見るに至らば朕及朕が継統の子孫は発議の権を執り之を議会に付し議会は此の憲法に定めたる要件に依り之を議決するの外朕が子孫及臣民は敢て之が紛更を試みることを得ざるべし&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これは憲法改正の要件を定めたものであり、前文で最も重要な部分の１つです。&lt;br /&gt;　本節によると、改正の要件は次の５つです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;１．部分的には改訂できるとしても憲法全体を変更してはならない事&lt;br /&gt;２．改正の必要な時期でもないのに改定してはならない事&lt;br /&gt;３．改定案を提出する権限は天皇にある事&lt;br /&gt;４．改定は帝国議会の決議に依る事&lt;br /&gt;５．議会における憲法改定の決議は此憲法に定めた要件に依るべき事&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここで重要なのは、要件３．４．５の部分です。&lt;br /&gt;　確かに憲法改正案の提出権は天皇の特権ではあります（ただし実質的権限は枢密顧問又は内閣）。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;しかし、憲法改正権は天皇「のみ」にあるのではありません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　いかに天皇が憲法を変えたいと言ってもそれだけで改正できるものではなく、臣民の代表者たる帝国議会の議決がなければ改正できるものではないのです。&lt;br /&gt;　このことは繰り返しますが、「臣民の翼賛に依り臣民と共に国家の進運を扶持する」という天皇の立憲愛民主義に基づいた要件なのです。&lt;br /&gt;　つまり、本節は&lt;strong&gt;「憲法は神定ではない」&lt;/strong&gt;ことを明白に示しているのです。&lt;br /&gt;　なお、要件５については第７３条に明記されています。&lt;br /&gt;【第７３条】&lt;br /&gt;将来此の憲法の条項を改正するの必要あるときは勅命を以て議案を帝国議会の議に付すべし&lt;br /&gt;この場合に於いて両議院は各々其の総員三分の二以上出席するに非ざれば議事を開く事を得ず出席議員三分の二以上の多数を得るに非ざれば改正の議決を為すことを得ず&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【最終節】&lt;br /&gt;朕が在廷の大臣は朕が為に此の憲法を施行するの責に任ずべく朕が現在及将来の臣民は此の憲法に対し永遠に従順の義務を負うべし&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国務大臣は強大な国家の行政執行権者である以上、憲法を遵守する責任を有すべきことは言うまでもありません。&lt;br /&gt;　もし、憲法を遵守しない大臣に対して何ら問責も出来ないとしたら、憲法や法律は忽ち空文死文化し、国体護持に重大な悪影響を及ぼすことになりかねません。&lt;br /&gt;　従って、このような大臣の責任を明らかにすることは憲法を適切に運営する上で非常に重要なことであり、伊藤博文が「憲法義解」の中で&lt;strong&gt;「大臣の責任は憲法及び法律の支柱である所」&lt;/strong&gt;と断言しています（第５５条義解）。&lt;br /&gt;　さて問題なのは、違憲行為のあった大臣の責任というものをどのように考えるかです。&lt;br /&gt;　まず、大臣の行為に違憲の疑いがある場合、それを裁断する者は一体誰なのか。&lt;br /&gt;　天皇なのか、議会なのか、裁判所なのか。&lt;br /&gt;　また、ある大臣の行為が違憲行為だったとしたら、一体誰が誰に対してその責任を取るべきか。&lt;br /&gt;　大臣１人が単独で責任を取るべきなのか、または内閣全体が連帯して責任を取るべきなのか。&lt;br /&gt;　また天皇に対してか、議会に対してか、または臣民に対して責任を取るべきか。&lt;br /&gt;　さらに、大臣の責任といっても民事上の責任なのか、刑事上の責任なのか、政務上の責任なのか、またはこれら全てなのか。&lt;br /&gt;　これらの詳細についてはまた稿を改めてお話する予定です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以上、２回にわたり明治憲法の難解な前文を説明してきました。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;前文は条文の前置きだけでなく、皇権の由来や憲法制定の背景、国家の基本像、さらには日本の歴史観などが凝縮された奥深いものなのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　もちろん明治憲法の条文にも難解な条文が少なくありません。&lt;br /&gt;　しかし、前文の趣旨に適合した条文解釈努力を怠らないことが、憲法を義解する上で大切なことだと思います。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-3524196174868289019?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/3524196174868289019/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/05/blog-post_24.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/3524196174868289019'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/3524196174868289019'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/05/blog-post_24.html' title='明治憲法前文義解＜後篇＞'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-1609446290350745541</id><published>2010-05-14T13:37:00.002+09:00</published><updated>2010-05-14T13:46:55.148+09:00</updated><title type='text'>明治憲法前文義解＜前篇＞</title><content type='html'>　明治憲法下における天皇は専制君主だったのか立憲君主だったのか。&lt;br /&gt;　結論から言えば、明治時代に限らず現在でも天皇は立憲君主であり専制君主などではありません。&lt;br /&gt;　これは繰り返しお話したとおり、天皇は憲法によって&lt;strong&gt;「立法権と行政権の行使権が制限されていた」&lt;/strong&gt;のです。&lt;br /&gt;　だから政府の意思決定に対して天皇は&lt;strong&gt;拒否権（veto）&lt;/strong&gt;を発動されないのです。&lt;br /&gt;　一方、明治憲法第１章（天皇）を見れば確かに「天皇ハ…」と書かれている以上、天皇は専制君主であったと解釈するのが自然なのかもしれません。&lt;br /&gt;　しかし天皇は専制君主でありえないことは、実は既に前文に明記されているのです。&lt;br /&gt;　今回は、明治憲法の前文第１節を紹介します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【前文第１節】&lt;br /&gt;朕祖宗の遺烈を承け万世一系の帝位を践み朕が親愛する所の臣民は即ち朕が祖宗の恵撫慈養したまいし所の臣民なるを念い其の康福を増進し其の懿徳良能を発達せしめむことを願い又其の翼賛に依り与に倶に国家の進運を扶持せむことを望み乃ち明治十四年十月十二日の詔命を履践し茲に大憲を制定し朕が率由する所を示し朕が後嗣及臣民及臣民の子孫たる者をして永遠に循行する所を知らしむ&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これは帝権の由来を示したものであり、また憲法制定の理由を示したものであります。&lt;br /&gt;　理由は以下の３点であります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;・朕が親愛する所の臣民は即ち朕が祖宗の恵撫慈養したまいし所の臣民なるを念い&lt;br /&gt;・其の康福を増進し其の懿徳良能を発達せしめむことを願い&lt;br /&gt;・其の翼賛に依り与に倶に国家の進運を扶持せむことを望み&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　確かに天皇が祖宗の遺烈（歴代の天皇が残した偉大な功績）を継承して国家を護持なされるのは天皇の特権ではあります。&lt;br /&gt;　しかし君主の特権といっても以下の２様態があるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;１．君主が自らの自由意思で臣民に命令を発し、唯臣民を服従させることによって国体を護持すること。&lt;br /&gt;２．立憲愛民主義に基いて君主と臣民が協力して国家を維持すること。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　前者は「専制君主」のことであり、後者は「立憲君主」のことであり、天皇が後者の立場を取られたことは上記３点の理由を鑑みれば明らかなことなのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、「明治十四年十月十二日の詔命を履践し」とあります。&lt;br /&gt;　この詔命は&lt;strong&gt;「国会開設の勅諭」&lt;/strong&gt;と言い、明治憲法制定過程における最重要勅諭の１つです。&lt;br /&gt;　また政治的には&lt;strong&gt;「明治十四年の政変」&lt;/strong&gt;として知られています。&lt;br /&gt;　言うまでもなく、国民国家（近代国家）の力の源泉は民意にあります。&lt;br /&gt;　民意を国家権力として発動させる機関、すなわち国会という国家機関がなければ近代憲法は作動しないのです。&lt;br /&gt;　だから憲法制定と合わせて国会を開設することは、近代国家を建設する上で最重要急務だったわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　最後に「大憲を制定し朕が率由する所を示し朕が後嗣及臣民及臣民の子孫たる者をして永遠に循行する所を知らしむ 」とあります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;これは、天皇及び天皇の後嗣は臣民に対し、「立憲愛民精神に基づき」、「明治憲法の規定に従って」日本国家の統治権を行使することを約束したものです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　以上より、明治憲法第１章に規定されている「天皇ハ…」という諸々の条文は、あくまでも前文にある&lt;strong&gt;「天皇の立憲精神に立脚した条文」&lt;/strong&gt;であることを念頭に置かなければ、天皇が如何なる君主なのかが全く理解できなくなるのです。&lt;br /&gt;　つまり天皇に関する条文というのは、普通の言語感覚で解釈できない難解な条文なのです。&lt;br /&gt;　次回は前文第２節から第６節（最終節）までを紹介します。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-1609446290350745541?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/1609446290350745541/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/05/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/1609446290350745541'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/1609446290350745541'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/05/blog-post.html' title='明治憲法前文義解＜前篇＞'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-2331421060409444311</id><published>2010-04-30T13:58:00.002+09:00</published><updated>2010-04-30T20:25:15.728+09:00</updated><title type='text'>国会は国権の最高機関？</title><content type='html'>　今回は、短文ですが解釈の悩ましい条文を紹介します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第４１条】&lt;br /&gt;国会は、国権の&lt;strong&gt;最高&lt;/strong&gt;機関であって、国の唯一の立法機関である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回のお話は、「最高」という言葉を如何に解釈するかであります。&lt;br /&gt;　言うまでもなく、国会は国家権力機関として様々な強大な権限を有しています。&lt;br /&gt;　と同時に、日本国憲法は近代民主主義・近代資本主義に立脚した憲法である以上、三権分立制度を採用しています。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;これは国会、内閣、裁判所の三権が互いに権力を牽制し合い、国家権力の均衡を保持しようとする制度のことです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　たとえば国会を牽制する権限といえば、内閣の衆議院解散権、裁判所の違憲審査権などがあり、これらは憲法に明記されています。&lt;br /&gt;　つまり、三権の間に上下関係や優劣関係を認めないことが三権分立制度の前提なのです。&lt;br /&gt;　従って、国会は国権の最高機関といっても&lt;strong&gt;「単なる政治的美称」&lt;/strong&gt;に過ぎないとするのが通説であります。&lt;br /&gt;　ただこれには反対意見も多く、例えば菅直人財務大臣が反対の主張をされていることで有名です。&lt;br /&gt;　国会が国権の最高機関である理由について、菅直人大臣は著書「大臣（岩波新書）」の中で次のように述べています（ｐ６）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最高機関という意味について、「単なる政治的美称」にすぎないという解釈が大勢のようだが、これは間違いである。なぜ、国会が最高機関なのか。それは、国会は&lt;strong&gt;国民の代表機関&lt;/strong&gt;であり、国民の信託を受けて、行政の長たる&lt;strong&gt;内閣総理大臣を指名する権限&lt;/strong&gt;があるからだ。さらに、憲法六十六条③では「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う。」とあるではないか。&lt;br /&gt;そもそもの誤解は、&lt;strong&gt;国会を単に「立法府」でしかない&lt;/strong&gt;と捉えることにある。そのように捉えるから、行政府、司法府と並列な関係にある、となってしまう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　確かに内閣総理大臣の指名権や内閣の連帯責任は憲法に明記されています。&lt;br /&gt;　しかしこれは&lt;strong&gt;内閣に対するする国会の牽制力&lt;/strong&gt;であって、このことをもって国会が「国権の最高機関」になるのではありません。&lt;br /&gt;　牽制力を有する機関が最高機関なら、衆議院解散権を有する内閣、違憲審査権を有する裁判所も全て「国権の最高機関」になるではないか。&lt;br /&gt;　また、「単に国会を立法府でしか捉えていないから」三権が並立関係にあるのではありません。&lt;br /&gt;　繰り返しますが、&lt;strong&gt;「三権がお互い権力を牽制し合っているから」&lt;/strong&gt;三権が並立関係にあるのです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　では「国権の最高機関」は、果たして大臣が言う「国民の代表機関」を意味するのでしょうか。&lt;br /&gt;　このことを検討する上で、「最高機関」なる文言が条文に盛り込まれた経緯を簡単に追ってみます。&lt;br /&gt;　まず、日本国憲法草案作成に大きな影響力を与えたGHQのケーディス大佐が次のような言葉を残しています（注１）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国会は国家において最高であり、その&lt;strong&gt;モデルは州憲法&lt;/strong&gt;にある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　なんとアメリカの「州憲法」をモデルにして「最高機関」という文言が盛り込まれたというのです。&lt;br /&gt;　この点につき、駒沢大学の西修教授が州憲法にモデルがあるかを調査されました。&lt;br /&gt;　すると、１９２４年に発行された州憲法集から、次の州憲法に「最高」なる文言が確認されたのです（注２）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　・ペンシルバニア州憲法（１７７６年）&lt;br /&gt;　・バーモント州憲法（１７７７年・１７８６年・１７９３年）&lt;br /&gt;　・ニューハンプシャー州憲法（１７８４年）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　なお、これらには行政府にも「最高」と規定されています。&lt;br /&gt;　つまり最高機関というのは、&lt;strong&gt;「連邦に対する州権限の留保」&lt;/strong&gt;という意味なのです。&lt;br /&gt;　問題なのは、ケーディス大佐がなぜ州権限の規定を主権国家の基本法である日本国憲法に持ち込んだかです。&lt;br /&gt;　これについては謎なのですが、「国民の代表者」という意味で最高機関という文言が使われたのではないことだけは明らかです。&lt;br /&gt;　よって、三権分立制度の観点、または日本国憲法制定過程の観点から見ても、最高機関の文言に大きな意味はないと言えるのです。。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　憲法で大切なのは条文の言葉ではありません。&lt;br /&gt;　大切なことは、憲法理念よりも&lt;strong&gt;「現実において」&lt;/strong&gt;憲法が適切に運用されているかどうかであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;注１）西修著「日本国憲法を考える（文春新書）」ｐ130&lt;br /&gt;注２）同ｐ131&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-2331421060409444311?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/2331421060409444311/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/04/blog-post_30.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/2331421060409444311'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/2331421060409444311'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/04/blog-post_30.html' title='国会は国権の最高機関？'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-8624344001094842401</id><published>2010-04-17T11:45:00.003+09:00</published><updated>2010-04-17T12:27:56.161+09:00</updated><title type='text'>止むを得なかった緊急勅令</title><content type='html'>　今回は明治憲法に規定されている「緊急勅令」についてのお話です。&lt;br /&gt;　これも明治憲法では最重要条文の１つです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【明治憲法第８条】&lt;br /&gt;①天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス&lt;br /&gt;②此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘキ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　先ず「天皇ハ」となっていますが、これは天皇陛下の個人的な意思や私的感情で勅令を勝手に発するという意味ではありません。&lt;br /&gt;　このとは以前から繰り返しお話してきたとおり、明治憲法は「議会・内閣の決定権に対する天皇の拒否権発動を禁止」しているからです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;天皇の拒否権発動の禁止は現行憲法も含め、運用における慣習法です。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　さて、勅令を発するには手続き上「内閣の副署」が必要であり、これは内閣官制第４条に明記されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【内閣官制第４条】&lt;br /&gt;凡ソ法律及一般ノ行政ニ係ル勅令ハ内閣総理大臣及主任大臣之ニ副署スヘシ&lt;br /&gt;勅令ノ各省專任ノ行政事務ニ屬スル者ハ主任ノ各省大臣之ニ副署スヘシ&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;つまり実質的な勅令発令権は内閣又は主任の大臣にあるのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　なお、緊急勅令という言葉は学問上の言葉であって、手続き的には普通の勅令と同じです。&lt;br /&gt;　ところで、凡そ近代立憲国家において法律は行政命令（勅令）の上に位置するものであります。&lt;br /&gt;　だから勅令に法律の効力が与えられることも勅令で法律を変更することも出来ません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;たとえ国家危急時、国民兇荒疫病などの災害が発生した時であっても、緊急立法措置や緊急財政措置を講じる責務を負っているのは国民の代表者で組織された議会です。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　しかし、議会が閉会中又は議会を招集することが出来ない場合、議会に代わって内閣が進んで法律に代わる勅令を発し、其の責務を負わざるを得ません。&lt;br /&gt;　従って、国家危急時に内閣が議会の権利を行使する以上、以下の２点の条件がなければ緊急勅令を発することが出来ないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　１．公共の安全を保持し又はその災厄を避けるため緊急の必要がある時。&lt;br /&gt;　２．帝国議会が閉会中の時又は議会を招集することが出来ないとき。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　因みに、緊急財政措置については明治憲法第７０条に明記されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【明治憲法第７０条】&lt;br /&gt;①公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需要アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ&lt;strong&gt;帝国議会ヲ召集スルコト能ハサルトキハ&lt;/strong&gt;勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得&lt;br /&gt;②前項ノ場合ニ於テハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出シ其ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　内閣による緊急勅令というのは、あくまでも議会の権利行使権に対する例外規定であります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;しかし内閣がこの条文を都合良く解釈し、緊急勅令権を濫用し、議会協賛権を侵害する国家的弊害を孕んだ危険な条文でもあります。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　伊藤博文は緊急勅令には並々ならぬ拘りを持っていました。&lt;br /&gt;　内閣の緊急勅令権の行使の仕方次第で国家権力秩序そのものが崩壊する危険性があるからです。&lt;br /&gt;　だから伊藤博文は「憲法義解」においてこの条文に対する様々な問いを想定してまで緊急勅令の義解を示したのです。&lt;br /&gt;　以下は憲法義解で最も有名な部分の１つで、第２項義解が中心となっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;【憲法義解】&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;第一。&lt;/strong&gt;この勅令は法律の欠けている部分を補充する事に止まるのか、又は現行の法律を停止し変更し廃止する事が出来るのか。&lt;br /&gt;　曰く、この勅令は既に憲法により法律に代わる力を持っている時は、おおよそ法律が出来る事が出来るのは、すべてこの勅令の出来る事である。ただし、次の会期において議会がもし承諾しなかったときは、政府はこの勅令の効力が失われる事を&lt;strong&gt;公布&lt;/strong&gt;すると同時に、その廃止又は変更した法律をすべ元の状態に戻さなければならない。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;第二。&lt;/strong&gt;議会において此勅令を承諾するとき、その効力はどのようになるのか。&lt;br /&gt;　曰く、&lt;strong&gt;更に公布しなくても&lt;/strong&gt;、勅令は将来に渡って法律としての効力を継続する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;第三。&lt;/strong&gt;議会において、この勅令の承諾を拒むときは、政府は更に将来効力を失う旨の公布しなければならない義務を負うのは何故か。&lt;br /&gt;　曰く、&lt;strong&gt;公布によって始めて人民が尊由する義務を解く事が出来るからで有る。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;第四。&lt;/strong&gt;議会はどのような理由により、その承諾を拒む事が出来るのか。&lt;br /&gt;　曰く、この勅令が&lt;strong&gt;憲法に矛盾&lt;/strong&gt;し、又は本条に掲げた要件&lt;strong&gt;（緊急かつ議会が閉会中）&lt;/strong&gt;を満たしていない事を発見した時、又はその立法上の意見によって承諾を拒む事が出来る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;第五。&lt;/strong&gt;この勅令を政府がもし次の会期に議会に提出しなかったとき、或いは議会が承諾を拒んだ後、政府が廃止するとの命令を発令しない場合は、どのようになるのか。&lt;br /&gt;　曰く、政府は&lt;strong&gt;憲法違反の責任&lt;/strong&gt;を負う事になる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;第六。&lt;/strong&gt;議会がもし承諾を拒んだときは、以前に遡って勅令の効力の取り消しを求めることが出来るのか。&lt;br /&gt;　曰く、憲法は、既に君主が緊急勅令を発して法律に代える事を許している。その勅令が存在している間は、その効力を有する事は当然で有る。故に議会がこれを承諾しないときは、単に将来法律として継続して効力を持つ事を拒む事が出来るだけであり、そして、&lt;strong&gt;過去に拒否の効力を及ぼす事は出来ない。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;第七。&lt;/strong&gt;議会は、勅令を修正した後承諾する事が出来るのか。&lt;br /&gt;　曰く、本条の正文によれば議会は、これを承諾するか承諾しないかの二つに一つを選ぶ事が出来るだけである。だから、これを修正する事は出来ない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここで重要なのは、一旦勅令が発せられれば、&lt;strong&gt;法律として有効&lt;/strong&gt;となることです。&lt;br /&gt;　そして議会が勅令を承諾すれば公布する必要がなく、承諾を拒んだ時は公布しなければなりません。&lt;br /&gt;　だから第２項には「将来に向かって効力を失うことを公布しなければならない」と規定されているのです。&lt;br /&gt;　なお、将来に向かって効力を失うことを法学では「撤回」といいます。&lt;br /&gt;　これに対し、行為当初（過去）に遡って効力を失うことを「取り消し」といいます。&lt;br /&gt;　撤回と取り消しでは法的効力が異なることに注意が必要です。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;議会が承諾を拒否した緊急勅令は法学上の「撤回」となります。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　さて、この緊急勅令規定はプロシア憲法を模倣したものと考えられています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【プロシア憲法第６３条】&lt;br /&gt;公共の安全を保持するため、又は非常なる災厄を避けるため、緊急の必要がある場合において、&lt;strong&gt;両院を招集することが出来ない場合に限り&lt;/strong&gt;、内閣は連帯責任をもって、&lt;strong&gt;憲法に抵触しない範囲で&lt;/strong&gt;法律の効力を有する勅令を発することが出来る。ただし、次の会期でその承認を求める為にこれを両院に提出しなければならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　プロシア憲法が明治憲法と違うのは、「議会を招集することが出来ない場合に限り」勅令を発することが出来ることです。&lt;br /&gt;　言い換えれば、議会を招集することが出来るのに勅令を発すれば憲法違反となります。&lt;br /&gt;　明治憲法よりも強い勅令発令権の制約規定がプロシア憲法に設けられていたわけです。&lt;br /&gt;　つまりプロシア憲法より強大な行政権を明治憲法は内閣に与えていたのです。&lt;br /&gt;　明治憲法施行当時、このような規定を設けていた西側諸国といえば最早プロシアくらいしかありませんでした。&lt;br /&gt;　当時の西側諸国は既に民主国として成熟しつつあったのです。&lt;br /&gt;　とはいっても、当時の日本国は大急ぎで近代国家を建設していた時であり、日本臣民の立憲意識が未だ未だ未成熟な時です。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;国家緊急時とはいえ、緊急勅令権という強大な権限を行政首相に与えることは立憲政治の初期段階としては「止むを得ない」ことだったのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　伊藤博文は当時の西側民主国家の実情に精通していただけに、このような規定を設けたこと自体が日本国家の非常事態であったと伊藤博文は考えていたのでしょう。&lt;br /&gt;　なお、現在の日本国憲法には緊急勅令の規定はありませんが、参議院の緊急集会が規定されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第５４条】&lt;br /&gt;②衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、&lt;strong&gt;参議院の緊急集会&lt;/strong&gt;を求めることができる。&lt;br /&gt;③前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後１０日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　明治憲法第８条や第７０条よりも民主的な手続規定であります。&lt;br /&gt;　細かいことですが、&lt;strong&gt;内閣に「国会」招集権はありません&lt;/strong&gt;。&lt;br /&gt;　だから&lt;strong&gt;「集会」&lt;/strong&gt;とされているのです。&lt;br /&gt;　また憲法は本質的に慣習法です。&lt;br /&gt;　如何に民主的な文言が憲法に刻まれようとも、それだけをもって国民の立憲意識が成熟し、国民が立憲国民になれるわけではないことは言うまでもありません。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-8624344001094842401?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/8624344001094842401/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/04/blog-post_17.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/8624344001094842401'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/8624344001094842401'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/04/blog-post_17.html' title='止むを得なかった緊急勅令'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-4722983856774094803</id><published>2010-04-03T20:15:00.013+09:00</published><updated>2010-04-03T20:51:14.681+09:00</updated><title type='text'>身近な法律問題</title><content type='html'>　&lt;strong&gt;１．クーリングオフ&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　肌を綺麗にするため、東京都内のあるエステ店とエステ契約をしました。&lt;br /&gt;　ところが契約した翌日、急に京都に転勤しなければならなくなりました。&lt;br /&gt;　いきなり解約というのも何なのですが、解約は出来るでしょうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　答　解約自体は何時でも可能です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　特にエステ契約の場合、「クーリングオフ」なる制度があります。&lt;br /&gt;　これは契約の内容によっては、一定期間なら無条件で解約できる制度のことです。&lt;br /&gt;　エステ契約の場合、契約締結後「８日以内なら」無条件で解約できるのです。&lt;br /&gt;　ただし、８日を過ぎると解約そのものは可能ですが、一定の解約金を求められる可能性はあります。&lt;br /&gt;　なお、８日間の無条件解約ができる契約は、パソコン教室や塾などの契約があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;　２．借用証書がない&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　借用証書を作らず友人に１０万円貸したのですが、約束した返済日を過ぎても返してもらえません。&lt;br /&gt;　お金を返して欲しいと何度か頼んだのですが、「いずれ返すから」と返事するだけでお金を返して貰えません。&lt;br /&gt;　それどころか友人が逆ギレして、「借用証書がない以上は返す必要はない」と言い返してきたのです。&lt;br /&gt;　借用証書がない場合、法的にはお金の貸し借りは無効になるのでしょうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　答　有効です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　単なる個人同士の場合、借用証書の作成は金銭貸借の法的要件などではありません。&lt;br /&gt;　但し、個人法人を問わず、相手が貸金業者の場合は借用証書が必要です。&lt;br /&gt;　さて上記の例では、お金の貸借があった「証拠」の有無が重要なポイントとなります。&lt;br /&gt;　例えば１０万円を友人の銀行口座に振り込んだとか、手紙やメールなどで「いずれ返すから」と返事したとか、金銭貸借があったことを示す何らかの証拠があれば、裁判所が貸借を事実として認めてくれる可能性があるのです。&lt;br /&gt;　従って、借用証書がなくても法的には「有効」なのです。&lt;br /&gt;　借用証書をなかなか書いて貰えない場合は、「約束を守ってくれるのなら借用証書くらい書いてくれてもいいでしょう？」といった感じで取りあえず説得してみたらいかがでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;３．私の子？&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　太郎君が婚姻して３年。&lt;br /&gt;　太郎君の妻（日本人）が待望の赤ちゃんを出産しました。&lt;br /&gt;　ところがその赤ちゃん、なんと黒人だったのです。&lt;br /&gt;　ビックリ仰天した太郎君は怒って士書行政書士事務所に駆け込みました。&lt;br /&gt;　曰く、「どう見ても私の子でない以上、出生届など出す必要などないですよね？」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　答　何はともあれ出生届は、太郎君または妻が必ず役所に提出しなければなりません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　つまり、太郎君が本当の父と認めるか否かに拘らず、婚姻上の夫である以上、太郎君が戸籍上の父となるのです。&lt;br /&gt;　しかし、太郎君が出生届を役所に出しに行ったからといって「実の子」と認めたことにはなりません。&lt;br /&gt;　そこで、実の子と認めたくないのなら、出生を知った時から１年以内に裁判所に対し、「実の子ではない」と訴えればよいのです。&lt;br /&gt;　そして裁判所が「実の子でない」と判断すれば、最後は役所で戸籍を変えて貰えるのです。&lt;br /&gt;　裁判所的な話と役所的な話は別なのです。&lt;br /&gt;　ところで、黒人らしき子であっても、本当の父が太郎君であることは医学的には十分あり得るそうです。&lt;br /&gt;　従って、先ずはDNA鑑定の上、赤ちゃんの人生のためにも今後のことを冷静に考えなければならないでしょう。・&lt;br /&gt;　なお、現在のDNA鑑定料の相場は、私的使用の場合は１０万円くらい、裁判所など公的使用の場合は１５万円くらいです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;４．香典と葬儀費用&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　香典は法的には誰のものになるのでしょうか？&lt;br /&gt;　実は面倒なことに、香典については民法には直接規定された条文がないのです。&lt;br /&gt;　何も規定はないのですが民法では、香典を持参した人を贈与者とする「贈与契約」と考えられています。&lt;br /&gt;　問題は誰が受取人かということです。&lt;br /&gt;　香典は葬儀費用の一部に使われることを考えると、受取人は「喪主」と考えられます。&lt;br /&gt;　喪主に関する規定ですが、これに関しても民法上の規定がなく、喪主は慣習的または一般的に「配偶者か長男」とされています。&lt;br /&gt;　一方、葬儀費用を負担する者に関する規定ですが、厄介なことにこれも民法上の規定がないのです。&lt;br /&gt;　香典を受け取れる者が喪主であるならば、葬儀費用を負担する者は喪主と考えられます&lt;br /&gt;　しかし、香典が集まらなかった場合、葬儀費用が足りない場合、相続財産が無い場合は、相続人が各々の経済事情などを考慮し、協議によって喪主を決めることになります。&lt;br /&gt;　ところで、遺言で「香典の受取人を指定できない」ことに注意が必要です。&lt;br /&gt;　香典は遺言者の財産ではないからです。&lt;br /&gt;　どうしても香典のことが気になるなら、遺言で喪主を指定しておくとよいでしょう。&lt;br /&gt;　なお、原則的に香典と葬儀費用は相続税から除外されますが、「香典返し」は相続税から除外されません。&lt;br /&gt;　全く「無い無い尽くしの話」であります。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-4722983856774094803?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/4722983856774094803/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/04/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4722983856774094803'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4722983856774094803'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/04/blog-post.html' title='身近な法律問題'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-3465153037129616275</id><published>2010-03-16T09:50:00.003+09:00</published><updated>2010-03-16T10:21:00.022+09:00</updated><title type='text'>憲法と国家財政破綻＜２＞</title><content type='html'>&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　前回の続きです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　早速ですが、ムダを省けば借金返済の財源が捻出できるのでしょうか。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　結論から言って論外です。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　現政権が言うムダ削減というのは、新設歳出項目に対する財源確保を主たる目的としたものです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　予算の組み換えというのはそういうことです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　際たる例が「コンクリートから人へ」の象徴たる&lt;strong&gt;「子供手当て」&lt;/strong&gt;でしょう。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　まず一般会計歳出額の見直しですが、公共事業がムダムダと言って前年度７．１兆円から５．８兆円と&lt;strong&gt;１．３兆円減額&lt;/strong&gt;しています（以下、数値は財務省ｈｐより）。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　一方、社会保障費は前年度２４．８兆円から２７．３兆円と&lt;strong&gt;２．５兆円増額&lt;/strong&gt;しています。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　２．５兆円増加の主な要因は「子供手当て新設」によるものです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　そもそも公共事業費の７兆円と社会保障費の２５兆円では額のケタが違います。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　だから公共事業費を削減したところで子供手当てすら捻出できないのが財政の厳しい現実なのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　しかし「コンクリートから人へ」などを看板に出されたら、普通は公共事業費を削減すれば最低でも子供手当ては何とかなると思うでしょう。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　こう勘違いをしても国民に政治的過失はありません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　これは「公共事業を悪」と決め付けて国民に嫌悪感を悪戯に煽り立てた民主党に全ての政治的過失責任があります。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　また本来は４年間で１．３兆円を削減する予定だったはずです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　それを１年間で１．３兆円もの急激な削減に踏み切った以上、来年からは思い切った公共事業の削減は難しいでしょう。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　では特別会計の歳出を見直せば歳出が削減できるのでしょうか。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　実は、特別会計の歳出額１７６．４兆円といっても国債償還費７４．２兆円、社会保障給付費５６．８兆円、地方交付税交付金１９．３兆円、財政融資資金への繰入１６．１兆円に当てられますから、歳出額からこれら全部を引いた&lt;strong&gt;約１０兆円&lt;/strong&gt;しか見直しの対象額にならないのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　なお、今年度の１０兆円は前年度と同額です。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　この内訳を見ると、今年度は社会資本整備事業１．０兆円の削減を始め、総額１．５兆円の歳出を削減したのですが、保険事業が１．５兆円増加しています。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　要するに&lt;strong&gt;歳出削減総額はゼロ&lt;/strong&gt;で、社会資本事業費を保険事業費に移し変えたようなものなのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　結局特別会計の歳出額を見直してもお金を捻出することが出来ないのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　それなら特別会計の積立金・剰余金を使えばよいではないかと思うかもしれません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　俗に「埋蔵金」と言われています。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　これは一般会計の「税外収入」の項目に計上されるものです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　確かに今年度の予算案では&lt;strong&gt;１０．６兆円&lt;/strong&gt;を一般会計に繰り入れています。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　これだけを見れば凄く財源を捻出できたと思うでしょう。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　しかし、前年度は&lt;strong&gt;９．２兆円&lt;/strong&gt;を一般会計に繰り入れており、実は前政権で既に埋蔵金を活用していたのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　従って、&lt;strong&gt;１．４兆円&lt;/strong&gt;しか増加していないのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　特別会計といっても「離れでスキ焼きを食べる」ところでもなければ「官僚の闇財布」でも何でもないのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　また行政刷新会議による公益法人等の削減額ですが、仕分け人が偉そうに能書きを垂れ捲くったわりには&lt;strong&gt;「国庫返納金１兆円を含めて約２兆円」&lt;/strong&gt;程度の削減実績です。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　しかし、「ムダを徹底的に削りました」といっても国民的合意が得られる保証など何一つありません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　これは当然のことで、何が必要で何がムダかなど人間１人１人の価値観が全部違うからです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　「ムダの削減」と「ムダな削減」の相違点を判断する合理的外形的基準など行政刷新会議の議事録等のどこをどう振っても出てきません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　現に事業仕分けは準則主義ではなく裁量主義に基づいて実行されたではないか。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　要するに単に「削減する」でよいのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　ムダという言葉がムダなのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　&lt;strong&gt;以上から、一般会計、特別会計、独立行政法。人等から歳出を削減したところで数兆円の規模に過ぎず、歳出項目の組み換えで手一杯なのです。&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　現に歳出削減どころか歳入額が大幅に減少したにも拘わらず、今年度の一般会計の歳出総額は戦後最大の歳出額ではないか。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　このようなザマでは毎年１００兆円近い借換え債に切り込むことなど絶望的なのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　だから先ずは国家歳入の全てを借金返済に充てるくらいの覚悟をもって政府は国家財政危機に挑まなくてはならないのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　経済効果の不明瞭な５．５兆円の子供手当てをバラまくよりも、借金返済に充てることの方が大事です。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　ムダを省けば借金が減り、負担増が免れるなど幻想に過ぎません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　だから&lt;strong&gt;消費税増税&lt;/strong&gt;は当然なのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　これも誤解されているようですが、&lt;strong&gt;消費税は、平成９年から年金医療介護保険給付費及び地方交付税交付金に使途を限定しているのです。&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　平成２１年度及び平成２２年度の保険給付費は&lt;strong&gt;１９．６兆円・２０．４兆円&lt;/strong&gt;です。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　それに対し、消費税（国税）の収入は平成２１年、平成２２年とも約１０兆円です。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　そのうち約５６％が社会保障に、約４４％は地方交付税交付金に充当されることは予算総則で定められています。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　従って、&lt;strong&gt;約５．６兆円&lt;/strong&gt;が保険給付費に当てられます。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　保険給付費に対する消費税収の割合は３割にも満たないのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　４年間も消費税率を変えないまま「ムダを省いて」財源を確保できるハズがないのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　そもそも平成１０年、社会保障費の量的削減目標が凍結され、毎年高額の赤字国債が起債されました。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　財政政策から景気対策に重点政策が転換されたからです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　しかし結果的に借換え債が膨張し続け、毎年の額が１００兆円近くまでに達したのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　例えば平成２０年に&lt;strong&gt;「２００８年問題」&lt;/strong&gt;が社会問題になりました。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　一言で言えば、これは平成１０年に起債した赤字国債に対する返済問題のことです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　これを借換え債で「対応」したことは言うまでもありません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　借換え債の起債など平成２０年に限ったことではないことは前回お話した通りです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　現在、赤字国債だけでも&lt;strong&gt;３２４．４兆円&lt;/strong&gt;にも膨れ上がっています（平成２１年度第１次補正後予算の計数）。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　&lt;strong&gt;何度も繰り返しますが、赤字国債に借換え債制度を認めたことが諸悪の根源です。&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　しかしこれが現実です。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　社会保障だの福祉だのと給付だけをド厚かましく主張できるほど日本国の財政は悠長な状態ではありません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　自己中心的に福祉だけを強調して自己満足している余裕などありません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　先ずはこのガン細胞たる累積赤字国債を何としてでも除去しなければなりません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　このガン細胞を除去しつつ、&lt;strong&gt;７２５．５兆円&lt;/strong&gt;の内国債残高（※）を&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;span style="font-family:Century;"&gt;GDP&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;の８割に減債するまでは国民負担率５０％以上を覚悟しなければならないのではないか。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　※内国債残高７２５．５兆円に借入金５６．４兆円及び政府短期証券１４２．０兆円を加えた債務残高は&lt;strong&gt;９２３．９兆円&lt;/strong&gt;（平成２１年度第１次補正後予算の計数）。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　子供は２０歳で成人になります。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　２０年以内に何としてでも債務を軽減しなければなりません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　アホほど溜まった債務に政治家と国民が断固として立ち向かう「気概と危機意識」を共有しなければ国家破綻は回避できません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　国民国家を死守する決意は必ず子供に伝わるものです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　「大人が借金をしたお陰であなたは育ったのですよ」など子供にとっては大迷惑以外のなにものでもありません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　借金の先送りは国民の経済的自由を侵害する憲法違反です。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　「&lt;strong&gt;憲法が国民に保障する基本的人権は現在及び将来の国民に与えられる（第１１条）」、「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない（第１２条）」と明記されているのです。&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　歳出削減と国民負担は同時進行させなければなりません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　「国民に負担を押し付けるな」と言ってもムダです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　先月、さすがにムダ削減の限界に気がついたのか、枝野行政刷新担当大臣はムダ削減に早くも事実上のギヴアップ宣言をしました。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　また、政府は消費税増税を含めた税制議論を始めるようです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　増税議論、国民負担率引き上げの議論です。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　とはいっても超低金利を徹底的に否定する気は一向になく、社会主義的バラマキ財政政策を貫徹させることが現政権の魂胆であることは言うまでもありません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　&lt;strong&gt;日本国憲法は近代資本主義を前提とした憲法です。&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　近代資本主義は超低金利を害悪として徹底的に否定します。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　日本国憲法など何処吹く風。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　スバラシイ遵法精神です。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　民主党マニフェストが破綻するのは結構ですが、国家が破綻するようなことは断じて許されるものではありません。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　&lt;strong&gt;今ある国家危機から逃避すれば国家破綻は回避できません。&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　国家破綻の時を迎えた時、日本国憲法は死ぬのです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ 明朝', 'serif'; mso-ascii-font-family: Centuryfont-family:Century;" &gt;　日本国憲法を生かすも殺すも国家次第、ひいては国民次第です。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-3465153037129616275?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/3465153037129616275/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/03/blog-post_16.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/3465153037129616275'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/3465153037129616275'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/03/blog-post_16.html' title='憲法と国家財政破綻＜２＞'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-3030251509617549857</id><published>2010-03-05T14:46:00.003+09:00</published><updated>2010-03-05T15:11:38.280+09:00</updated><title type='text'>憲法と国家財政危機＜１＞</title><content type='html'>　平成２２年度の本予算案がまもなく成立します。&lt;br /&gt;　憲法には&lt;strong&gt;財政民主主義&lt;/strong&gt;が明記されています（第７章）。&lt;br /&gt;　国家のお金の元は国民のお金ですから、国家のお金をどのように使うのかは必ず国民の代表者で構成される国会の議決を経なければならないのです。&lt;br /&gt;　さて現在、国家の累積債務は膨張する一方で、国家財政が破綻寸前の危機に堕ちいっていることは言うまでもありません。&lt;br /&gt;　今回は先ずこの累積債務の元凶となっている&lt;strong&gt;「借換え債」&lt;/strong&gt;についてのお話です。&lt;br /&gt;　借換え債は国債整理基金特別会計の歳出項目に記載されています。&lt;br /&gt;　借換え債というのは&lt;strong&gt;「借用証書の書き換え」&lt;/strong&gt;という意味です。&lt;br /&gt;　本来、借換え債というのは建設国債にしか適用されませんでした。&lt;br /&gt;　これは財政法第４条に明記されており、建設国債は「４条債」とも呼ばれています。&lt;br /&gt;　例えば、６兆円（１０年満期）の建設国債を起債した場合、建設国債には６０年償還ルールがありますから、返済期日が到来した際、１兆円（６兆円×１０年／６０年）を償還して残り５兆円を借り換えるわけです。&lt;br /&gt;　一般に&lt;strong&gt;「借金の先送り」&lt;/strong&gt;とは、この制度のことを指すのです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　さて、建設国債、借換え債以外の国債で有名なものが赤字国債であります。&lt;br /&gt;　建設国債と赤字国債の違いは、建設国債は次世代に残せる「見合資産」ですが、赤字国債というのは、社会保障費などその年度に必要な緊急経費で資産にはなりません。&lt;br /&gt;　この点が１番違うのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;だから赤字国債を起債する場合、翌年返済するのが原則なのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　しかし１９８５年、よりによって政府は赤字国債にも借換え債の発行を特例として認めてしまったのです。&lt;br /&gt;　このことによって内国債が積もりに積もり、約７３０兆円にまで債務残高が膨れ上がったわけです。&lt;br /&gt;　赤字国債に借換え債を「原則的に」認めたことが日本国を借金地獄にした最大の要因です。&lt;br /&gt;　ムダを省くこと、予算を組み換えることも大事かも知れませんが、まず借金返済が国家財政再建の上で何よりも最優先すべき課題なのです。&lt;br /&gt;　国家が返済不能になると、子供だの社会保障だのコンクリートだの言ってられなくなるからです。&lt;br /&gt;　では最近約１０年間における赤字国債・建設国債・借換え債起債額の推移を見てみましょう（財務省ｈｐ）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;&lt;strong&gt;平成　　　 赤字国債　　　　 建設国債　　　　　借換え債&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;１０年　　１７．０兆　　　１７．１兆　　　　４２．４兆&lt;br /&gt;１１年　　２４．４兆　　　１３．１兆　　　　４０．１兆&lt;br /&gt;１２年　　２１．９兆　　　１１．１兆　　　　５３．３兆&lt;br /&gt;１３年　　２１．０兆　　　　９．１兆　　　　６９．６兆&lt;br /&gt;１４年　　２５．９兆　　　　９．１兆　　　　６９．６兆&lt;br /&gt;１５年　　２８．７兆　　　　６．７兆　　　　７４．９兆&lt;br /&gt;１６年　　２６．８兆　　　　８．７兆　　　　８４．５兆&lt;br /&gt;１７年　　２３．５兆　　　　７．８兆　　　１０５．５兆&lt;br /&gt;１８年　　２１．１兆　　　　６．４兆　　　１０８．１兆&lt;br /&gt;１９年　　１９．３兆　　　　６．０兆　　　　９９．２兆&lt;br /&gt;２０年　　２６．１兆　　　　７．０兆　　　　９４．０兆&lt;br /&gt;２１年　　２９．２兆　　　１４．９兆　　　　９１．０兆&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;　注）赤字国債＋建設国債＝新規財源債&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;&lt;/span&gt;　さて、毎年これだけ多額の新規財源債、借換え債を起債しているということは、借金の返済をどんどん後世代の国民に先送りしていることに他なりません。&lt;br /&gt;　また、平成２１年度の国民負担率は３８．８％ですが、財政赤字率の１５．２％を加えた実質的国民負担率は５４．０％です（財務省ｈｐ）。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;国民負担率は５０％を超えると財政危機といわれていますから、既に危険水域に入っているわけです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　これはある意味当然で、自由に使えるお金が半分もないわけですから、これでは憲法上の&lt;strong&gt;「経済的自由」&lt;/strong&gt;を国家が保障していると言えません。&lt;br /&gt;　借金を先送りしてきた直接的責任者は国会議員であることに違いはありません。&lt;br /&gt;　国債起債の議決権は国会にあるわけですから。&lt;br /&gt;　しかし、その議員を選んだのは国民であります。&lt;br /&gt;　政治家だけに責任転嫁するのは筋違いというものです。&lt;br /&gt;　従って、これから高齢者の割合が更に増加する以上、国民が相当な国家的危機意識を持って国民負担率を覚悟しなければ、国家財政破綻を回避できなくなるのです。&lt;br /&gt;　今は随分影を潜めましたが一時は&lt;strong&gt;「借換え債は憲法違反ではないか」&lt;/strong&gt;という議論が盛んだったのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;憲法は将来の世代にも経済的自由を保障しているからです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　憲法を大切にしたいのなら、将来の世代に借金を押し付けて経済的自由を奪ってはならないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて上記の通り、これ以上国民負担率増を回避できない状態にあることは、膨張する借換え債がハッキリ示しているのですが、単に負担が増えたからといって歳入が増えるわけではありません。&lt;br /&gt;　現在はマクロ的に需要不足ですから景気を上げる経済政策&lt;strong&gt;（有効需要の増大）&lt;/strong&gt;がなければ増収に繋がらないのですが、景気対策は主に補正予算案で議論されています。&lt;br /&gt;　しかし結論から言って、ゼロ同然の超低金利下では&lt;strong&gt;「流動性の罠」&lt;/strong&gt;に陥る以上、大きな経済効果は見込めません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;流動性の罠というのは簡単に言えば、余りにも金利が低すぎると消費も投資も刺激されず、有効需要も刺激されないということです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　日本銀行ｈｐによると、平成２２年３月４時点での無担保コールオーバーナイト物は&lt;strong&gt;０．０９６％&lt;/strong&gt;。&lt;br /&gt;　これは昔の「公定歩合」のことです。&lt;br /&gt;　これは光学顕微鏡で覗かないと見えないような小さな数字ですが、まず超低金利だと債券保有より貨幣保有を選択します。&lt;br /&gt;　当然これ以上金利が下がらないと判断するからです。&lt;br /&gt;　だからといってゼロ近傍の金利下では「企業に対する金融機関の融資拡大」といった新たな資金需要を生み出すことが出来ません。&lt;br /&gt;　また難儀なことにデフレ下では企業への&lt;strong&gt;実質的貸出金利が上昇&lt;/strong&gt;しますから、企業の返済負担が重くなります。&lt;br /&gt;　これも新規投資が刺激されない深刻な要因の１つです。&lt;br /&gt;　一方、普通預金の金利が０．０４％と国民をナメ腐った金利だと銀行に預ける気にもなれません。&lt;br /&gt;　じゃあ何か物を買うのか、すなわち消費が刺激されるのかというとそうではありません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;有効需要というのは消費と投資の和ですから、上記のように投資が刺激されなければ有効需要が刺激されず、消費が刺激されません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　預金もダメ、消費もダメということでお金が「タンス」に入るのです。&lt;br /&gt;　結局ゼロ金利政策で金融機関に溜まったお金は国民に届くことなく「消去法的に」国債へ流れるわけです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　確かにケインズは有効需要創出の要件として&lt;strong&gt;「利下げ」&lt;/strong&gt;と言っています。&lt;br /&gt;　しかし&lt;strong&gt;「利下げにも程度がある」&lt;/strong&gt;とも言っているのです。&lt;br /&gt;　ここまでアホほど金利を下げると「流動性の罠」に陥ってどうにもならなくなるのです。&lt;br /&gt;　物事には何でも程度があるのです。&lt;br /&gt;　因みに公共投資による有効需要創出というのは、一時的に国民の経済的自由に国家が介入することでもあります。&lt;br /&gt;　だから&lt;strong&gt;「公共投資の期間にも程度がある」&lt;/strong&gt;ともケインズは言っています。&lt;br /&gt;　しかし、余りにも公共投資を続けると経済の自由が損なわれ、オカミの統制経済に基づく社会主義経済になってしまうのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;オカミの統制に飼い馴らされた国民の鳥篭的自由など資本主義の経済的自由ではありません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　そもそもケインズ理論は資本主義経済を前提とした理論であって、オカミの統制経済・計画経済、社会主義を前提とした理論ではありません。&lt;br /&gt;　何となく日本は資本主義の国だと考えている方がいますが、大きな間違いです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;日本国憲法は近代資本主義を前提とした憲法であって、社会主義を前提にした憲法ではありません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　このことを勘違いしたから日本は財政危機に陥ったと言っても過言ではありません。&lt;br /&gt;　あの旧ソヴィエト連邦の最後の最高実力者であったゴルバチョフ氏も&lt;strong&gt;「日本国は世界で隆々と社会主義が栄えた国です」&lt;/strong&gt;と断言しているではないか。&lt;br /&gt;　この発言に対し、小粒の国会議員や経済学者どもがギャーギャー文句を並べ立てているようですが、世界一の社会主義国家の最高権威が断言しているのだから大筋間違いはないでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以上より、政府がどのような経済政策をしても借金を減らせるような大きな税収は見込めないのです。&lt;br /&gt;　なお今回のデフレから脱却できなかった原因ですが、これは長期的な見方、短期的な見方によって違うのでしょうが、&lt;strong&gt;実物的現象&lt;/strong&gt;であるものを&lt;strong&gt;貨幣的現象&lt;/strong&gt;と誤認して金融緩和政策をダラダラ続けてきたことが原因の１つとして挙げられます。&lt;br /&gt;　では国のムダ使いを省けば借金返済の財源が捻出できるのでしょうか。&lt;br /&gt;　次回に続きます。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-3030251509617549857?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/3030251509617549857/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/03/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/3030251509617549857'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/3030251509617549857'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/03/blog-post.html' title='憲法と国家財政危機＜１＞'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-6471218973846447508</id><published>2010-02-24T09:30:00.006+09:00</published><updated>2010-02-24T10:39:48.063+09:00</updated><title type='text'>外国人参政権義解＜３＞</title><content type='html'>　前々回、前回にかけてお話したとおり、在留外国人に選挙権を付与することは憲法違反です。&lt;br /&gt;　では、在留外国人に参政権そのものを憲法は何も保障していないのかというと、そうではありません。&lt;br /&gt;　早速ですが、この外国人の参政権についての有名な判例を紹介します。&lt;br /&gt;　「マクリーン事件」といわれる判例です（注）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【判旨】&lt;br /&gt;基本的人権の保障は、権利の性質上&lt;strong&gt;日本国民のみを対象としたものを除き&lt;/strong&gt;、在留外国人にも等しく及ぶ。政治活動の自由は、日本国の&lt;strong&gt;政治的意思決定&lt;/strong&gt;またはその実施に影響を及ぼす活動でない限り保証される。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　繰り返しますが、選挙権は&lt;strong&gt;日本国の政治的自己意思決定権&lt;/strong&gt;であります。&lt;br /&gt;　だから憲法所定の選挙権は外国人には及ばないのです。&lt;br /&gt;　因みに、在留外国人の在留期間変更等の許可申請に対し、在留外国人の政治活動如何によっては日本国政府が&lt;strong&gt;「裁量で」&lt;/strong&gt;不許可処分に出来るというのがこの事件の主な内容です。&lt;br /&gt;　簡単に言えば、外国人が日本国の政治的意思決定等に影響を及ぼす行為をすると、「国外退去の対象」になるのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;これは日本国に限らず、どこの国家にも「自国内に外国人を受け入れるか否か」は政府の自由裁量権として認められています。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　国際社会では国家間は完全に対等の関係であり、主権国家を縛る権力が存在しないのだから当然のことなのです。&lt;br /&gt;　従って、国外退去の対象となる話に選挙権を付与するなど言語道断の話です。&lt;br /&gt;　なお、例えば「思想・良心の自由」、「裁判を受ける権利」、「法的手続による逮捕」といったものは、日本人と等しく認められています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　よって、マクリーン事件１つを見ても外国人選挙権は、&lt;br /&gt;・この憲法が国民に保障する&lt;strong&gt;基本的人権&lt;/strong&gt;（日本国憲法第１１条より抜粋）&lt;br /&gt;・この憲法が国民に保障する&lt;strong&gt;権利&lt;/strong&gt;及び&lt;strong&gt;自由&lt;/strong&gt;（同第１２条より抜粋）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　のいずれにも該当しないのです。&lt;br /&gt;　この基本的人権・権利・自由の基本的区別が全く出来ていないうちから人権を振り回す「人権バカ」をチョロチョロ見受けますが、この三者の相違点については稿を改めて検討します。&lt;br /&gt;　外国人選挙権というのは憲法にいう人権でないから外国人選挙権には&lt;strong&gt;「付与」&lt;/strong&gt;という言葉が使われるのです。&lt;br /&gt;　外国人選挙権などは&lt;strong&gt;「特権」&lt;/strong&gt;以外のなにものでもないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/S4RzdRVkPyI/AAAAAAAAAG4/DzWeNuRExuw/s1600-h/earth08.JPG"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 337px; DISPLAY: block; HEIGHT: 318px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5441601196477660962" border="0" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/S4RzdRVkPyI/AAAAAAAAAG4/DzWeNuRExuw/s400/earth08.JPG" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　【入国管理局（公式ｈｐ）】&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;　さて、外国人選挙権と政治の関係について簡単に言及しておきます。&lt;br /&gt;　ご存知の通り、外国人選挙権付与を強く要求している主な外国人団体は「民団」であります。&lt;br /&gt;　民団は「在日大韓民国民団」のことです。&lt;br /&gt;　民団としては、このような要求が非合理なことくらい百も千も承知のことです。&lt;br /&gt;　在留韓国人といっても日本だけでなく、アメリカ、イギリス、フランス、インドなどなど様々な国に居住しています。&lt;br /&gt;　しかし、韓国政府はアメリカやイギリスなどの国に対し、日本と同じように外国人選挙権を要求などしていないのです。&lt;br /&gt;　では何故日本にだけこのような要求をするのか。&lt;br /&gt;　答えは簡単。&lt;br /&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;日本国は韓国の属国であることを当然の前提としているからであります。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　これはこれで問題なのですが、民団は所詮「外人」であり、「来客」に過ぎません。&lt;br /&gt;　国家主権の対等性、絶対性についてお話したとおり、「外人が」自国益を懸けて日本国に何を要求してもそれ自体は勝手なことなのです。&lt;br /&gt;　逆に言えば、日本国はそんな要求など一蹴すればよいのです。&lt;br /&gt;　問題なのは、こんなアホな要求を「なぜ」日本国が一蹴できないかであります。&lt;br /&gt;　それは一言で言えば、政治利権、経済利権、行政利権を問わず、一部のアホ代議士が在日利権に寄生しているからです。&lt;br /&gt;　とりわけ外国人から賄賂を受け取る行為は売国行為以外のなにものでもありません。&lt;br /&gt;　収賄の真実は別として、あの田中角栄元首相ですらロッキード裁判の法廷でそう断言していたではないか。&lt;br /&gt;　その意味においては、正統な日本人が敵視すべき対象は民団などではなく、あらゆる韓国利権に寄生する「アホ代議士」なのです。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　アホの実名を挙げ出すときりがないのですが、チンピラを１名だけ挙げると&lt;strong&gt;「赤松広隆農水大臣」。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　平成２２年１月１２日、民団の新年パーティーで&lt;strong&gt;「永住者への参政権の法案成立は民団への公約です」&lt;/strong&gt;と赤松が放言したことを、高市早苗衆議院議員が衆議院予算委員会で指摘しました（平成２２年２月９日）。&lt;br /&gt;　外国人選挙権の付与は民主党マニフェストに書かれていません。&lt;br /&gt;　日本の有権者に公約もしていないのに民団には公約をする。&lt;br /&gt;　つまり、このアホは日本人ではないのです。&lt;br /&gt;　この赤松発言に対し、法案反対論者が「赤松は売国奴だ」と憤慨しているのをネット等で散見します。&lt;br /&gt;　しかし、売国奴というのは日本人を前提とした言葉であり、一抹でも赤松を日本人と思うから腹が立つのです。&lt;br /&gt;　赤松をハナから韓国人と考えれば冷静に敵視できるというものです。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;赤松は大韓民国憲法の遵守を宣誓した韓国人なのです。&lt;br /&gt;　韓国人に日本国憲法の遵守を要求しても無意味です。&lt;br /&gt;　韓国人は日本国憲法を遵守する義務がないからです。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　あくまでも反日日本人にとって主権内部崩壊促進助長法案が大韓民国憲法に違反するか否かだけが問題であって、日本国憲法に違反するか否かは関係のないことなのです。&lt;br /&gt;　反日日本人は日本人ではありません。&lt;br /&gt;　日本人ではないのですから日本国憲法を遵守する精神のカケラもありません。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;全ての反日日本人こそが日本国憲法の敵である。&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ここがポイントです。&lt;br /&gt;　この点を見落とすと外国人地方選挙権の本質がいつまでたっても理解できません。&lt;br /&gt;　このような反日日本人が主権内部崩壊促進助長法を制定しようとしているわけであります。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　さて、外国人選挙権を反対する多くの方々が&lt;strong&gt;「帰化をすれば国政被選挙権まで付与されるのだから帰化をすればよいだけではないか」&lt;/strong&gt;と主張しています。&lt;br /&gt;　これは法的地位という観点でみればその通りであり、私も基本的には賛成です。&lt;br /&gt;　しかし本来は&lt;strong&gt;「帰化をすれば果たして日本人になれるのか」&lt;/strong&gt;という問題こそが重要なテーマでなければならないのです。&lt;br /&gt;　例えば大韓民国の憲法及び法律を遵守することを団是としている民団の場合、在日韓国人が日本に帰化しても、その者を引き続き民団の籍に置くことを妨げていないそうであります。&lt;br /&gt;　これが一体何を意味するのか。&lt;br /&gt;　改めて説明するまでもないでしょう。&lt;br /&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　現在、外国人選挙法案が閣法として提出されるのか議員立法として発議されるのかは不明です。&lt;br /&gt;　いずれにせよ、これは主権の崩壊に関わる大問題です。&lt;br /&gt;　この法案が如何に主権の根本を揺るがす恐ろしい法案か。&lt;br /&gt;　後々になって気付いても遅いのです。&lt;br /&gt;　前々回、前回で何度も何度も繰り返してきた通り、主権というのは&lt;strong&gt;「１国民１国家の原則」&lt;/strong&gt;に基づいた概念です。&lt;br /&gt;　「日本人のような、外国人のような」ハッキリしないような者に選挙権を付与するなど愚の骨頂以外のなにものでもありません。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;＜注＞&lt;br /&gt;&lt;a href="http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/F18BBB4AFD063FF649256A850031204F.pdf"&gt;昭和５０年（行ツ）第１２０号　在留期間更新不許可処分取消事件&lt;/a&gt;（最高裁ｈｐ）&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-6471218973846447508?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/6471218973846447508/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/02/blog-post_24.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/6471218973846447508'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/6471218973846447508'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/02/blog-post_24.html' title='外国人参政権義解＜３＞'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/S4RzdRVkPyI/AAAAAAAAAG4/DzWeNuRExuw/s72-c/earth08.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-4033227143143746996</id><published>2010-02-14T10:21:00.006+09:00</published><updated>2010-02-14T12:18:13.051+09:00</updated><title type='text'>外国人参政権義解＜２＞</title><content type='html'>　早速ですが、外国人選挙権付与は「合憲」などとトンデモないことを主張する者がいます。&lt;br /&gt;　こういうことを主張する者が必ず根拠として持ち出すのが、前回紹介した最高裁判決文の傍論部です（注１）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【傍論】&lt;br /&gt;法律をもって地方選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されていないと解される。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これだけを見れば合憲と考えるのが自然でしょう。&lt;br /&gt;　しかし最初に注意しなければならないのは、これは「傍論」なのです。&lt;br /&gt;　傍論というのは&lt;strong&gt;「判決と一切無関係な文章」&lt;/strong&gt;という意味です。&lt;br /&gt;　つまり、傍論というのは&lt;strong&gt;「一切の法的拘束力を有しない」&lt;/strong&gt;ということです。&lt;br /&gt;　一切の法的拘束力を有しないということは&lt;strong&gt;「一切の立法根拠にもならない」&lt;/strong&gt;ということです。&lt;br /&gt;　要するに、ゼロに何を掛けてもゼロなのです。&lt;br /&gt;　小学生は算数でゼロを含む掛け算を習いますから、合憲などと主張する者は小学生の算数すら理解できない「馬鹿な子」なのです。&lt;br /&gt;　こういう馬鹿な子が、こともあろうか必死のパッチになって０を１に変えようとするのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;つまり「傍論の法的拘束化」と言われるトチ狂った屁理屈です。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　言い方を変えれば、あたかも傍論に法的拘束力を有しているかのように喧伝し、政治に悪用することを目的としているのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「傍論が暴論」といわれる所以であります。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　いや、暴論どころか、完全敗訴を腹癒せにした見苦しい「負け犬の遠吠え」以外のなにものでもありません。&lt;br /&gt;　「上告を棄却します」と「棄却しません」が同時成立するような判決はどこにも存在しません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;当該判決で有効な部分は「選挙権は日本国民固有の権利」の部分であって、これに反した法律は全て憲法違反なのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　では、せめて傍論に忠実に従って法案を作ったのかと思えば、これがまた酷い法案なのです（注２）。&lt;br /&gt;　一言で言えば、地方自治法と公職選挙法を適当に継ぎ接ぎをしただけのお粗末な法案です。&lt;br /&gt;　とりわけ酷いのは次の条項です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【法案第３条第１項】&lt;br /&gt;第八条の規定による申請により&lt;strong&gt;永住外国人選挙人名簿に登録された年齢満二十年以上の永住外国人&lt;/strong&gt;（当該登録の際登録されるべきでなかった者（住所に関する要件のみを満たしていなかったため登録されるべきでなかった者を除く。第七条第二項及び第八条において同じ。）及び当該登録の後日本の国籍の取得、退去強制その他の事由により永住外国人でなくなった者を除く。）&lt;strong&gt;で引き続き三箇月以上市町村の区域内に住所を有するものは、その属する普通地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を有する&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　括弧内が長くて読みにくいかもしれませんが、これは登録許可要件でもなければ登録審査基準でもありません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;つまり、永住外国人が役所で登録申請をすれば「無条件で」投票できるということです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　しかしこの条文は、以下の傍論部すらまともに守っていないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【傍論】&lt;br /&gt;永住者等であって、居住する区域の地方公共団体と&lt;strong&gt;特段に密接な関係&lt;/strong&gt;を持つに至ったと認められるもの。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　単に永住者だけでは駄目で、更に自治体と&lt;strong&gt;「特段に密接な関係を持っている」&lt;/strong&gt;永住者でなければ選挙権は与えられないと傍論は言っているのです。&lt;br /&gt;　如何なる外形的基準をもって「特段に密接な関係」と判断するか。&lt;br /&gt;　この場合の外形的基準は&lt;strong&gt;「住所を有する合理的期間」&lt;/strong&gt;です。&lt;br /&gt;　この期間は少なくとも日本国民と同じ期間であってはなりません。&lt;br /&gt;　にもかかわらず、公職選挙法をそのままコピペしているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【公職選挙法第９条第２項】&lt;br /&gt;日本国民たる年齢満二十年以上の者で引き続き三箇月以上市町村の区域内に住所を有する者は、その属する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を有する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これでは完全に&lt;strong&gt;「日本人＝永住外国人」&lt;/strong&gt;ではないか。&lt;br /&gt;　何度も何度も繰り返しますが、どれだけの合理的期間を設けようとも法案自体が全て憲法違反なのです。&lt;br /&gt;　ここで言いたいのは、傍論部すらもマトモに考慮していないということです。&lt;br /&gt;　日本人＝永住外国人&lt;br /&gt;　この図式に基づいた法案が１度でも通れば、今度は地方自治体の被選挙権、更には国政選挙権付与へと歯止めが効かなくなるのは当然である。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　更に、外国人登録原票の市町村間異動に対する危機管理が全く欠如していることも、この法案の問題点です。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;何故問題かと言うと、役所が各在留外国人の実質的な生活拠点までを管理することが現実的に不可能である以上、選挙期日に合わせて登録原票が「選挙目的に」、「組織的に」異動されてしまう虞があるからなのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　前回お話したように、領有権・国家防衛といった外交問題が絡む地方選挙の場合は大変です。&lt;br /&gt;　傍論部の「自治体と特段の密接な関係を有する者」というのは、あくまでも&lt;strong&gt;「自治体益を最優先させる者」&lt;/strong&gt;のことを言うのです。&lt;br /&gt;　自治体益または国益と反対益を有する外国人は必ず自国益を最優先させます。&lt;br /&gt;　特に「国防遵守」を義務付けた憲法を持つ外国人なら尚更のことです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;前回で述べたとおり、外国人は当該国の主権者であるからなのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　「国境を越えて」、「共生共栄」などは国際社会の冷厳な現実を度外視した「白痴の戯言」以外のなにものでもありません。&lt;br /&gt;　如何なる法案であれ、主権内部崩壊促進助長法は憲法違反です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;注１）&lt;a href="http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/89B4E23F93062A6349256A8500311E1D.pdf"&gt;平成５（行ツ）第１６３号&lt;/a&gt;（最高裁公式ｈｐ）&lt;br /&gt;注２）&lt;a href="http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm"&gt;１６３回（特別会）衆第１４号&lt;/a&gt;（衆議院公式ｈｐ）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;＜許容説から禁止説に転向した長尾一紘教授＞&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;傍論、すなわち外国人地方参政権部分的許容説の第一提唱者は長尾一紘中央大学教授。平成２２年１月２９日のyahoo　online（読売新聞）によると、長尾教授自らが提唱した許容説を否定した。&lt;br /&gt;以下は長尾教授の発言である（質問者は小島優氏）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;問）部分的許容説を日本に紹介したきっかけは&lt;br /&gt;２０年くらい前にドイツで購入した許容説の本を読み、純粋に法解釈論として合憲が成立すると思った。ただ、解釈上は許容説でも、政策的に導入には反対という立場だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;問）許容説から禁止説へと主張を変えたのはいつか&lt;br /&gt;　民主党が衆院選で大勝した昨年８月から。鳩山内閣になり、外国人地方参政権付与に妙な動きが出てきたのがきっかけだ。鳩山由紀夫首相の提唱する地域主権論と東アジア共同体論はコインの裏表であり、外国人地方参政権とパックだ。これを深刻に受けとめ、文献を読み直し、民主党が提出しようとしている法案は違憲だと考え直した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;問）考え直した理由は&lt;br /&gt;　１つは状況の変化。参政権問題の大きな要因のひとつである、在日外国人をめぐる環境がここ１０年で大きく変わった。韓国は在外選挙権法案を成立させ、在日韓国人の本国での選挙権を保証した。また、日本に住民登録したままで韓国に居住申告すれば、韓国での投票権が持てる国内居住申告制度も設けた。現実の経験的要素が法解釈に影響を与える『立法事実の原則』からすると、在日韓国人をめぐる状況を根拠とすることは不合理になり、これを続行することは誤りだと判断した。&lt;br /&gt;　もう一つは理論的反省だ。&lt;strong&gt;法律の文献だけで問題を考えたのは失敗だった。政治思想史からすれば、近代国家、民主主義における国民とは国家を守っていく精神、愛国心を持つものだ。選挙で問題になるのは国家に対する忠誠としての愛国心だが、外国人にはこれがない。日本国憲法１５条１項は参政権を国民固有の権利としており、この点でも違憲だ。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　また、許容説の一番最先端を行っているドイツでさえ、許容説はあくまでも市町村と郡に限られる。国と州の選挙の参政権はドイツ国民でなければ与えられない。一方、鳩山首相は地域主権論で国と地方を並列に置き、防衛と外交以外は地域に任せようとしている。最先端を行くドイツでさえ許していないことをやろうとするのは、非常に危険だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;問）政府・民主党は、外国人地方参政権（選挙権）付与法案を成立させたい考えだが&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;とんでもないことだ。憲法違反だ。国家の解体に向かうような最大限に危険な法律だ。これを制定しようというのは単なる違憲問題では済まない。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;問）外国人に地方参政権を付与した場合の影響は&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;実は在日韓国人より、中国人の方が問題だ。&lt;/strong&gt;現在、中国は軍拡に走る世界で唯一の国。中国人が２４日に市長選があった沖縄県名護市にわずか千人引っ越せば、（米軍普天間飛行場移設問題を焦点とした）選挙のキャスチングボートを握っていた。当落の票差はわずか１６００票ほど。それだけで、日米安全保障条約を破棄にまで持っていく可能性もある。日本の安全保障をも脅かす状況になる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;問）学説の紹介が参政権付与に根拠を与えたことは&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;慚愧（ざんき）に堪えない。&lt;/strong&gt;私の読みが浅かった。１０年間でこれほど国際情勢が変わるとは思っていなかった。２月に論文を発表し、許容説が違憲であり、いかに危険なものであるのか論じる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-4033227143143746996?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/4033227143143746996/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/02/blog-post_14.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4033227143143746996'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4033227143143746996'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/02/blog-post_14.html' title='外国人参政権義解＜２＞'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-1597261100730158221</id><published>2010-02-04T16:53:00.006+09:00</published><updated>2010-02-04T17:30:47.018+09:00</updated><title type='text'>外国人参政権義解＜１＞</title><content type='html'>　現在、外国人に地方選挙権を付与するかどうかが話題になっています。&lt;br /&gt;　実は、外国人に選挙権を付与するか否かは、我が国の主権が大崩壊するか否かに関わる大問題なのです。&lt;br /&gt;　だから最近、報道機関等がこの問題を頻繁に取り上げているのです。&lt;br /&gt;　そこで今回は外国人地方選挙権について考えるにあたり、まず外国人地方選挙権に関する条文を紹介します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第１５条】&lt;br /&gt;第１項：公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。&lt;br /&gt;第３項：公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。&lt;br /&gt;【日本国憲法第９３条第２項】&lt;br /&gt;地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この条文に対し、最高裁は&lt;strong&gt;「選挙権は日本国民固有のものである」&lt;/strong&gt;と判決しています。&lt;br /&gt;　平成７年２月２８日の判例です。&lt;br /&gt;　しかし、この判決には&lt;strong&gt;「そもそも主権者は誰か」&lt;/strong&gt;という根本的なテーマが背景にあるのです。&lt;br /&gt;　そこで、主権の概念について簡単に述べておきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　近代的主権概念を理論的に提唱したのは「国家論」で有名なフランスのジャン・ボダンです。&lt;br /&gt;　約４００年前のことです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;主権というのは「何者からも縛られない」という意味であります。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　ボダンは「主権は国家に存する」と主張しました。&lt;br /&gt;　国家主権は何人たりとも拘束することができない絶対的排他的なものであり、国家の主権者（王・皇帝）は立法権・徴税権・徴兵権を一手に掌握できるのです。&lt;br /&gt;　それが時代の変遷と共に主権が国家から国民に移っていきます。&lt;br /&gt;　これが現在の&lt;strong&gt;「国民国家」&lt;/strong&gt;です。&lt;br /&gt;　同時に、貴族階級らが有していた特権が「平等に」国民に移っていきます。&lt;br /&gt;　これが&lt;strong&gt;「人権」&lt;/strong&gt;です。&lt;br /&gt;　だから現在の国民国家と人権は切っても切り離せない関係なのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;ただし、これは国内についての話であり、現実的な国際関係のレヴェルでは「主権は国家に属する」のであり、主権国家を縛る権力は世界には存在しません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　「憲法は条約に優位する」という原則は、このことを反面から裏付けたものです。&lt;br /&gt;　また、国内裁判所とハーグ司法裁判所の権能の違いをみても明らかでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国内では当事者間で紛争が発生した場合、一方が裁判を起こしたら裁判所は当事者の相手方を拘束してくれます。&lt;br /&gt;　それに対し、国家間で紛争か発生した場合、一方がハーグ司法裁判所に提訴したところで、相手方は原則的に裁判に応じる義務などありません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;主権国家を縛る権力そのものが存在しないから当然のことです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　最たる例が竹島問題だったでしょう。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　日本国は竹島の所有権をめぐり、ハーグ司法裁判所に提訴しましたが、当事者の相手国である韓国は提訴に応じませんでした。&lt;br /&gt;　もちろん、韓国は勝訴できないと判断したから応じなかったのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;しかしここで大事なことは、提訴に応じなかったからといって裁判所は韓国を拘束する力などありませんし、また国際非難を受けることもないのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　&lt;strong&gt;これを不条理と思っているようでは、いつまでたっても国際紛争の現実を理解することが出来ません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　今ある冷厳たる現実は、韓国の準軍隊による竹島の実行支配のみです。&lt;br /&gt;　また、判決後の執行力についても両者には大きな違いがあります。&lt;br /&gt;　国内裁判所は、差押等といった自力執行力を有しています。&lt;br /&gt;　これに対し、ハーグ司法裁判所に自力執行力があるわけではありません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;これは、最終的には国連安保理によって執行決定が下されます。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　例えば相手国が中国といった常任理事国の場合、拒否権を発動されたら直ちに執行不能となるのです。&lt;br /&gt;　要するにハーグ司法裁判など機能していないのも同然なのです。&lt;br /&gt;　またその他の国際裁判所も同じようなものです。&lt;br /&gt;　だから世界では&lt;strong&gt;「国際法は法なのか」&lt;/strong&gt;といったハイレヴェルな議論が盛んに交わされているのです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;従って、主権というものを考えるとき、国際問題では「主権が国民から国家に切り替わる」ことを理解しておかなければなりません。&lt;br /&gt;　実は外国人選挙権問題を考える際、ここが最も重要なポイントなのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　では、国内の主権について日本国憲法ではどのように規定されているでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【前文】&lt;br /&gt;日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、＜略＞、ここに&lt;strong&gt;主権が国民に存する&lt;/strong&gt;ことを宣言し、この憲法を確定する。&lt;br /&gt;【日本国憲法第１条】&lt;br /&gt;天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、&lt;strong&gt;主権の存する日本国民&lt;/strong&gt;の総意に基づく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　つまり、主権が日本国民に存すると明記されているのです。&lt;br /&gt;　判例では、日本国憲法上の国民主権原理における日本国民とは&lt;strong&gt;「日本国籍を有する日本人」&lt;/strong&gt;とされています。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;日本国家は日本人の国家であり、日本国憲法は日本人のものです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　当たり前。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;選挙権は、主権者たる日本人が日本国を日本人の手で作る上での最も重要な日本人の権利、即ち政治的自己意思決定権なのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　日本人は日本国憲法の支配に服し、日本人は日本国家のことを１番に考えて、堂々と「強い国家」、「魅力ある国家」の建設に邁進すればよいのです。&lt;br /&gt;　一方、在留外国人は日本国憲法上の主権者ではありません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;在留外国人はその国の憲法上の主権者なのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　逆に、日本人が外国に居住しても、その国の主権者になることが出来ないのです。&lt;br /&gt;　その国の選挙権が欲しいのなら、その国の国籍を取得した上で日本国籍離脱の手続きをとればよいのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　次に、外国人の在留帰化と主権の関係を検討します。&lt;br /&gt;　一言で言えば、&lt;strong&gt;在留は「外国人が日本に住むこと」、帰化は「外国人が日本人になること」であります。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　いかなる外国人であれ、どれだけ日本に住もうがどれだけ地域に密着しようが、それだけでは日本人としての法的地位は「例外なく」与えられません。&lt;br /&gt;　外国人が日本人になるには帰化許可申請をし、法務大臣から許可が出なければ日本国籍を有する日本国民になれないのです&lt;br /&gt;　これは「国籍法第４条」に明記されています。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;よって、在留外国人と帰化人は身分的性質が全く違いますから、それぞれ別個の法律で両者は峻別されています。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　在留については「出入国管理および難民認定法」に、帰化については「国籍法」に規定されています。&lt;br /&gt;　ただし、平和条約国籍離脱者及び平和条約国籍離脱者の子孫については「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」に規定されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、両者を扱うのは共に法務省なのですが、管轄が違います。&lt;br /&gt;　在留許可を扱う管轄は&lt;strong&gt;入国管理局&lt;/strong&gt;、帰化許可を扱う管轄は&lt;strong&gt;法務局&lt;/strong&gt;であります。&lt;br /&gt;　このように外国人と日本人を厳格に区別するのは、日本の主権を守る上で大切なことなのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、&lt;strong&gt;「世界に視野を広げて」&lt;/strong&gt;だとか、&lt;strong&gt;「心を大きく持って」&lt;/strong&gt;だとか、&lt;strong&gt;「共生共存」&lt;/strong&gt;だとか、&lt;strong&gt;「地球市民」&lt;/strong&gt;だとか、これは外国人選挙権を正当化する際のポッポな標語として最近使われているようです。&lt;br /&gt;　しかし、主権の大切さと恐ろしさのカケラもないこの非科学的な精神論は必ず主権の内部崩壊を導くものであり、これほど恐ろしいものはありません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;またこの精神論は、戦中の「皇道的至上命令」だとか、「支那王道の理想」だとか、「八紘一宇の皇謨」だとか、「２＋２＝８０」だとか、主権崩壊を導いた当時の精神論よりも更に酷いものであります。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　こういう瑣末な精神論に傾倒する者というのは、要するに主権や国益を&lt;strong&gt;「つまらないもの」、「どうでもよいこと」&lt;/strong&gt;と考えているからであります。&lt;br /&gt;　こういう者たちは、ハッキリ言って自ら外国に主権を明け渡す&lt;strong&gt;「売国奴」&lt;/strong&gt;です。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;売国奴は売国奴なりの正義感があるのかもしれませんが、人権が何たるかを全く理解せず、人権ばかりを強調して平等概念を振り回すから「差別と区別」の見境がつかないのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　上述したとおり、国民国家（主権・国益）と人権は絶対に切り離せない関係です。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;憲法は「国家なき人権」を絶対否定します。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　断言する。&lt;br /&gt;　外国人に選挙権を与えないからといって、主権国家としての日本国が国際社会から非難されるような筋合いは一切ありません。&lt;br /&gt;　次回は外国人選挙権付与を合憲とする意見を検討します。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-1597261100730158221?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/1597261100730158221/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/02/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' 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type='html'>　今回は明治憲法に定められていた「臣民ノ権利義務」と、現行憲法に定められている「国民の権利義務」の比較についてのお話です。&lt;br /&gt;　これらの条文を読み比べたときの第一感は、明治憲法には&lt;strong&gt;「法律の範囲内で」&lt;/strong&gt;といった文言が非常に多く挿入されていることです。&lt;br /&gt;　臣民ノ権利義務に規定されている条文を見ますと、殆んどの条文には&lt;strong&gt;「法律ノ範囲内ニ於テ・法律ノ定ムル所ニ依ル・法律ニ定メタル場合ヲ除ク外」&lt;/strong&gt;と書かれています。&lt;br /&gt;　以下、これらを単に「法律の範囲内で」とします。&lt;br /&gt;　このことから、明治憲法下で保障されていた権利や自由は「法律の範囲内で保障されていたに過ぎなかった」と極めて否定的に評価する者がいるのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;すなわち、この「法律の範囲内で」の部分を殊更に強調し、明治憲法は「非民主主義憲法」、「人権を蹂躙した恐ろしい憲法」と解釈しているのです。&lt;br /&gt;　それに対し、現行憲法には「法律の範囲内で」が明記されてないから、現行憲法は「民主主義憲法」、「人権を保障した素晴らしい憲法」と解釈しているのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　これは、正統リヴェラル派ではなく、俗に「人権屋」、「人権ヤクザ」と称される偽善的リヴェラル派の基本的解釈であります。&lt;br /&gt;　そしてこの基本的解釈から外してはならないことは、偽善的リヴェラル派の間では「暗黙の掟」のようであります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;ここでの偽善的リヴェラル派というのは、超簡単に一言で言えば、「昔の日本国は酷い国だった」だとか、「アメリカが憲法を授けて下さったから日本は人権国家に生まれ変わりました」などと大嘘を喧伝している者のことです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　ところが、実は現行憲法に対しても、様々な法律は国民の権利義務を制限しているのです。&lt;br /&gt;　以下、法律を列挙しますが、個別具体的な条文解釈を目的に列挙するわけではありません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第１０条（国民の要件）】&lt;br /&gt;　国籍法第５条では、帰化許可の条件が細かく規定されており、また国籍離脱の自由（憲法第２２条第２項）といっても、（判例で）無国籍の自由は禁止されています（国籍法第１１条など）。&lt;br /&gt;【日本国憲法第１５条第３項（選挙権）】&lt;br /&gt;　公職選挙法１１条では禁固以上の刑に処せられている者、成年被後見人などは選挙権及び被選挙権が与えられないと規定されています。&lt;br /&gt;【日本国憲法第１６条（請願権）】&lt;br /&gt;　国会法第７９条では、国会議員の紹介がなければ請願できないと規定されています。&lt;br /&gt;【日本国憲法第１７条（国務請求権）】&lt;br /&gt;　国家賠償法第６条では、被害者が外国人の場合、日本国との相互保証があるときでないと賠償請求ができないと規定されています。&lt;br /&gt;【日本国憲法第２１条第１項（集会･結社・表現の自由）】&lt;br /&gt;　集会、結社の自由は保障されていても、破壊活動防止法では「度を越えた」集団的な行為が禁止されています。&lt;br /&gt;　また、表現の自由が保障されていても、刑法第１７５条では「わいせつ文書等の頒布行為」については罰則規定が設けられています。&lt;br /&gt;【日本国憲法第２７条（労働権）】&lt;br /&gt;　労働基準法第６章では、児童及び未成年者の最低年齢や労働時間が制限されています。&lt;br /&gt;【日本国憲法第２８条（労働者団結権）】&lt;br /&gt;　労働組合法第９条では、基金流用は総会議決に限ると規定されており、また同法第１５条では、労働協約期間を制限する規定が設けられています。&lt;br /&gt;　また、電気事業及び石炭工業における争議行為の方法に規制に関する法律（スト規制法）のように、ストライキのための労働休日を規制したものもあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここで言いたいのは合理的制約の問題ではなく、「法律の範囲内で」などといった文言が現行憲法に明記されてなくても&lt;strong&gt;「現行憲法で保障されている権利や自由は法律で制約されている事実がある」&lt;/strong&gt;ということです。&lt;br /&gt;　第一、国民の権利義務で最初に出てくる第１０条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」と規定されているのです。&lt;br /&gt;　それでも「法律の範囲内で」の文言に執着するのなら、上記の法律は全て憲法違反になるではないか。&lt;br /&gt;　因みに私は、上記の法律で違憲の疑いがある法律は３つあると考えています。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「法律の範囲内で」という文言に拘る偽善的リヴェラル派は、「著しく制限する」だとか、「無制限に制限する」だとか、「憲法に反して制限する」などと勝手な解釈をしていることです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　一方、伊藤博文は臣民ノ権利義務について次のように述べています。&lt;br /&gt;　例によって伊藤博文ですが、以下は&lt;strong&gt;憲法義解&lt;/strong&gt;からです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;各条は、臣民各個の自由及び財産の安全を保明する。蓋し、法律上の自由は臣民の権利であり、その生活及び知識の発達の本源である。自由の民は文明の良民として、国家の昌栄を翼賛する事が出来るものである。故に&lt;strong&gt;立憲国家は皆、臣民各個の自由及び財産の安全を貴重な権利として、これを確保しない事は無い。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;但し、自由は秩序ある社会の下に生息するものである。&lt;strong&gt;法律は各個人の自由を保護し、また国憲の必要より生じる制限に対して、其の範囲を分割し、両者の間に適当な調和をなすものである。&lt;/strong&gt;そして、各個臣民は法律の許す範囲において其の自由を享受し、綽然として余裕があることを得られるべきである。&lt;strong&gt;これは憲法に確保する法律上の自由なるものである。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/S2FRiAVr-YI/AAAAAAAAAGw/AKh78JLfoRA/s1600-h/180px-Lorenz_von_Stein.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 180px; DISPLAY: block; HEIGHT: 217px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5431712270233893250" border="0" alt="" src="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/S2FRiAVr-YI/AAAAAAAAAGw/AKh78JLfoRA/s400/180px-Lorenz_von_Stein.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;　　　　　　　　　　　　　　 【明治憲法草案に影響を与えたシュタイン&lt;a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3"&gt;（wikipedia&lt;/a&gt;）】&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;　更に、「自由や権利を制限するには行政処分などではなく、必ず&lt;strong&gt;議会が制定した法律&lt;/strong&gt;によって制限せよ」とも述べています。&lt;br /&gt;　「法律の範囲内で」と書かれていても、臣民の権利義務は保障されていたのです。&lt;br /&gt;　書いてあるか書いてないかだけに拘って話が済むのであれば、例えば明治憲法第１条の確定解釈など簡単です。&lt;br /&gt;　「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ&lt;strong&gt;統治&lt;/strong&gt;ス」&lt;br /&gt;　あくまでも「統治」と書かれているだけであって、どこにも「専制支配」と書かれていません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;専制支配などと書かれてないのだから天皇は専制君主ではありません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　書いてあるか書いてないかに拘る偽善的リヴェラル派等の単純論理に従えばこうなります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;法律の範囲内で保障されていたに過ぎなかったから「明治憲法は人権不在の憲法だった」などといった論理は完全に破綻していることはこれで明らかになったでしょう。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　明治憲法下での政府が勝手に臣民の権利義務を制限したのではありません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;偽善的リヴェラル派が自分の頭の中で妄想的に制限しているだけのことです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　なお、臣民というのは、「臣と民を分け隔てなく平等に扱う」、即ち&lt;strong&gt;「憲法の下の平等」&lt;/strong&gt;という意味です。&lt;br /&gt;　だから&lt;strong&gt;臣（武士）と民（平民）が合わさって「臣民」とされているのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　このような近代的平等概念は中世以前の日本になかったものであり、当時としては画期的なものであったことは言うまでもありません。&lt;br /&gt;　この臣民という近代的平等概念が憲法に導入されなければ「臣民ノ権利義務」が明記されなかったのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;あくまでも近代的平等概念が明治憲法に導入されたことこそが重要なポイントであって、いちいち「法の下のウンタラカンタラ書く書かない」はドーでもよいことなのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　明治憲法であれ、現行憲法であれ、憲法で保障されている権利や自由は&lt;strong&gt;「公共の福祉による制約」&lt;/strong&gt;を受けざるを得ないのです。&lt;br /&gt;　これは日本に限らず全ての国の憲法でも同じです。&lt;br /&gt;　この制約には&lt;strong&gt;「内在的制約」と「政策的制約」&lt;/strong&gt;があるのですが、憲法の条文はその性質上、抽象的な表現にならざるを得ません。&lt;br /&gt;　だから個別具体的な制約内容については、国民の代表者である国会議員が作った法律で定めているのです。&lt;br /&gt;　伊藤博文が述べていた「両者の間の適当な調和」とはまさにこのことなのです。&lt;br /&gt;　両者というのはもちろん「自由と公共の福祉」のことです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;従って、たとえ明治憲法に「法律の範囲内で」と明記されていても何ら問題はないです。&lt;br /&gt;　換言すれば、現行憲法に「法律の範囲内で」と明記されいなくても当然一定の制約を受けるものなのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　よって、「法律の範囲内で」と書いてあるかどうかなどは「どうでもよい問題」ということです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＜参考法令＞&lt;br /&gt;明治憲法に明記されていなかった「選挙権」、「生存権」、「教育権」、「労働権」、「労働団結権」は法令で保障されていた。&lt;br /&gt;・日本国憲法第１５条第３項（選挙権）&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;　普通選挙法（大正１４法律第４７号）&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　満２５歳以上の成年男子に選挙権が付与（第８条）&lt;br /&gt;　満３０歳以上の成年男子に被選挙権が付与（第１０条）&lt;br /&gt;・日本国憲法第２５条（生存権）&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;救護法（昭和４年法律第３９号）&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　６５歳以上の老衰者・１３歳以下の幼者・妊婦・疾病、傷痍その他精神又は身体の障碍に因り労務を行う故障のある者には生活扶助・生業扶助という形で救護（第１条・第１０条）&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;健康保険法（大正１１年法律第７０号）&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　大正時代から廃止されていない法律&lt;br /&gt;・日本国憲法第２６条（教育権・義務教育）&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;小学校令（明治３３年勅令第３４４号）&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　満６歳から満１４歳の児童保護者は児童に就学を義務つけたものであり、要するに児童が積極的に教育を受ける権利を保障（第３２条）&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;盲学校及聾唖学校令（大正１２年勅令第３７５号）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;普通教育を施し、知識技能を見に付ける事を目的とし、各都道府県に学校を設置することを義務付けたもの（第１条）&lt;br /&gt;・日本国憲法第２７条（労働権）&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;工場法（明治４４年法律第４６号）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　年齢性別に応じた就業内容・就業時間・休息時間などを細かく規定（第３条・第４条など）&lt;br /&gt;　労働基準法へ移行&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;職業紹介法（大正１０年法律第５５号）&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　現在の職業安定法、派遣業法のこと。&lt;br /&gt;・日本国憲法第２８条（労働団結権）&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;労働争議調整法（大正１５年法律第５７号）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　使用者と労働者団体との争議調停&lt;br /&gt;　労働関係調整法へ移行&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;労働者災害扶助法（昭和６年法律第５４号）&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　労働者が負傷疾病死亡したときの保障&lt;br /&gt;　労働基準法へ移行&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-2070343133583952882?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/2070343133583952882/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/01/blog-post_28.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/2070343133583952882'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/2070343133583952882'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/01/blog-post_28.html' title='臣民ノ権利と国民の権利'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/S2FRiAVr-YI/AAAAAAAAAGw/AKh78JLfoRA/s72-c/180px-Lorenz_von_Stein.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-7052688064181726645</id><published>2010-01-22T09:46:00.002+09:00</published><updated>2010-01-22T10:03:31.348+09:00</updated><title type='text'>敗戦からの経済復興</title><content type='html'>　京都国際文化観光都市建設法（昭和２５年法律第２５１号）という法律があります。&lt;br /&gt;　これは京都市にだけ特別に適用される法律であり、条例ではありません。&lt;br /&gt;　通常、法律を制定するには国会の議決で足りるのですが、法律というのは日本国内に適用されることは言うまでもありません。&lt;br /&gt;　しかし、ある地域のみに有効な法律を作るには国会の議決だけでは作れないのです。&lt;br /&gt;　といいますのは、憲法には次のような規定があるからなのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第９５条】&lt;br /&gt;一の地方公共団体のみに適用される&lt;strong&gt;特別法&lt;/strong&gt;は、法律の定めるところにより、その&lt;strong&gt;地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意&lt;/strong&gt;を得なければ、国会は、これを制定することができない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これに基づいて国会法では次のように規定されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【国会法第６７条】&lt;br /&gt;一の地方公共団体のみに適用される&lt;strong&gt;特別法&lt;/strong&gt;については、国会において最後の可決があつた場合は、別に法律で定めるところにより、その&lt;strong&gt;地方公共団体の住民の投票に付し、その過半数の同意&lt;/strong&gt;を得たときに、さきの国会の議決が、確定して法律となる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここでの「一の地方公共団体」は京都市のことであり、国会の可決だけではまだ「法律案」に過ぎず、これを法律とするには「住民投票で過半数の同意が必要」なのです。&lt;br /&gt;　「法律で定めるところ」というのは住民投票に関する具体的手続きのことで、地方自治法第２６１条に規定されています（条文省略）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　では、京都市のみに適用された法律の条文を紹介しましょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;【第１条（目的）】&lt;br /&gt;この法律は、京都市が世界において、明びな風光と歴史的、文化的、美術的に重要な地位を有することにかんがみて、国際文化の向上を図り世界恒久平和の理想の達成に資するとともに、文化観光資源の維持開発及び文化観光施設の整備によつてわが国の経済復興に寄与するため、同市を国際文化観光都市として建設することを目的とする。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　すなわち、「市が執行する国際文化観光事業の促進」や「市の経済復興」がこの法律の目的であります。&lt;br /&gt;　さて、日本国憲法第９５条に基づく特別法は現在約２０本あるのですが、１９５２年を最後に現在まで制定されていません。&lt;br /&gt;　言い換えれば、これら全ての&lt;strong&gt;特別法は戦後数年以内に制定された&lt;/strong&gt;のであり、いずれも敗戦からの経済復興を目的とし、&lt;strong&gt;国の財政援助・特別助成を特典とした内容の特別法&lt;/strong&gt;だったのです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　京都市以外で特別法が制定された都市は、広島市、伊東市、芦屋市などがあります。　&lt;br /&gt;　これらは&lt;strong&gt;「平和の実現」、「観光温泉文化」、「国際観光文化」&lt;/strong&gt;といった地域的特徴があり、いずれも過半数の住民が同意しました。&lt;br /&gt;　この４都市に対する特別法は条文数が少なくて読みやすいので、末尾にて記載しておきます。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「平和の実現」&lt;/strong&gt;については、広島市の他に長崎市があります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「観光温泉文化」&lt;/strong&gt;については、伊東市の他に別府市、熱海市、松山市などがあります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「国際文化」&lt;/strong&gt;については、京都市、芦屋市の他に横浜市、神戸市、奈良市などがあります。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　確かに、敗戦当時の事情を考えると経済復興というのは重要な目的だったのですが、どの都市も既に敗戦からの経済復興を成し遂げたのですから、現在には馴染まない特別法といえるでしょう。&lt;br /&gt;　特別法に指定された都市であれ、指定されなかった都市であれ、国際観光文化の促進のための必要な財政援助を国は惜しんではならないことは言うまでもありません。&lt;br /&gt;　第９５条は目立たない条文であります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＜参考＞&lt;br /&gt;&lt;a href="http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO222.html"&gt;京都国際文化観光都市建設法&lt;br /&gt;広島平和記念都市建設法&lt;br /&gt;伊東国際観光温泉文化都市建設法&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26HO008.html"&gt;芦屋国際文化住宅都市建設法&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;※電子政府の総合窓口より&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-7052688064181726645?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/7052688064181726645/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/01/blog-post_22.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/7052688064181726645'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/7052688064181726645'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/01/blog-post_22.html' title='敗戦からの経済復興'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-3554112365703126747</id><published>2010-01-14T11:40:00.008+09:00</published><updated>2010-01-14T12:44:37.156+09:00</updated><title type='text'>憲法が上か、条約が上か</title><content type='html'>　憲法が上か、条約が上か。&lt;br /&gt;　これは明治憲法制定以来の伝統的な憲法議論の１つです。&lt;br /&gt;　どちらの立場をとるにせよ、根拠条文は日本国憲法第９８条です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第９８条】&lt;br /&gt;１．この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。&lt;br /&gt;２．日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを&lt;strong&gt;誠実に遵守&lt;/strong&gt;することを必要とする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　まず、条約が上と考える人達の言い分は、簡単に言えば次の通りです。&lt;br /&gt;　第１項には条約等という文言が明記されてないから憲法は条約より上とは言えない。&lt;br /&gt;　逆に、第２項には条約等は「誠実に遵守」しなければならないと明記されているから、条約が上である。　　&lt;br /&gt;　一方、憲法が上と考える人達の言い分は、簡単に言えば次の通りです。&lt;br /&gt;　第２項にいう「誠実に遵守する条約等」というのは&lt;strong&gt;「憲法に違反しない条約等」&lt;/strong&gt;のことである。&lt;br /&gt;　逆に言えば、憲法に違反する条約は第１項に明記されている通り「その効力を有しない」のだから、憲法が上である。&lt;br /&gt;　これらは一般に&lt;strong&gt;「条約優位説」、「憲法優位説」&lt;/strong&gt;と呼ばれています。&lt;br /&gt;　さて、条約優位説も憲法優位説も第２項の「誠実に遵守する」という言葉の解釈から、お互い正反対の主張をしているのです。&lt;br /&gt;　しかし、この文言だけをもってどっちが優位かを結論づけるには無理があるでしょう。&lt;br /&gt;　それに誠実に遵守するなど「いちいち書かれなくても」と思いたくもなるでしょう。&lt;br /&gt;　それはともかく、第２項の意味をもう少し考えてみるにあたり、第９８条が作られた経緯を少し追ってみたいと思います&lt;br /&gt;　まずは昭和２１年６月２０日、政府が帝国議会に提出した帝國憲法改正案を紹介します。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;【帝國憲法改正案第九十四條】&lt;br /&gt;この憲法&lt;strong&gt;竝びにこれに基づいて制定された法律及び條約&lt;/strong&gt;は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　第２項がないのは一目瞭然なのですが、これは元を辿ると昭和２１年２月にGHQが草案したものを日本語に訳したものです。&lt;br /&gt;　ただ、これは日本国家や地方自治体の統治機構を念頭においてGHQが作成したものではなく、実はアメリカ合衆国憲法を基にして作成したものだったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【アメリカ合衆国憲法６条第２項】&lt;br /&gt;この憲法、&lt;strong&gt;これに準拠して制定される合衆国の法律、および合衆国の権限に基づいて締結されまた将来締結されるすべての条約&lt;/strong&gt;は&lt;strong&gt;、&lt;/strong&gt;国の最高法規である。各州の裁判官は、各州の憲法または法律中に反対の規定があっても、これに拘束される。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　太字を見ますと瓜二つです。&lt;br /&gt;　確かに、州権限が強いアメリカ連邦国家ならこの条文には意味があります。&lt;br /&gt;　しかし、「連邦国家と州の関係」と「日本の国家と地方自治体の関係」は全く別物で、アメリカ各州の「州憲法または州法」というのは、強いて言えば、日本の「地方自治法または条例」に相当するのです。&lt;br /&gt;　じっさい、昭和２１年７月に設置された衆議院帝国憲法改正小委員会では、&lt;strong&gt;「憲法が最高法規であることは問題ない。しかし憲法に基づいて制定された法律や条約まで他の法令よりも優位とすることは不合理ではないか」&lt;/strong&gt;という声がありました。&lt;br /&gt;　こういったことから、政府案の太字部分が削除されたのであります。&lt;br /&gt;　しかし、憲法と条約の上下関係をどのように規定するのかが問題として残っています。&lt;br /&gt;　小委員会は四苦八苦したのですが適切な表現が思いつかず、「誠実に遵守」といった的確性の欠いた文言が挿入されたのです。&lt;br /&gt;　苦肉の策といえば、まあ苦肉の策であります。&lt;br /&gt;　こうして出来上がった条文が現在の条文なのです。&lt;br /&gt;　何はともあれ、昭和２１年８月２４日、衆議院にて修正案が可決され、貴族院に送付されたのですが、同年９月２６日、貴族院でこの「苦肉の策の意味」が問われることになるのです（注１）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/S06ExiYATQI/AAAAAAAAAGo/VItELbQb3A0/s1600-h/hu_kanamori.JPG"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 134px; DISPLAY: block; HEIGHT: 185px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5426420587603971330" border="0" alt="" src="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/S06ExiYATQI/AAAAAAAAAGo/VItELbQb3A0/s400/hu_kanamori.JPG" /&gt;&lt;/a&gt; 　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;span style="font-size:78%;"&gt;【金森徳次郎（&lt;a href="http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/jinbutsu.html"&gt;国立国会図書館ｈｐ&lt;/a&gt;）】&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（以下要約）&lt;br /&gt;　質問者：大河内輝耕（子爵）&lt;br /&gt;　憲法と条約が衝突した場合、どちらが強いのですか？&lt;br /&gt;　答弁者：金森徳次郎国務大臣&lt;br /&gt;　条約というのは大きく分けて&lt;strong&gt;「普通の条約」と「特殊な条約」&lt;/strong&gt;の２つがあります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「普通の条約」というのは、国家間の規定、各国民の権利義務の規定、またはその両方を規定した条約のことで、「国内法的な内容を持っている条約」のことです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　国内法の秩序を決める根本原理は憲法である以上、憲法に違反する条約が国内法的効力を持つことは考えられません。&lt;br /&gt;　つまり憲法が条約に優先するのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;それに対し、「特殊な条約」というのは、国体護持・国家存亡の根本そのものに関わる条約のことです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　その具体例として「ポツダム宣言」があります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;この場合は、憲法が条約に優先するとは言えず、憲法も条約によって制限されるのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　さて、第９８条第２項にいう&lt;strong&gt;「誠実に遵守する」&lt;/strong&gt;なる言葉は条文としての的確性を欠いているのかもしれませんが、&lt;strong&gt;条約を一義的に規定することは容易ではない&lt;/strong&gt;こともご理解頂きたい。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;条約には上記の２つの複雑な意味がある以上、条約が直ちに憲法以下のものであるとは言い切れないというのが第２項の意味であります。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;（以上要約）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　つまり、特殊な条約でないならば憲法が条約より上になるわけです。&lt;br /&gt;　これは現在の日本政府も&lt;strong&gt;「一般的には憲法が条約に優位する」&lt;/strong&gt;と解釈しています（注２）。&lt;br /&gt;　なお、金森徳次郎氏は初代国立国会図書館の館長としても知られています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ところで、条約と憲法との間に「ズレ」が生じた場合、条約が憲法に違反している否かは憲法上、最終的には裁判所が判断することになります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第８１条】&lt;br /&gt;最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　条約優位説に従えば、憲法が条約に違反しているか否かが問題とされるのであり、憲法が条約に違反していれば、憲法の条文が無効となり、直ちに憲法の条文が改正されなければならないでしょう。&lt;br /&gt;　一方、憲法優位説に従えば、条約優位説と正反対になります。&lt;br /&gt;　さて、裁判所も基本的には憲法優位説を採用しているのですが、難儀なことに、違憲か合憲かを積極的に判断することを回避しているのです。&lt;br /&gt;　俗に「砂川事件」なる判決において最高裁は、&lt;strong&gt;「条約に余程の憲法違反がない限り、裁判所は条約が憲法違反か否かを積極的に判断しない」&lt;/strong&gt;と言っているのです。&lt;br /&gt;　なんとも歯切れの悪い判例なのですが、そもそも条約という文言が条文に入ってないのだから、裁判所は「条約については審査の対象外」と解釈することも可能でしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以上、憲法と条約の力関係についてお話をしました。&lt;br /&gt;　なお、条約と法律の関係については、これは&lt;strong&gt;条約が法律に優位する&lt;/strong&gt;とされています。&lt;br /&gt;　ただし、条約締結（第６１条）より法律制定（第５９条）の方が条件的に厳しいといった手続上の観点から法律が条約に優位と解する余地がないわけではありません。&lt;br /&gt;　現在、優位説は主に「国際連合憲章・日米安保条約」と「日本国憲法第９条第２項・第９８条第２項」との関係において論じられています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;（注１）&lt;/span&gt; &lt;span style="font-size:78%;"&gt;&lt;a href="http://www.sangiin.go.jp/japanese/kenpou/kizokuin/contents/s210926i22.html"&gt;第九十回帝國議會貴族院　帝國憲法改正案特別委員會議事速記録第二十二號&lt;br /&gt;&lt;/a&gt;（注２）&lt;/span&gt; &lt;span style="font-size:78%;"&gt;&lt;a href="http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/155/touh/t155002.htm"&gt;平成１４年１２月６日の答弁書第ニ号（ニ）&lt;br /&gt;&lt;/a&gt;注１・２共に参議院公式ｈｐより&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-3554112365703126747?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/3554112365703126747/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/01/blog-post_14.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' 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width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-5211152590226773962</id><published>2010-01-07T14:40:00.010+09:00</published><updated>2010-01-07T18:39:00.463+09:00</updated><title type='text'>様々な条文解釈の方法</title><content type='html'>　今回は様々な条文解釈の技術を紹介したいと思います。&lt;br /&gt;　憲法であれ法律であれ規則であれ、全ての場面や事態を条文で表現できるものではありません。&lt;br /&gt;　文言に規定されていないトラブルが起こったとき、規定されている条文をどのように解釈して対処するか。&lt;br /&gt;　例えば、ある「注文の多いフランス料理店」に&lt;strong&gt;「犬・猫持ち込み禁止」&lt;/strong&gt;なる規則があるとしましょう。&lt;br /&gt;　以下、現実的でない話がたくさんでてきますが、あくまでも形式的な技術上の話と考えて頂ければと思います。&lt;br /&gt;　まず、規則を普通に素直に読めば「犬と猫は持ち込めない」ということになります。&lt;br /&gt;　それ以上もそれ以外も何もありません。&lt;br /&gt;　これを&lt;strong&gt;「文理解釈」&lt;/strong&gt;といい、何はともあれこれが条文解釈の出発点です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、店に狼やライオンを客が連れて来たとしましょう。&lt;br /&gt;　狼やライオンのことなど規則に書いてありません。&lt;br /&gt;　狼やライオンは犬猫と違うのだから店に持ち込めると考えることができます。&lt;br /&gt;　これを&lt;strong&gt;「反対解釈」&lt;/strong&gt;といいます。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　まあ、これらを店に持ち込めるとなると店は大変です。&lt;br /&gt;　そこで、犬や猫を「イヌ科・ネコ科」と解釈してみましょう。&lt;br /&gt;　狼はイヌ科、ライオンはネコ科ですから、狼・ライオンは犬猫に含まれますね。&lt;br /&gt;　このように、言葉の意味を広げて解釈することを&lt;strong&gt;「拡大解釈」&lt;/strong&gt;といいます。&lt;br /&gt;　拡大解釈の場合、「含む・含まれる」という表現がよく使われます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　では、生後間もない小さな子犬や子猫を連れて来たとしましょう。&lt;br /&gt;　上記の解釈に従えば、確かに子犬も子猫も持ち込めないことになります。&lt;br /&gt;　しかし、ほとんど動くこともない大人しい子犬や子猫にまで持ち込み制限をしたところで店の損害が出るとは考えるのは余りにも大袈裟でしょう。&lt;br /&gt;　そこで、子犬や子猫は「普通の物」と考えて、生後間もない子犬、子猫は規則にいう犬・猫に含まれないと解釈します。&lt;br /&gt;　このように犬や猫の範囲を絞って解釈することを&lt;strong&gt;「縮小解釈」&lt;/strong&gt;といいます。&lt;br /&gt;　縮小解釈の場合、「含まない・含まれない」という表現がよく使われます。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;　☆拡大解釈・縮小解釈の具体例（注）&lt;br /&gt;　　ア．自衛のための戦力は、憲法第９条第２項にいう「戦力」に&lt;strong&gt;含まれる&lt;/strong&gt;。&lt;br /&gt;　　イ．自衛の放棄は、憲法第９条第１項にいう「戦争の放棄」に&lt;strong&gt;含まれない&lt;/strong&gt;。&lt;br /&gt;　　ウ．自衛のための必要最小限の実力は、憲法第９条第２項にいう「戦力」に&lt;strong&gt;含まれない&lt;/strong&gt;。&lt;br /&gt;　　　　アは拡大解釈、イは縮小解釈、ウは縮小解釈です。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/S0Vz6FYKf7I/AAAAAAAAAGg/G7adIWrsalM/s1600-h/chumon_02.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 400px; DISPLAY: block; HEIGHT: 287px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5423868767950766002" border="0" alt="" src="http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/S0Vz6FYKf7I/AAAAAAAAAGg/G7adIWrsalM/s400/chumon_02.jpg" /&gt;&lt;/a&gt; 　　　　　　　　　　　　　　　　【西洋料理　山猫軒（&lt;a href="http://yoshio-niikura.cocolog-nifty.com/tanabota/2008/07/post_5df6.html"&gt;たなぼた&lt;/a&gt;）】&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;　では、客がニワトリを店に連れて来たとしましょう。&lt;br /&gt;　例えばこれを反対解釈すると、ニワトリを持ち込むことができるのです。&lt;br /&gt;　しかし見方を少し変えてみますと、犬や猫というのは、「客が自分の手元や膝元などで管理できない物」と考えることができるのです。&lt;br /&gt;　このように考えれば、ニワトリなど尚更手元や膝元などで管理できませんね。&lt;br /&gt;　従って、ニワトリは勿論駄目と解釈することを&lt;strong&gt;「勿論解釈」&lt;/strong&gt;といいます。&lt;br /&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　さて、手元で管理する云々というより、そもそも店がこのような禁止規定を作った理由からニワトリの持ち込を考えることもできるのです。&lt;br /&gt;　例えば、かつて犬や猫が店内で走り回ったり暴れたり、大声で泣いたり吼えたりされて営業にならなかったから犬猫を禁止したとしましょう。&lt;br /&gt;　そうすると、ニワトリは店に持ち込むことができません。&lt;br /&gt;　このように、立法者（店）が規則を作った理由に基づいて解釈することを&lt;strong&gt;「立法者意思解釈」&lt;/strong&gt;といいます。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし現在、犬、猫、ニワトリが入る防音の籠なり箱があって、それをテーブルの下に置けるのなら当時の弊害的事情は除去されたと考え、ニワトリを持ち込むことはできると解釈できるのです（少し強引ですが）。&lt;br /&gt;　これは具体例を積んで実感できないと難しいかもしれませんが、当時の制定理由が現状と馴染むか否かを考えて解釈することを&lt;strong&gt;「目的論的解釈」&lt;/strong&gt;といいます。&lt;br /&gt;　特に「立法者意思解釈」と「目的論的解釈」は、憲法解釈の上で非常に重要な役割を果たしています。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　一方、上記の規則制定理由とは別に、「犬猫は飛び上がって食事にならないから」店に持込めないと考えてみましょう。&lt;br /&gt;　ニワトリは基本的に飛ばないものの（これには生物学的に諸説あるようですが）、羽根をバタつかせて迷惑をかける点では類似していますから、ニワトリにもこの規定を適用しようというものです。&lt;br /&gt;　このように１つの事項（犬猫の飛上）を別の事項（ニワトリの羽ばたき）にも及ばせて解釈することを&lt;strong&gt;「類推解釈」&lt;/strong&gt;といいます。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　以上、よくある解釈技術の幾つかを紹介しました。&lt;br /&gt;　「要は結論を正当化するための理屈やこじつけではないのか」と思われるでしょう。&lt;br /&gt;　確かにその通りであり、このことが実感できれば法学を半分理解できたといっても過言ではありません。&lt;br /&gt;　また、解釈名は法学において必ずしも厳格に使い分けられているものではありません。&lt;br /&gt;　しかし、余りにも無茶苦茶な非合理的解釈や、最初から無理矢理結論づけるような「独りよがりの解釈」、「ご都合解釈」、「時代錯誤な解釈」というのは許されるものではないのです。&lt;br /&gt;　例えば、犬猫を「四足歩行の動物」などと解釈してしまうと、牛、馬、「ウシ科」、「ウマ科」なども全て四足歩行の対象となり、これでは犬猫の意味を失うから駄目であります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;条文を解釈する上で大切なことは、文言の許容される幅、条文の規範性、社会通念、社会や国情の変化、その他の要素を総合的に考慮することです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　具体的な解釈例を１つ１つ粘り強く慌てず焦らず諦めず理解すること。&lt;br /&gt;　このことが憲法を始め、法律を理解する上で「一番遠いようで一番の近道」なのかもしれません。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;注）戦力または自衛隊に関する政府統一見解&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;ア．１９５２年１１月、第４次吉田内閣の統一見解&lt;br /&gt;イ．１９５４年１２月、鳩山内閣の統一見解&lt;br /&gt;ウ．１９７２年１１月、田中内閣の統一見解&lt;br /&gt;※アについては、「戦力」に至らない程度の実力を保持しこれを直接侵略防衛に供することは違憲ではない。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-5211152590226773962?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/5211152590226773962/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/01/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/5211152590226773962'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/5211152590226773962'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2010/01/blog-post.html' title='様々な条文解釈の方法'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/S0Vz6FYKf7I/AAAAAAAAAGg/G7adIWrsalM/s72-c/chumon_02.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-4248750420715637031</id><published>2009-12-29T08:32:00.007+09:00</published><updated>2010-01-07T18:42:38.891+09:00</updated><title type='text'>伊藤博文と小惑星</title><content type='html'>　１２月８日、&lt;strong&gt;「Hirobumi」&lt;/strong&gt;と名付けられた小惑星が国際天文学連合に登録されたことを、山口県山口博物館が発表しました。&lt;br /&gt;　この小惑星の発見者は、久万高原天体観測館で勤務する中村顕正さん。&lt;br /&gt;　中村さんは、今まで９０個もの小惑星を発見し、命名されてきました。&lt;br /&gt;　例えば、&lt;strong&gt;「Shoin（吉田松陰）」、「Shinsaku（高杉晋作）」、「Carp」&lt;/strong&gt;などなど。&lt;br /&gt;　Carpと命名したのは、中村さんが広島ファンだからだそうです☆&lt;br /&gt;　中村さんは今回、「Hirobumi」と名付けられたのですが、これは吉田松陰といい、高杉晋作といい、中村さんも山口県御出身なので、きっと同郷の偉人に興味をお持ちなのでしょう。&lt;br /&gt;　小惑星を発見した人はその名前を決めることができるのですが、国際天文学連合によると、政治家の名前をつける場合は&lt;strong&gt;死後１００年を経過&lt;/strong&gt;しないと命名できないのです。&lt;br /&gt;　伊藤博文が亡くなったのは１９０９年ですから、Hirobumiと名付けても構わないのです。&lt;br /&gt;　私などは理数系の人間だったとはいえ天文学はサッパリ駄目でしたので、小惑星を１つ発見するだけでも偉業だと思うのですが、中村さんは９０個もの小惑星を発見されているのですから、伊藤博文と並ぶ、いや、それ以上の大偉業を成し遂げられているといっても過言ではないでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SzlApQUutbI/AAAAAAAAAGY/eE4jo2VZ6_o/s1600-h/trd0912081849009-p1.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 193px; DISPLAY: block; HEIGHT: 255px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5420434704017831346" border="0" alt="" src="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SzlApQUutbI/AAAAAAAAAGY/eE4jo2VZ6_o/s400/trd0912081849009-p1.jpg" /&gt;&lt;/a&gt; 　　　　　　　　　　　　　　　　 &lt;span style="font-size:78%;"&gt;【Hirobumi（&lt;/span&gt;&lt;a href="http://sankei.jp.msn.com/life/trend/091208/trd0912081849009-n1.htm"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;MSN産経ニュース&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;）】&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　話は変わりまして、伊藤博文が記した「帝國憲法義解」に&lt;strong&gt;「星」&lt;/strong&gt;という言葉が使われていたのを思い出しましたので、今回はこの文章を紹介します。&lt;br /&gt;　一番最初の文章です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【帝國憲法義解】&lt;br /&gt;竊に惟ふに皇室典範は歴聖の遺訓を祖述し後昆の常軌を垂貽し帝國憲法は国家の大経を綱舉し君民の分義を明劃す意義精確炳として日&lt;strong&gt;星&lt;/strong&gt;の如く文理深奥、辞の賛すへきなし&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　簡単に言えば、帝國憲法は単なる文言ではなく、帝國憲法の文理には「日星の如く」奥深～いものがあるのです。&lt;br /&gt;　さて、帝國憲法義解の冒頭から（旧）皇室典範なる語が出てきます。&lt;br /&gt;　私が初めて読んだとき、「なんでかなあ」と疑問に感じたのですが、実は&lt;strong&gt;「皇室」こそ帝國憲法の急所&lt;/strong&gt;なのです。&lt;br /&gt;　このことは、伊藤博文（当時は枢密院議長）が貴族院で端的に断言しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;抑歐洲に於ては憲法政治の萌芽せる事千餘年、獨り人民の此制度に習熟せるのみならず、また&lt;strong&gt;宗教なる者ありて之が機軸を爲し&lt;/strong&gt;、深く人心に滲潤して人心之に歸一せり。然るに我國に在ては宗教なる者其力微弱にして、一も國家の機軸たるへきものなし。&lt;strong&gt;佛教&lt;/strong&gt;は一たび隆盛の勢ひを張り上下の人心を繋ぎたるも、今日に至ては已に衰替に傾きたり。&lt;strong&gt;神道&lt;/strong&gt;は祖宗の遺訓に基き之を祖述すとは雖、宗教トシテ人心ヲ歸向セシムルノ力ニ乏シ。宗教として我國に在て機軸とすへきは&lt;strong&gt;獨り皇室にあるのみ。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;～明治２１年６月１８日貴族院にて～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　重要なポイントは&lt;strong&gt;「宗教なる者ありて之が機軸を爲し」&lt;/strong&gt;の部分です。&lt;br /&gt;　つまり、ヨーロッパ憲法の機軸が「宗教にある」ことを伊藤博文は見抜いたのです。&lt;br /&gt;　彼はこの日の発言で、何回も繰り返し「機軸」という言葉を使っています。&lt;br /&gt;　なお、宗教というのは「キリスト教」のことです。&lt;br /&gt;　もちろん当時の日本にキリスト教が根付いているはずがありません。&lt;br /&gt;　では一体何を機軸にすればよいのか。&lt;br /&gt;　伊藤博文が憲法を作る際、最も困ったのはこの&lt;strong&gt;「宗教的機軸の確定」&lt;/strong&gt;でした。&lt;br /&gt;　こればかりはヨーロッパやその他の諸国の事情を参考にすることができない。&lt;br /&gt;　日本でキリスト教の代わりになるのは仏教か、神道か。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　佛教は‥衰替に傾きたり。&lt;br /&gt;　神道は‥人心を歸向せしむるの力に乏し。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　既存の宗教、伝統的宗教では「新しい憲法の機軸」にはなり得ない。&lt;br /&gt;　困りに困り、悩みに悩んだ末、ついに伊藤博文は機軸を「発見」したのでした。&lt;br /&gt;　それは皇室です。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「我國に在て機軸とすへきは獨り皇室にあるのみ」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　近代国家を建設するためには&lt;strong&gt;「皇室の近代化」&lt;/strong&gt;だけは絶対に欠かせないと考えたのです。&lt;br /&gt;　もちろん、宮中保守派は黙って認めるわけがありませんし、実際、皇室の近代化には激しく抵抗し、怒りの矛先は当然伊藤博文に向けられました。&lt;br /&gt;　まだまだ近代国家として未成熟だった時代における宮中保守派の抵抗が如何に凄まじかったかは想像に難くないのですが、伊藤博文にとって憲法制定というのはまさに「命懸け」の作業だったのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;帝國憲法の急所は旧皇室典範であり、帝國憲法義解の急所は皇室典範義解であります。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　伊藤博文が帝國憲法義解でノッケから「皇室典範」と言ったのは、こういった背景があったのです。&lt;br /&gt;　伊藤博文は帝國憲法義解だけでなく、&lt;strong&gt;「皇室典範義解」&lt;/strong&gt;も記しています。&lt;br /&gt;　皇室典範義解を読むと、彼の卓越した「極めて高度な合理的判断力」には度肝を抜かされるのですが、これについては来年にでも折を見て紹介したいと思っています。&lt;br /&gt;　伊藤博文の立憲精神は、今も、そしてこれからも輝きを失うことのない&lt;strong&gt;星&lt;/strong&gt;なのです。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-4248750420715637031?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/4248750420715637031/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/12/blog-post_29.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4248750420715637031'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4248750420715637031'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/12/blog-post_29.html' title='伊藤博文と小惑星'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SzlApQUutbI/AAAAAAAAAGY/eE4jo2VZ6_o/s72-c/trd0912081849009-p1.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-4796364298798010030</id><published>2009-12-24T15:16:00.016+09:00</published><updated>2009-12-25T09:53:56.423+09:00</updated><title type='text'>小沢君、日本国憲法を読んだ？</title><content type='html'>　１２月１４日、夕方の定例記者会見。&lt;br /&gt;　これは中国の習近平国家副主席（序列第６位）の訪日（天皇陛下との会見）に関する小沢一郎民主党幹事長の記者会見のことです。&lt;br /&gt;　この幹事長の憲法に対する発言が、マスコミやネットで物議を醸していることはご存知のことでしょう。&lt;br /&gt;ネットなどでは幹事長のことを、&lt;strong&gt;「中共（中国共産党）の走狗、パシリ」&lt;/strong&gt;だとか、&lt;strong&gt;「朝鮮労働党の序列第２位」&lt;/strong&gt;だとか、&lt;strong&gt;「小沢上皇」、「オザーリン」、「馬賊」、「国賊」、「売国奴」&lt;/strong&gt;だとか様々な言葉でこの幹事長のことを評価しているのですが、私は率直にこれらの表現は国民感情としては極めて適切なものと考えております。&lt;br /&gt;　はっきり言って小沢君は&lt;strong&gt;「火病」&lt;/strong&gt;というか&lt;strong&gt;「発作的激憤」&lt;/strong&gt;というか&lt;strong&gt;「狂気」&lt;/strong&gt;というか何と言うか‥。&lt;br /&gt;　自民党を壊した「反射的効果で」頭が&lt;strong&gt;クルクルパー&lt;/strong&gt;になったのかと思うくらいあの記者会見には驚愕しました。&lt;br /&gt;　よくまああれだけ憲法音痴を「羞恥心のカケラもなく」見事に曝け出したものです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;この醜態に対し、さすがに閣僚から非難の声があがると思いしや、菅直人副総理が特例会見において（限定的ではあるが）宮内庁長官に一定の理解を示した以外、他の閣僚は幹事長を擁護するか若しくは沈黙を守るだけという何とも情けない有様でした。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　この暴言に対する日本国憲法第４条、第６条、第７条等の解釈については様々な知人の意見を聞いたりネットで閲覧しました。&lt;br /&gt;　幹事長非難に関しては、どの意見も概ねもっともだと思いましたし、感情の奥底から沸く&lt;strong&gt;「悲鳴に近い怒り」&lt;/strong&gt;というものをヒシヒシと感じました。&lt;br /&gt;　ただ、私が見たところ、憲法解釈云々以前の問題として、そもそも小沢君は&lt;strong&gt;「日本国憲法第１条」&lt;/strong&gt;の理解が全く空っぽなのではないかと感じたのです。&lt;br /&gt;　今回は、まず日本国憲法第１条の&lt;strong&gt;「象徴」&lt;/strong&gt;規定を検討した上、小沢君の発言を検討したいと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第１条】&lt;br /&gt;天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この条文を起草したのは、天皇・条約に関する規定を担当したGHQの陸軍中尉であったジョージ・A・ネルソンという人です。&lt;br /&gt;　彼がこの条文のキーワードである「象徴」および「統合の象徴」なる文言を挿入する際、&lt;strong&gt;「ウォルター・バジョットの英国憲法」&lt;/strong&gt;という本を参考にしたことは、憲法学では基本中の基本であり常識中の常識であります。&lt;br /&gt;　バジョット先生の「英国憲法」は、様々な憲法研究会などで引用されている有名な本であり、また&lt;strong&gt;昭和天皇がこの本を愛読されていた&lt;/strong&gt;ことでも有名であります。&lt;br /&gt;　早速ネルソン中尉が参考にした部分を紹介します。（注１）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国民は党派をつくって対立しているが、君主は不偏不党である。君主は表面上、政務と無関係である。そしてこのために敵意をもたれたり、神聖さをけがされたりすることがなく、神秘性を保つことができるのである。またこのため君主は、相争う党派を融合させることができ、教養が不足しているためにまだ&lt;strong&gt;象徴&lt;/strong&gt;を必要とする者に対しては、目に見える&lt;strong&gt;統合の象徴&lt;/strong&gt;となることができるのである&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この引用だけで充分なのですが、小沢君は慶應義塾大学を卒業されているようでありますから、せっかくなので特別にもう１つ紹介しましょう。&lt;br /&gt;　福沢諭吉先生の&lt;strong&gt;「帝室論」&lt;/strong&gt;からです。（注２）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　帝室は&lt;strong&gt;政治社外&lt;/strong&gt;のものなり。苟も日本国に居て政治を談じ政治に関する者は其主義において帝室の&lt;strong&gt;尊厳と其神聖とを濫用す可からず&lt;/strong&gt;との事は、我輩の持論にして之を古来の史乗に徴するに、日本国の人民が此&lt;strong&gt;尊厳神聖&lt;/strong&gt;を用いて直に日本の人民に敵したることなく又日本の人民が結合して直に帝室に敵することもなし。&lt;br /&gt;　国会の政府は二様の政党が相争うて&lt;strong&gt;火の如く水の如く盛夏の如く厳冬の如く&lt;/strong&gt;ならんと雖ども、帝室は&lt;strong&gt;萬年の春&lt;/strong&gt;にして人民これを仰げば悠然として和気を催す可し。国会の政府より頒布する法令は其冷なること水の如く其情の浅きこと紙の如くなりと雖ども、帝室の恩徳は其甘きこと&lt;strong&gt;餅の如く&lt;/strong&gt;して人民これを仰げば以って其慍を解く可し。何れも皆政治社外に在るに非ざれば行わざる可らざるなる事なり。西洋の一学士帝王の尊厳威力を論じて之を一国の&lt;strong&gt;緩和力&lt;/strong&gt;と評したるものあり。意味深遠なるが如し。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「西洋の一学士」がバジョット先生のことを指しているか否かは不明ですが、バジョット先生も福沢先生も同じ事を言ってます。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;権力と権威、政体と国体は違うのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　つまり、国民は党派を作って対立しているが（火の如く・水の如く・盛夏の如く・厳冬の如く）、君主は不偏不党（政治社外・萬年の春・餅の如く）なのです。&lt;br /&gt;　王室（帝室）は神聖さと神秘性（尊厳と神聖）を保つことができ、君主は相争う政党を融合させることができ（緩和力）、だからこそ君主は目に見える象徴となることが出来るのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SzMHrt83icI/AAAAAAAAAGQ/FZXd8UwvFgI/s1600-h/bagehot_walter.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 247px; DISPLAY: block; HEIGHT: 300px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5418683224307501506" border="0" alt="" src="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SzMHrt83icI/AAAAAAAAAGQ/FZXd8UwvFgI/s400/bagehot_walter.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　&lt;span style="font-size:78%;"&gt;【ウォルター・バジョット（&lt;/span&gt;&lt;a href="http://www.born-today.com/Today/03-24.htm"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;Steve’s Pages&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;）】&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　なお今上天皇は、象徴について次のように述べておられます（当時は皇太子）。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;★日本の皇室は、&lt;strong&gt;長い歴史を通じて&lt;/strong&gt;、政治を動かしてきた歴史はきわめて短いというところが特徴であり、外国にはない例かと思います。&lt;strong&gt;政治から離れた立場で&lt;/strong&gt;国民の苦しみに心を寄せたという過去の天皇の話は、象徴という言葉で表すにはもっともふさわしいあり方ではないかと思っています。&lt;br /&gt;～１９８４年４月、銀婚式記念記者会見での発言～&lt;br /&gt;★日本国憲法は、天皇は国と国民の統合の象徴であると明文化しています。だから、憲法で与えられた国事行為以外にも、天皇の&lt;strong&gt;象徴として演じる役割&lt;/strong&gt;があるのです。&lt;br /&gt;～１９８８年９月、在日米国記者団の質問に対する回答～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その他、今上天皇が第１条の象徴または皇室について語られるとき、必ずといっていいほど&lt;strong&gt;「長い歴史」、「国民のために」、「国のために」&lt;/strong&gt;といった言葉を添えておられます。&lt;br /&gt;　このお言葉は、日本近代憲法に限定して言えば、明治天皇陛下由来の精神であります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【明治憲法前文（抜粋）】&lt;br /&gt;・朕が親愛する所の臣民は即ち朕が祖宗の恵撫慈養したまいし所の臣民なるを念い&lt;br /&gt;・其の康福を増進し其の懿徳良能を発達せしめむことを願い&lt;br /&gt;・其の翼賛に依り与に倶に国家の進運を扶持せむことを望み&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これらは「長い歴史」、「国民のために」、「国のために」に合致しているものであり、これが&lt;strong&gt;「立憲愛民精神」&lt;/strong&gt;なのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「立憲君主制」と「立憲愛民精神」は一点の矛盾も無い表裏一体のものなのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　これが日本人の日本国憲法の原義です。&lt;br /&gt;　つまり、日本国憲法第１条でいう「日本国民の総意」というのは、現在生きている主権者である私達だけのことを指しているのでは決してなく、私たちに命を授けてくれた両親や先祖、つまり&lt;strong&gt;「長い歴史に生きてきた総ての日本国民」&lt;/strong&gt;を指しているのです。&lt;br /&gt;　日本国民の総意というのは、長い歴史や慣習の中で無数の国民が大切に培ってきた大きな「集合体」なのです。&lt;br /&gt;　ここが今回の最重要ポイントです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;小沢君の発言で１番問題なのは、日本国民の総意というのを、単に「現在の日本国民の総意」と完全に勘違いしていることです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　小沢君の言う「日本国民の総意」の必要条件というのは、あくまでも&lt;strong&gt;「選挙」&lt;/strong&gt;なのです。&lt;br /&gt;　この「選挙」というのが、小沢君の第１条誤解の全ての原点であります。&lt;br /&gt;　選挙で国民的合意を獲得したのだから&lt;strong&gt;「私の意思」が国民の総意、民意&lt;/strong&gt;だと言っているのです。&lt;br /&gt;　だから記者会見でやたら「国民の代表である内閣、国民が選んだ内閣」と強調しておったわけであります。&lt;br /&gt;　正確には小沢君は閣僚ではありませんが、自分は「選挙によって国民に召された人間」なのだから&lt;strong&gt;「天皇も内閣も動かせる人間だ」&lt;/strong&gt;と言っておるのです。&lt;br /&gt;　つまり小沢君は、第１条所定の総意というのを単なる「点」でしか考えていないのです。&lt;br /&gt;　数学的なイメージで言えば、点を１回積分したものが線（今まで生きてきた総ての日本人）であり、これを積分したものが面（国家）であり、これを時間で関数表現したのが歴史であり「象徴」なのです。&lt;br /&gt;　選挙で勝利した「だけ」をもって民意という美名の下に自分が何でも天皇陛下を利用出来るというのが小沢君の言う民主主義なのであります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;しかしこれは「立憲君主制」における民主主義ではなく、「人民共和国制（例えば中国や北朝鮮）」における民主主義であることに注意しなければなりません。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　またこれも重要な点なのですが、小沢君のいう「国民が選んだ内閣」、「内閣の方針」、「内閣の決定」、「内閣の助言と承認」というのは、&lt;strong&gt;「どうせ天皇に拒否権がないのだから」&lt;/strong&gt;という意味です。&lt;br /&gt;　小沢君は拒否権という言葉は使わなかったものの、天皇陛下の拒否権についてハッキリと次のように述べております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;★天皇陛下ご自身に聞いてみたら、手違いで遅れたかもしれないけれども、会いましょうと、必ずそうおっしゃると思うよ。わかった？★&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　この発言に少なからず違和感を覚えた方がたくさんいたことと思います。&lt;br /&gt;　個人的にはこの発言が一番問題だと考えているのですが、&lt;strong&gt;天皇陛下に拒否権がないことを「知っていながら」&lt;/strong&gt;このように発言しておるのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;これは、小沢君のようなコスずるい権力フェチがちょっと憲法をカジると必ずこの点に目を着けるのであり、極めて危険なのです。&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　日本国憲法の理念だとか精神だとか本旨だとか民主主義の理解だとか、記者会見で何を必死のパッチで&lt;strong&gt;憲法の「ケ」の字も知らずに&lt;/strong&gt;墓穴を掘りまくっておるのか。&lt;br /&gt;　小沢君はそもそも第１条からピントの狂った狂犬的解釈をしておるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SzMHjywqDfI/AAAAAAAAAGI/5lCkAWgaTcQ/s1600-h/091216-1.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 400px; DISPLAY: block; HEIGHT: 278px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5418683088159510002" border="0" alt="" src="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SzMHjywqDfI/AAAAAAAAAGI/5lCkAWgaTcQ/s400/091216-1.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　&lt;span style="font-size:78%;"&gt;【１２月１５日、天皇陛下と習近平氏（&lt;/span&gt;&lt;a href="http://www.worldtimes.co.jp/today/photonews/091216/091216-1.html"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;世界日報社&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;）】&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　次に国事行為ですが、この全般的な検討については別の機会にします。&lt;br /&gt;　さて、私が記者会見を見た限り、小沢君はどうやら習近平国家副主席の接受を国事行為と考えているようであります。&lt;br /&gt;　根拠条文は次の通り。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第７条第９号】&lt;br /&gt;外国の大使及び公使を接受すること。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　すなわち、外国要人である習近平国家副主席の接受を、大使及び公使の接受（国事行為）に含めて解釈しているわけであります。&lt;br /&gt;　これはこれで１つの考え方であり、天皇の全ての行為を「私的行為」と「それ以外の行為」の２つに分け、私的行為以外の行為を&lt;strong&gt;国事行為&lt;/strong&gt;としているわけです。&lt;br /&gt;　しかし、大使、公使以外の外国要人について憲法には何ら規定がありません。&lt;br /&gt;　そこで、国賓・公賓・公式実務訪問賓客・実務訪問賓客などについては&lt;strong&gt;「公的行為（ご公務）」&lt;/strong&gt;として扱おうという考え方もあるのです。&lt;br /&gt;　外国要人の接受を国事行為と考えるのか、ご公務と考えるのか、ご公務と考えるなら如何なるご公務なら内閣の助言と承認は必要なのか。&lt;br /&gt;　これについての公的解釈はあるにはあるのですが、まだ完全に解釈が確定していないのが現状です。&lt;br /&gt;　問題なのは、まだはっきり決まっていないことを一方的強権的に国事行為と決め付けたうえ、「公権力を行使して」内閣を恫喝し、天皇陛下と国家副主席との会見を強行させたことです。&lt;br /&gt;　小沢君は&lt;strong&gt;「習副主席と天皇陛下を会見させるべきだとか、させるべきでないとかというようなことを言った事実はありません」&lt;/strong&gt;などと白々しくトボケてますが、こんなことを額面どおりに信用する者など何処にもおりません。&lt;br /&gt;　憲法の解釈確定権者は役所でもなければ、ましてや党の幹事長でもありません。&lt;br /&gt;　これは国会であり最終的には国民であります（第９６条）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 また、今回&lt;strong&gt;「１ヶ月ルール」&lt;/strong&gt;が話題となりました。&lt;br /&gt;　１ヶ月ルールというのは、ご多忙な天皇陛下のご公務を円滑に遂行して頂くことを目的として、宮内庁式部官長が外務省儀典長に発した&lt;strong&gt;通達&lt;/strong&gt;（宮内式発第４０３号：平成７年３月１３日）のことです。&lt;br /&gt;　これについても色々と間抜けな発言を繰り返しておりますが、要するに、自分が思うように天皇を振り回せない根拠として持ち出されたのが「役人の作った１ヶ月ルール」だったから、「役人が悪い」などと腹癒せにギャーギャー吼えておっただけのことです。&lt;br /&gt;　まっ、一ヶ月ルールと政治利用は直接関係が無いことだけ理解しておけば大した問題ではありません。&lt;br /&gt;　それよりも断じて看過出来ないのはこの発言です。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;★天皇陛下のお体がすぐれないと、体調がすぐれないというのならば、それ（習近平氏との会見）よりも優位性の低い行事を、お休みになればいいことじゃないですか。そうでしょ、わかった？★&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　 この発言に対して、私も含めて多くの方々が最も生理的不快感を示したところであります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;優位性の低い行事とは一体どういう行事ですかぁ？&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　小沢君はこの発言の前に&lt;strong&gt;「一ヶ月ルールって誰が作ったの？知らないんだろ、君は」&lt;/strong&gt;などと発言したのですが、それなら、&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「優位性の低い行事って誰が作ったの？知ってるよな～、小沢君は」&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　天皇陛下のご公務に優先劣後があるなど見たことも聞いたことも考えたことすらありません。&lt;br /&gt;　天皇陛下のご公務に優先劣後など到底あり得ないことは、皇太子殿下が記者会見でズバリ次のように述べておられます。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;このことについては，以前からもお話ししていますように，すべての公務は「天皇陛下をお助けしつつ，国民の幸福を願い，国民と苦楽を共にしていく」という皇室のあるべき姿が基礎にあります。&lt;strong&gt;天皇陛下のご公務を拝見していると，もちろん国事行為としてのご公務がおありになるわけですけれども，それに加えて，天皇というお立場であるがゆえに公平性などが重んじられて，式典や，皇居の中での外からは見えないところでのご公務なども随分おありになると思います。&lt;/strong&gt;陛下のご年齢を考えますと，陛下のお仕事の全体の量をよく把握しながら，ご公務の調整をしていくことは大切なことと思います。私としては，陛下が&lt;strong&gt;もう少しお休みになれる機会&lt;/strong&gt;をお作りし，ごゆっくりしていただくことを&lt;strong&gt;周囲が考える必要がある&lt;/strong&gt;と思います。この辺のことは，周囲が，陛下とよくご相談しつつ，陛下のお気持ちに沿う形で事を進めていくことが大切と考えます。&lt;br /&gt;～平成２０年２月２１日「皇太子殿下お誕生日に際し（平成２０年）」～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 上述した今上天皇のお言葉は勿論のこと、この皇太子殿下のお言葉は&lt;strong&gt;「立憲君主制と表裏一体を成す立憲愛民精神」&lt;/strong&gt;そのものであります。&lt;br /&gt;　また、天皇陛下および皇室の&lt;strong&gt;「至公至平性」&lt;/strong&gt;を映し出した極めて至当なお言葉でもあり、これ以上何の説明も要するものではありません。&lt;br /&gt;　皇太子殿下のおっしゃるとおり「陛下のお気持ちに沿う形で事を進めていくことが大切」なのであって、&lt;strong&gt;「小沢君のお気持ちに沿う形で」&lt;/strong&gt;事を進められてはたまったものではない。&lt;br /&gt;　では小沢の言う「優位性」とはどういう意味か。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;それは、自分の利権（政治利用）と関係のない天皇陛下のご公務など何の値打ちもないという意味です。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　宮内庁長官は、今回の「金権狂いの小沢」の暴挙に対し、「二度とあってはならないこと」とおっしゃいました。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;冗談ではない。&lt;br /&gt;　こんな卑劣な売国奴１人のために天皇陛下が政治利用されることなど一度もあってはならないことであり、絶対にあってはならないことである。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　&lt;br /&gt;　もはや小沢氏の頭には、法の支配としての憲法など１カケラもない。&lt;br /&gt;　小沢氏の頭にあるのは唯一&lt;strong&gt;「力の支配」&lt;/strong&gt;だけである。&lt;br /&gt;　ひょっとすると中国でハニトラに引っ掛かって頭が紅とピンクに染まったのか。&lt;br /&gt;　もちろん小沢氏は決して悪意を抱いてものを言っているのではないでしょう。&lt;br /&gt;　本人なりの政治信念に基づいた&lt;strong&gt;善意&lt;/strong&gt;をもってあのように発言したのでしょう。&lt;br /&gt;　しかし、ダンテは断言する。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;地獄への道は善意で舗装されている。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　たとえ善意であっても政治家としてのみならず、日本人としての誇りを完全に失った中国の馬賊にも劣る「逆賊」に成り下がった小沢の取るべき道は唯一つ。&lt;br /&gt;　さっさと自決することである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＜参照＞&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;注１：English Constitution-p68（&lt;/span&gt;&lt;a href="http://socserv.mcmaster.ca/econ/ugcm/3ll3/bagehot/constitution.pdf"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;Mc Master University&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;）&lt;br /&gt;注２：帝室論-p1,p9（&lt;/span&gt;&lt;a href="http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_title.php?id=99"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;Digital Gallery of Keio University Library&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;）&lt;br /&gt;※ 小沢幹事長の記者会見（&lt;/span&gt;&lt;a href="http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091214-OYT1T00888.htm"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;YOMIURI ONLINE&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;）&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-4796364298798010030?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/4796364298798010030/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/12/blog-post_24.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4796364298798010030'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4796364298798010030'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/12/blog-post_24.html' title='小沢君、日本国憲法を読んだ？'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SzMHrt83icI/AAAAAAAAAGQ/FZXd8UwvFgI/s72-c/bagehot_walter.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-5010112582175914525</id><published>2009-12-16T11:37:00.007+09:00</published><updated>2009-12-16T21:39:03.366+09:00</updated><title type='text'>日本国憲法第９条義解＜３＞</title><content type='html'>　前回、前々回の続きです。&lt;br /&gt;　もう１度、今までの要点を確認しておきます。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;日本国憲法第９条は独創的産物ではなく、パリ不戦条約が手本であったこと。&lt;br /&gt;　パリ不戦条約は、確定解釈（留保条件）として「自衛権を否定していない」こと。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　今回のお話は、前回と前々回のお話が前提となっています。&lt;br /&gt;　では本題に入ります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;１９４５年６月、連合国間で「連合国憲章（以下、「国連憲章」）」が締結されました。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　ただし国連憲章といっても、もともとは「反日軍事同盟」が国連発足の主旨だったのですが、これは現在でも国連憲章の本質は「軍事同盟」であることに変わりはありません。&lt;br /&gt;　さて、不戦条約では留保条件で自衛権を認めていたのですが、これは条文にない「不文法」でありました。&lt;br /&gt;　これがいよいよ国連憲章に明記されることとなるのです。&lt;br /&gt;　よく法学では&lt;strong&gt;「成文法とは、不文法を明文化したもの」&lt;/strong&gt;と言われるのですが、これはその最たる例でしょう。&lt;br /&gt;　さて、非戦原則については第１章（第１条・第２条）に、自衛権については第５１条に規定されています。&lt;br /&gt;　ここでは不戦条約の留保条件との関連について話を進めますので、第１章を省略する代わりに本稿末尾にて国際連合憲章の条文リンク先を紹介しておきます。&lt;br /&gt;　第１章はやや長文ですが、非戦原則から外れた解釈をしなければ難解な条文ではありません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【国連憲章第５１条】&lt;br /&gt;この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、&lt;strong&gt;個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。&lt;/strong&gt;この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基づく権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　第５１条は、第７章「平和に対する脅威、平和の破壊および侵略行為に対する行動」中の条文です。&lt;br /&gt;　何度も繰り返している通り、&lt;strong&gt;自衛権の行使というのは戦争放棄の例外規定&lt;/strong&gt;であります。&lt;br /&gt;　またこれも何度も繰り返していますが、&lt;strong&gt;国際的な紛争が起こったときは先ず「平和的に紛争を解決せよ」&lt;/strong&gt;と国連憲章第６章に細かく規定されています。&lt;br /&gt;　そして万一、条約に違反にして何者かが攻撃を加えた場合、安保理は事態悪化を防止するための勧告を違反国に行い（第７章第４０条）、また安保理は、兵力を伴わないいかなる措置を講ずるよう加盟国に要請することが出来るのです（第７章第４１条）。&lt;br /&gt;　「何者か」というのは、主権国家だけでなくテロリスト等も含みます。&lt;br /&gt;　自衛権行使権というのは「安保理が必要な措置をとるまでの間」の限定的な行使権なのですが、現実としては必要な措置がとられるまで長期間を要する場合もあり、または違反国が万一常任理事国であった場合などは簡単に必要な措置がとられないものであります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;従って、自衛権まで禁止してしまうと「やられっぱなしの状態」となり、被害国の国民の生命・自由・財産に甚大な被害を及ぼしてしまうのです。&lt;br /&gt;　このような危険や犠牲まで被害国が甘受することを国際連合は加盟国に強要していないのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SyhICXO5eWI/AAAAAAAAAGA/44hvx_iE7Yc/s1600-h/unflag.JPG"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 384px; DISPLAY: block; HEIGHT: 256px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5415657757346462050" border="0" alt="" src="http://1.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SyhICXO5eWI/AAAAAAAAAGA/44hvx_iE7Yc/s400/unflag.JPG" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　【国際連合の旗（&lt;a href="http://www.un.org/Depts/dhl/maplib/flag.htm"&gt;国連公式ｈｐ&lt;/a&gt;）】&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　もちろん国連は、自衛権の除去を理念としていることは言うまでもありません。&lt;br /&gt;　しかし、世界中のありとあらゆる紛争が平和的に解決され、かつそれが国際法的に（または国際慣習法的に）本当に定着すればの話です。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;つまり、国際連合や国際社会は、「最後に軍備撤廃すること（平和実現）という目標に向かって不断の努力」をしているのであって、一部の日本人のように「最初から軍備撤廃さえすれば何でも平和的に紛争が解決出来ます」などと考えていないのです。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/strong&gt;&lt;div&gt;　さて、前回と今回を通じ、不戦条約、国連憲章を中心として話を進めてきました。&lt;br /&gt;　自衛権は歴史的に（慣習的に）認められた生来の権利であります。&lt;br /&gt;　自衛権は、「戦争をしない、戦争をさせない」といった非戦原則の平和精神に基づいた権利であり、これが不戦条約、国連憲章を経て日本国憲法第９条第１項に流れ込んだのです。&lt;br /&gt;　この歴史的重大性を決して忘れてはならないのです。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;不戦条約と国連憲章は自衛権を否定していない。&lt;br /&gt;　これが不戦条約・国連憲章義解の原点です。&lt;br /&gt;　日本国憲法は自衛権を否定していない。&lt;br /&gt;　これが日本国憲法第９条義解の原点です。&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　このことは何回強調しても強調し過ぎることはありません。&lt;br /&gt;　またこの点を踏み外さなければ、第９条第２項の解釈も明白になるのです。&lt;br /&gt;　２項解釈についてはいずれ稿を改めてお話します。&lt;br /&gt;　もうおわかりだと思いますが、これだけ９条解釈に混乱が生じたのは、そもそも&lt;strong&gt;「日本国憲法の平和条項はオリジナルである」&lt;/strong&gt;と多くの日本人が誤解してしまったからなのです。&lt;br /&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;これが第９条誤解の原点です。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;strong&gt;オリジナルであると誤解したからこそ「平和、へいわ、戦争放棄、軍備撤廃」などといった突飛な空想的妄想的念力主義的解釈、つまり「日本だけにしか通用しない世界と真逆なオリジナル解釈」が跋扈蔓延してしまったのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　ただし、普段から憲法学に慣れ親しんでいない人が平和を誤解してしまったのも無理はないと思います。&lt;br /&gt;　正しい歴史的事実や正しい条文解釈を「知らなかった」のではなく、「知らされてなかった」のでしょう。&lt;br /&gt;　なお、集団的自衛権についてですが、これは１９８４年のニカラグア事件に関し、国際司法裁判所は&lt;strong&gt;「集団的自衛権は単なる条文だけではなく、国際慣習法上、当然認められる生来の権利」&lt;/strong&gt;と判断しました。&lt;br /&gt;　とりあえず日本国憲法第９条のお話は一旦ここまでとし、また折を見て第９条についてお話致します。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;＜参照＞&lt;/div&gt;&lt;div&gt;国際連合憲章（&lt;a href="http://www.unic.or.jp/information/UN_charter_japanese/"&gt;国連広報センター&lt;/a&gt;）&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-5010112582175914525?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/5010112582175914525/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/12/blog-post_16.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/5010112582175914525'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/5010112582175914525'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/12/blog-post_16.html' title='日本国憲法第９条義解＜３＞'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SyhICXO5eWI/AAAAAAAAAGA/44hvx_iE7Yc/s72-c/unflag.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-2017420890404495844</id><published>2009-12-05T09:00:00.015+09:00</published><updated>2009-12-05T11:33:03.606+09:00</updated><title type='text'>日本国憲法第９条義解＜２＞</title><content type='html'>　前回は日本国憲法第９条第１項の手本が不戦条約であったことを話しました。&lt;br /&gt;　今回は不戦条約の解釈についてです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;第１条&lt;br /&gt;締約国は、国際紛争解決のため戦争に訴えることを禁止し、かつその相互関係において国家政策の手段としての戦争を抛棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言する。&lt;br /&gt;第２条&lt;br /&gt;締約国は相互間に起こる一切の紛争又は紛議は、その性質又は起因の如何を問はず、平和的手段による以外にその処理又は解決を求めないことを約束する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、この条約は、「ケロッグ・ブリアン条約」とも言われています。&lt;br /&gt;　この条約を最初に提案したのはアメリカとフランスであり、その時のアメリカ国務長官フランク・ケロッグと、フランス外務大臣アリスティード・ブリアンの両名に因んで付けられた名称です。&lt;br /&gt;　ところで、アメリカの原案は&lt;strong&gt;「自衛権の放棄」&lt;/strong&gt;といった無条件戦争放棄だったのです。&lt;br /&gt;　しかしフランスはこれに対し、適法な自衛権の行使、国際連盟条約、その他の様々な同盟条約の履行を妨げるものであるとし、無条件放棄案を再考するようアメリカに要請しました。&lt;br /&gt;　ケロッグ氏はこのフランス側の要請を斟酌し、１９２８年４月２８日、アメリカ国際法協会で自衛権について次のように述べました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;たしかに自衛と侵略を法的に定義することは難しいことです。&lt;br /&gt;　しかし、アメリカ草案中に何ら自衛の権利を制限毀損するものではありません。&lt;br /&gt;　自衛権は、条約の文言の有無に関わらず、各主権国家生来の権利であるのです。&lt;br /&gt;　各国民は、如何なる時においてもまた条約の規定如何に関わらず、攻撃や侵入に対し、国家国民が自衛のための戦争に訴える権能を主権国家として当然有するものであります。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　&lt;br /&gt;　一方、自衛権の可否をめぐってアメリカの上院では意見がまとまらず、最終的にケロッグ氏が上院の証人として呼ばれました。&lt;br /&gt;　アメリカでは条約の締結権は大統領ですが、上院の助言と同意が必要です（アメリカ合衆国憲法第２条第２節第２号）。&lt;br /&gt;　そのとき、ケロッグ氏は、&lt;strong&gt;「自衛権は国家に認められた生来の権利である」&lt;/strong&gt;と証言したことによってアメリカ上院はこの条約に賛成したのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sxmi_DMWNbI/AAAAAAAAAF4/z_u9eDBUoX4/s1600-h/180px-FrankKellogg.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 180px; DISPLAY: block; HEIGHT: 209px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5411535631334913458" border="0" alt="" src="http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sxmi_DMWNbI/AAAAAAAAAF4/z_u9eDBUoX4/s400/180px-FrankKellogg.jpg" /&gt;&lt;/a&gt; 　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;span style="font-size:78%;"&gt;【フランク・ケロッグ（&lt;/span&gt;&lt;a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B0"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;wikipedia&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;）】&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 またイギリス政府は１９２８年５月１９日、在ロンドン米国大使宛公文書中において次のように声明しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;国家政策の手段としての戦争は放棄しないといけません。&lt;br /&gt;しかし、攻撃に対し国土を防衛することはイギリスにとっては自衛手段であり、不戦条約は自衛手段すら放棄することを妨げていないことをイギリス政府は明らかにしなければなりません。&lt;br /&gt;　自衛権は生来の国家の権利であり放棄することができない。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　&lt;br /&gt;　この解釈に反対なり否定する国家があれば「批准しない」とアメリカ政府およびイギリス政府が声明しました。&lt;br /&gt;　このように、ある国家が&lt;strong&gt;「条約をこのように解釈してよいなら批准します」&lt;/strong&gt;といった条件のことを国際法では一般に&lt;strong&gt;「留保条件」&lt;/strong&gt;といいます。&lt;br /&gt;　なお、上記解釈（自衛権）を否定しなかった６０カ国以上の国が不戦条約に批准しました。&lt;br /&gt;　つまり、不戦条約に批准した国は自衛権を放棄しなくてもよいのです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;不戦条約は「自衛権を否定していない」。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　 これが全ての批准国の確定解釈であり、不戦条約義解の原点です。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;すなわち、「どういう解釈に基づいて条約が発効されたのか」というところまで考えないと、条文の実質的意味（確定解釈）を理解したことにはならないのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　これは如何なる条約についても全て同じことです。&lt;br /&gt;この留保条件の重要性を理解できていないから、単に条文の文言だけ見て妄想的な「自衛権の放棄」などといった誤った解釈がでてくるのです。&lt;br /&gt;　たしかに、条文には解釈の複数性を有するものであることは当然です。&lt;br /&gt;　しかし何でもかんでも「思想、内心、表現の自由」などと次元の違う話を持ち出して自分勝手に解釈することは法の世界では許されません。&lt;br /&gt;　そうでなければ留保条件（確定解釈）の意味を失ってしまうでしょうが。&lt;br /&gt;　解釈にもルールがあるのです。&lt;br /&gt;　よって、第９条第１項が不戦条約の用語や内容を&lt;strong&gt;「生写」&lt;/strong&gt;している以上、その解釈も不戦条約に基づいた解釈と考えるのが当たり前なのです。&lt;br /&gt;　用語や実質的意味が同じなのに法学的派生が違うなどと主張していては、世界から大笑いされるだけのことです。&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 180px; DISPLAY: block; HEIGHT: 248px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5411535530787678594" border="0" alt="" src="http://1.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sxmi5MoBKYI/AAAAAAAAAFw/-YwLGEaaWT0/s400/180px-Aristide_Briand_2.jpg" /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;span style="font-size:78%;"&gt;【アリスティード・ブリアン（&lt;/span&gt;&lt;a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;wikipedia&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;）】&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ところで、不戦条約といっても内容や運用に問題が無かったわけではありません。&lt;br /&gt;　例えば、これは上記のアメリカ側の見解にあったように&lt;strong&gt;「自衛と侵略の定義の不明瞭性」&lt;/strong&gt;が挙げられます。&lt;br /&gt;　すなわち、「自衛権は自国の判断による」とされたため、条約を破った国に対する明確な違法性を問うことが難しかったのです。&lt;br /&gt;　従って、例えば不戦条約以降の日本の行為を侵略とアタマから決め付けることは出来ないのです。&lt;br /&gt;　これは蛇足ですが、現在の価値観から過去へ適用し批判することは、歴史の実態を見誤るものであり、法の次元で言えば&lt;strong&gt;「事後法の禁止」&lt;/strong&gt;であり、法の支配、法治主義においては許されません。&lt;br /&gt;　話を戻しまして、その他の問題としては主に以下の点があげられます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;１．国家間における不平等な関係や、外交における主要戦勝国の強い発言権が一部の国の不満を募らせたこと。&lt;br /&gt;２．不戦条約、特にベルサイユ条約などは、戦勝国の「勝ち逃げ」的な性質を有していたこと。&lt;br /&gt;３．１９２０年代および１９３０年代の欧米中心の外交は、平和のために&lt;strong&gt;「どうあるべきか」&lt;/strong&gt;といった抽象的理念ばかりを追求し、&lt;strong&gt;「何をすべきか」&lt;/strong&gt;という平和の具現化に向けた努力を怠ったこと（平和主義の蔓延）。&lt;br /&gt;４．イギリス、フランスといった連合国側は、ドイツよりも軍事力において圧倒的優位であったのにも拘らず、ナチスドイツの進駐行為を放置したこと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　不戦条約、ベルサイユ条約、その他各国が自前で締結した諸同盟は結局国際法的に定着することなく、１９３８年のミュンヘン会談（平和主義に基づいた連合国側の腰砕け外交）を経て第２次世界大戦が起こりました。&lt;br /&gt;　しかしその一方、不戦条約その他の諸条約は慣習として定着はしなかったものの、「非戦原則・自衛例外」の精神は決して失われることはありませんでした。&lt;br /&gt;　これが１９４５年６月、連合国憲章（国連憲章）で非戦思想が再確認されることになるのです。&lt;br /&gt;　次回は「連合国憲章（国連憲章）」と第９条（第１項）の関係についてです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;　～　平和と経済と戦争　～&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　今回は以下、ベルサイユ条約に因んだお話です。&lt;br /&gt;　戦争と平和を考えるうえで、ある意味不戦条約よりも歴史的に重要と考えられるからです。&lt;br /&gt;　ご存知のように、ベルサイユ条約というのは戦勝国が敗戦国のドイツに対し、余りにも過酷な賠償金を請求した内容のものでした。&lt;br /&gt;　よく山積みされたマルク札を写真などで見た方がいらっしゃると思いますが、これは多額の賠償金（債務）に因るハイパー・インフレーションという経済現象を表したものです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;さて、この条約に猛然と反対したのが、あの２０世紀最大の経済学者、「ケインズ」です。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　&lt;strong&gt;簡単に言えば、「こんな法外な賠償金を課すことは平和的な解決には絶対ならない、ドイツは将来必ず戦争に訴え出てくるから直ちに条約を是正せよ」とケインズは主張したのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　しかし、当時イギリスの大蔵省で超エリート官僚だったケインズはベルサイユ条約に反対したため、大蔵省を辞めることになりました。&lt;br /&gt;　大蔵省を辞職したケインズは直ちに&lt;strong&gt;「平和の経済的帰結」&lt;/strong&gt;という論文を発表し、条約反対の大運動を展開しました。&lt;br /&gt;　その後、ケインズは資本主義の世界大恐慌（不完全雇用）を予言しました。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;そして、国家による限定的な財政政策（公共事業投資）と金融政策（金利引下）によって失業者の救済（完全雇用）が可能であることを理論的に説明しました。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　これが有名な&lt;strong&gt;「有効需要の原理」&lt;/strong&gt;です。&lt;br /&gt;　言い換えれば「大恐慌からの大脱出論」です。&lt;br /&gt;　一言で言うと、需要が供給を決定する場合が&lt;strong&gt;「あり得る」&lt;/strong&gt;ということです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;つまり、企業であれ、公的機関であれ、「投資を増やせば国民所得が増える」というもので、国民所得が増えれば消費も増え、国民所得と消費は累乗的に増加するというものです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　この累乗的効果を理論化したところがケインズ理論の大きな特徴なのです。&lt;br /&gt;　このことは、最単純モデルなら高校生程度の簡単な等比数列で数学的な表現が可能です。&lt;br /&gt;　なお、マクロ経済学専門の方ならご存知のことと思いますが、乗数理論の有効性を検討する際、&lt;strong&gt;流動性選好説（貨幣需要）&lt;/strong&gt;との関連が重要です。&lt;br /&gt;　ここでは紙面の都合上、貨幣需要に関する話は省略することとします。&lt;br /&gt;　それでは、以下少し長くなりますが、数式の苦手な方でも理解できるよう易しく説明致します。&lt;br /&gt;　ちなみに、もともと私は理数系出身なものでして‥。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【公式】&lt;br /&gt;Y＝C＋I　→　（１）&lt;br /&gt;C＝αY　 →　（２）&lt;br /&gt;ただし、Yは国民総所得，Cは消費，Iは投資，αは限界消費性向&lt;br /&gt;投資増をXとする。&lt;br /&gt;YはCとIの２変数関数だから、&lt;br /&gt;Y＋X＝C＋I＋X　→ （３）&lt;br /&gt;すなわち、投資をX増加させれば、YはX増加する。&lt;br /&gt;Y＋Xを（２）式に代入する。&lt;br /&gt;C＝α（Y＋X）＝αY＋αX　→ （４）&lt;br /&gt;すなわち、YがX増加すれば、CはαX増加する。&lt;br /&gt;（４）式を（３）式に代入する。&lt;br /&gt;Y＋X＋αX＝（αY＋αX）＋I＋X&lt;br /&gt;C＝αYだから&lt;br /&gt;Y＋X＋αX＝C＋I＋X＋αX&lt;br /&gt;すなわち、CがαX増えればYもαX増加する。&lt;br /&gt;同様にY＋X＋αXを（２）式に代入する。&lt;br /&gt;C＝α（Y＋X＋αX）＝αY＋αX＋α・αX&lt;br /&gt;すなわち、YがαX増加すれば、Cはα・αX増加する。&lt;br /&gt;これを上記の規則に従って繰り返すと、YとXの関係は、&lt;br /&gt;Y＝X＋αX＋α［２］X＋α［３］X＋‥‥＋α［ｎ］X　→ （５）&lt;br /&gt;ただし、α［ｎ］はαのｎ乗。&lt;br /&gt;そこで（５）の右辺の和を求める際、（５）の両辺にαを掛けることとする。&lt;br /&gt;αY＝αX＋α［２］X＋‥‥＋α［ｎ］X＋α［ｎ＋１］X　→ （６）&lt;br /&gt;（５）－（６）は、&lt;br /&gt;Y－αY＝（１－α）Y＝X－α［ｎ＋１］X&lt;br /&gt;限界消費性向αというのは、可処分所得の増加単位を１とした場合の係数なので、&lt;br /&gt;０＜α＜１&lt;br /&gt;ｎ→∞とすると、α［ｎ＋１］X→０&lt;br /&gt;よってY＝X÷（１－α）　→　（７）&lt;br /&gt;１－αの逆数をβとする。&lt;br /&gt;Y＝βX&lt;br /&gt;０＜１－α＜１だから、β＞１&lt;br /&gt;すなわち、投資をX増やすとYはXを超える増加量（β倍）になるのです。&lt;br /&gt;なお、単なる２元１次方程式として考えることも可能なので、これは次のようになります。&lt;br /&gt;【公式】&lt;br /&gt;Y＝C＋I&lt;br /&gt;C＝αY&lt;br /&gt;よって、Y＝αY＋I&lt;br /&gt;投資増をXとする。&lt;br /&gt;Y＝αY＋X&lt;br /&gt;X＝（１－α）Y&lt;br /&gt;よって、Y＝X÷（１－α）&lt;br /&gt;これは上記の（７）式と同じであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SxmiybauMMI/AAAAAAAAAFo/tGG44GEWssI/s1600-h/keynes.JPG"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 166px; DISPLAY: block; HEIGHT: 217px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5411535414499356866" border="0" alt="" src="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SxmiybauMMI/AAAAAAAAAFo/tGG44GEWssI/s400/keynes.JPG" /&gt;&lt;/a&gt; 　　　　　　　　　&lt;span style="font-size:78%;"&gt;【ジョン・メイナード・ケインズ（&lt;/span&gt;&lt;a href="http://www.marxists.org/reference/subject/economics/keynes/general-theory/index.htm"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;Marxists　Internet　Archive&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;）】&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　取り敢えずは上記の数式（乗数理論）がケインズ理論の中心になりますので、乗数理論を抜きにしてケインズ理論を理解することは至極困難であります。&lt;br /&gt;　また、現実的な乗数的効果はあくまでも「一定の条件下（例えば価格硬直性・不完全雇用など）」で成立し得るものであって、闇雲に投資を刺激したり、ダラダラと公共事業を継続すべきでないことをケインズが明白に述べていることに注意が必要です。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　ところで、今でこそ「公共投資・景気対策」は当たり前のように感じるものです。&lt;br /&gt;　しかしケインズ以前の経済学では&lt;strong&gt;「自由放任主義」&lt;/strong&gt;が支配的だったため、政府が市場に介入することなどタブー視されていたのです。&lt;br /&gt;　だから当時は「ケインズ革命」と言われるほど余りにも画期的な理論だっただけに、それだけ天才ケインズに対する古典派経済学者からの非難は凄まじいものでした。&lt;br /&gt;　あのカ－ル・マルクスに対する非難の比ではなかったのです。&lt;br /&gt;　ケインジアンであれ、反ケインジアンであれ、天才ケインズが需要刺激による経済効果を理論化したことによって２０世紀の経済理論が大きく成長したことに異論はないでしょう。&lt;br /&gt;　またこれは蛇足ですが、上記の一般理論（１９３６年）が発表されたころ、私が尊敬する数学者&lt;strong&gt;ジョン・フォン・ノイマン&lt;/strong&gt;が「多部門成長モデル」という経済成長理論を発表したことによって飛躍的に数理経済学（計量経済学）が進歩したことも、経済学の歴史においては重要です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここでケインズ政策について歴史的に注目しておきたいのは、イギリス人であるケインズが当時唱えた経済理論を直ちに実証して見せたのが、ドイツ経済を復興させたあの&lt;strong&gt;ナチス&lt;/strong&gt;だったのです。&lt;br /&gt;　歴史学や経済学では、これを「歴史の皮肉」と表現することがしばしばあります。&lt;br /&gt;　一方、公共投資事業をいち早く国家政策として取り込んだだけならアメリカです。&lt;br /&gt;　有名な&lt;strong&gt;「ニューディール政策」&lt;/strong&gt;と言われるものです。&lt;br /&gt;　しかし、&lt;strong&gt;「国家が市場に介入することは自由放任主義に反するもので憲法違反である」&lt;/strong&gt;などと主張するものがアメリカ国内では後を絶えませんでした。&lt;br /&gt;　また政策で最も重要だった「全国産業復興法」などは、実際に違憲判決が出たこともあって、政策が徹底されなかったのです。&lt;br /&gt;　やはり自由放任主義の下でケインズ理論を受け入れるには相当な抵抗感があったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　話を戻します。&lt;br /&gt;　当時の国際社会は、「もう平和が手に入ったのだから戦争など起こるはずがない、ケインズは狂っている」と言ってケインズを非難しました。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;ケインズの平和理論と国際社会の平和主義。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　どちらが歴史の事実として証明されたのか。&lt;br /&gt;　答えは言うまでもないでしょう。&lt;br /&gt;　ベルサイユ条約も世界大恐慌も、第２次世界大戦を引き起こした原因の１つであったことに間違いはありません。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;　国を破綻させることが平和なのか。&lt;br /&gt;　国が大量失業者を放置することが平和なのか。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　ケインズはこのことを問いかけていたのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;第２次世界大戦で日本、ドイツ、イタリアといった敗戦国に法外な賠償金が科せられなかったのは、ベルサイユ条約という「歴史の教訓」によるものであります。&lt;br /&gt;　ここにケインズの平和主張が歴史に刻まれたのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　今回は金融政策については触れませんでしたが、大恐慌から脱出できなかった要因を国内外の金融政策の失敗に求める見解も勿論有力です。&lt;br /&gt;　だからこそ金融政策の失敗、戦争といった歴史的反省の中から&lt;strong&gt;「国際通貨基金（IMF）」&lt;/strong&gt;が設立されたのです。&lt;br /&gt;　なお、IMFの設立者はケインズであります。&lt;br /&gt;　平和の上で経済がいかに大切な問題であるかを少しでも実感して頂ければと思います。&lt;br /&gt;　現在、ケインズが唱えた財政政策や金融政策は、憲法学では「国家&lt;strong&gt;による&lt;/strong&gt;自由（freedom &lt;strong&gt;by &lt;/strong&gt;nation）」の１つと解釈されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＜参照＞&lt;br /&gt;&lt;a href="http://www.marxists.org/reference/subject/economics/keynes/general-theory/index.htm"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;The General Theory Of Employment,Interest,and Money&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;（Marxists　Interenet　Archiveより）&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-2017420890404495844?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/2017420890404495844/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/12/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/2017420890404495844'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/2017420890404495844'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/12/blog-post.html' title='日本国憲法第９条義解＜２＞'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sxmi_DMWNbI/AAAAAAAAAF4/z_u9eDBUoX4/s72-c/180px-FrankKellogg.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-6086327912345820170</id><published>2009-11-25T09:39:00.010+09:00</published><updated>2009-11-25T13:54:46.640+09:00</updated><title type='text'>日本国憲法第９条義解＜１＞</title><content type='html'>&lt;strong&gt;【日本国憲法第九条】&lt;br /&gt;１．日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。&lt;br /&gt;２．前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回は、この平和条項が「果たして日本の&lt;strong&gt;独創的産物か否か&lt;/strong&gt;」の検討ですが、ここでは第１項を中心に話を進めることとします。&lt;br /&gt;　ところで第１項を見ますと、目的は&lt;strong&gt;「国際紛争の解決」&lt;/strong&gt;であり、この目的を果たすために&lt;strong&gt;「戦争・武力による威嚇または武力の行使」&lt;/strong&gt;といった手段を用いることを永久に放棄すると書かれています。&lt;br /&gt;　第１項のキーワードは、「戦争等の放棄」と「国際紛争の平和的解決」です。&lt;br /&gt;　さて、平和条項の独創性を検討する上で１つの資料を紹介したいと思います。&lt;br /&gt;　それは１９４６年、日本国憲法の制定過程において内閣法制局が作成した「帝国議会に対する想定問答集」であります（注）。&lt;br /&gt;　この想定問答集を読みますと、「第１項は、不戦条約で各締結国の義務となっているところであり、佛の千七九一年憲法や西班牙憲法にも先例あり‥」と明記されています。&lt;br /&gt;　すなわち、第９条第１項は&lt;strong&gt;「不戦条約・フランス１７９１年憲法・西班牙憲法に先例がある」&lt;/strong&gt;と言っているのです。&lt;br /&gt;　西班牙憲法というのは、後で紹介するスペイン憲法のことです。&lt;br /&gt;　早速ですが、これら３つの条約および憲法を含め、その他の世界の憲法および条約を紹介します。&lt;br /&gt;　先ずは１つめのキーワードである「戦争の放棄」から。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;◆１７９１年・フランス憲法第６編第１条&lt;br /&gt;「フランス国民は、&lt;strong&gt;征服の目的で行う戦争の全てを放棄し&lt;/strong&gt;、且ついかなる国民の自由に対してもその兵力を用いない」。&lt;br /&gt;しかし実際は守られることなくナポレオンは征服戦争に突入し、その反省として、１８４８年、戦争放棄がフランス議会で再確認されることとなりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;◆１８４８年・フランス憲法前文&lt;br /&gt;「フランスは、&lt;strong&gt;征服する目的を達するため&lt;/strong&gt;、いかなる国民の自由に対しても決して&lt;strong&gt;兵力を行使しない&lt;/strong&gt;」。&lt;br /&gt;このように平和条項が再確認されたにも拘らず、ナポレオン３世が再び戦争をしたことは有名でしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;◆１８９１年・ブラジル憲法第８８条&lt;br /&gt;「直接にせよ、間接にせよ、単独にせよ、他国との同盟にしてにせよ、すべて&lt;strong&gt;征服の戦争には参加しない&lt;/strong&gt;」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　次に２つめのキーワードである「国際紛争の平和的解決（仲裁裁判）」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;▲１９０７年・国際紛争平和的処理条約第１条&lt;br /&gt;「国家間の関係において&lt;strong&gt;兵力に訴えることを出来るだけ予防&lt;/strong&gt;するため、締約国は、&lt;strong&gt;国際紛争の平和的処理の確保&lt;/strong&gt;につき、全力をあげることを約定する」。&lt;br /&gt;国際紛争が生じたときは、兵を用いずに全力をあげて平和的解決に取り組むということです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;▲１９１０年・ポーター条約第１条&lt;br /&gt;「締結国は、他国に対する&lt;strong&gt;債権を回収するために兵力に訴えないことを約束する&lt;/strong&gt;」。&lt;br /&gt;相手国が債務を履行しないからといって兵力を用いて解決してはならないというものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;▲１９１３年・ブライアン条約（主旨のみ）&lt;br /&gt;「一定の紛争を、同条約の設置する&lt;strong&gt;常設国際委員会に付託すること&lt;/strong&gt;を義務づけ、&lt;strong&gt;審査終了までの期間は戦争行為を禁止&lt;/strong&gt;する」。&lt;br /&gt;これは「戦争留保規定（モラトリアム）」と呼ばれるものであります。&lt;br /&gt;次に、世界の憲法規定ですが、&lt;strong&gt;戦争モラトリアム&lt;/strong&gt;と&lt;strong&gt;文民統制（議会の宣戦承認権）&lt;/strong&gt;が特徴であります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;◆１９１１年・ポルトガル憲法第２６条&lt;br /&gt;「外国の兵力による急迫または現実の侵略の場合を除いて、&lt;strong&gt;仲裁裁判&lt;/strong&gt;が不可能なとき、または失敗したとき、戦争を行う権限を政府に与えること」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;◆１９１７年・ウルグアイ憲法７９条&lt;br /&gt;「&lt;strong&gt;仲裁裁判&lt;/strong&gt;が不可能であるか、または成功しなかったときは、議会で予め決定した後に戦争を宣言すること」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;◆１９２２年・オランダ憲法第５７条&lt;br /&gt;「国王は外国との紛争を&lt;strong&gt;仲裁&lt;/strong&gt;および&lt;strong&gt;その他の平和的手段で解決&lt;/strong&gt;することを試みる。国王は予め議会の承認がなければ、すべての戦争を宣言できない」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以上より、「戦争放棄（先制攻撃の禁止）」と、「兵力によらない紛争解決（平和的処理・戦争留保規定）」が世界の諸条約および諸憲法で明記されました。&lt;br /&gt;　しかし、これらが国際法的に定着することなく、第１次世界大戦という人類がかつて経験したこともなかった未曾有の大惨事を引き起こすことになりました。&lt;br /&gt;　この反省に基づき、世界は従前の諸規定を再確認することになるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;▲１９１９年・国際連盟憲章&lt;br /&gt;・第１２条&lt;br /&gt;各連盟国は、&lt;strong&gt;国交断絶の虞のある紛争が発生しても戦争に訴えない&lt;/strong&gt;ことを約束する。&lt;br /&gt;・第１６条&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;条約に違反し、戦争に訴えた国は国際連盟に対する戦争とみなし、場合によっては軍事的に制裁を受ける。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そして１９２８年、上記の諸条約・諸憲法を踏襲し、世界大戦の総決算ともいうべき「パリ不戦条約」を日本も含め、世界の国々が締結することとなったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Swx89wEqODI/AAAAAAAAAFg/C6LD8OO8Gug/s1600/warrenunciationtreaty1.JPG"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 305px; DISPLAY: block; HEIGHT: 208px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5407834652883433522" border="0" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Swx89wEqODI/AAAAAAAAAFg/C6LD8OO8Gug/s400/warrenunciationtreaty1.JPG" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　【パリ不戦条約】&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;▲パリ不戦条約&lt;br /&gt;・第１条&lt;/div&gt;&lt;div&gt;締約国は、&lt;strong&gt;国際紛争解決のため戦争に訴えることを禁止し&lt;/strong&gt;、かつその相互関係において&lt;strong&gt;国家政策の手段としての戦争を抛棄する&lt;/strong&gt;ことを、その各自の人民の名において厳粛に宣言する。&lt;br /&gt;・第２条&lt;/div&gt;&lt;div&gt;締約国は相互間に起こる一切の紛争又は紛議は、その性質又は起因の如何を問はず、&lt;strong&gt;平和的手段による以外にその処理又は解決を求めないこと&lt;/strong&gt;を約束する。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　この条文をよく読んで下さい。&lt;br /&gt;　目的は&lt;strong&gt;「国際紛争の解決」&lt;/strong&gt;であり、この目的を果たすために&lt;strong&gt;「戦争」&lt;/strong&gt;といった手段を抛棄すると条文に書かれています。&lt;br /&gt;　そしてもう一度、第９条第１項を読み直して下さい。&lt;br /&gt;　目的は&lt;strong&gt;「国際紛争の解決」&lt;/strong&gt;であり、この目的を果たすために&lt;strong&gt;「戦争・武力による威嚇または武力の行使」&lt;/strong&gt;といった手段を用いることを永久に放棄すると条文にかかれています。&lt;br /&gt;　語句の並びは違うものの、使用されている用語、内容が同じなのです。&lt;br /&gt;　これでもうおわかりだと思いますが、&lt;strong&gt;第９条第１項というのは、実は「パリ不戦条約」が手本だったのです。&lt;br /&gt;　すなわち、内閣法制局の想定問答集に書かれていた「第１項は不戦条約に先例があり」というのは、この条文のことを指していたのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　さて、この不戦条約に基づいた世界の憲法規定を紹介します。 &lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;◆１９３１年スペイン憲法第６条&lt;br /&gt;「スペインは&lt;strong&gt;国家政策の手段としての戦争を放棄する&lt;/strong&gt;」。&lt;br /&gt;これは、上記の想定問答集が指摘していた憲法のことです。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;◆１９３５年コモンウェルス（フィリピン）憲法第２条第２項&lt;br /&gt;「フィリピンは&lt;strong&gt;国家政策の手段としての戦争を放棄&lt;/strong&gt;し、一般的に確立された国際法の諸原則を国内法の一部として採用するほか、平和、自由、平等、協調および全ての国民との親善を政策として遵守する」。&lt;br /&gt;　この条項が制定されたとき、第９条の原案者であった&lt;strong&gt;ダグラス・マッカーサー&lt;/strong&gt;がフィリピン軍の軍事顧問でした。&lt;br /&gt;　この条項と第９条第１項が類似しているのは単なる偶然か否か、注目したい点であります。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかしながら、不戦条約をはじめとする諸条約、諸憲法は慣習的に定着することなく、第２次世界大戦に突入し、その反省から国際連合憲章が制定されました。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;▲１９４５年・国際連合憲章第２条第４項&lt;br /&gt;「すべての加盟国は、その国際関係において、&lt;strong&gt;武力による威嚇又は武力の行使&lt;/strong&gt;を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ここで「武力による威嚇又は武力の行使」なる文言が登場します。&lt;br /&gt;　これは、第９条第１項の起草に影響を与えた&lt;strong&gt;GHQの「ケーディス大佐」&lt;/strong&gt;がこの条項を記憶していて、&lt;strong&gt;不戦条約の主旨を強調する意味を込めてこの文言を盛り込んだ&lt;/strong&gt;のであり、このことはケーディス氏自身が様々な場所で様々な人に証言していることが事実として広く確認されています。&lt;br /&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　以上より、第９条第１項の手本は「パリ不戦条約」にあり、パリ不戦条約には様々な条約や世界の憲法が背景にあったのです。&lt;br /&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;strong&gt;日本の平和憲法は世界初のものでもなければ、世界に誇るべき唯一の平和憲法でもありません。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　とりわけ普段より憲法や条約に慣れ親しんでいない人の中で、「９条こそが‥」と思い込んでいた人、いや、「思い込まされていた人」、「信じ込まされていた人」にとってはガッカリしたお話かもしれません。&lt;br /&gt;　しかし９条が「既製品」だからといってガッカリすることなど何もないのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;人類が試行錯誤を繰り返しつつ法の支配の下に戦争を縛りつけ、「最後に」軍備を廃絶しようとする平和実現への試みは「非戦原則」に立脚したものであり、これが不戦条約を経て第９条が受け継いだこと自体は「立派といえばまあ立派」なものなのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　よって結論としては、日本国憲法の平和条項は独創的産物でもなく突然変異的産物でもなかったということです。&lt;br /&gt;　次回はパリ不戦条約の確定解釈についてです。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;（注）「&lt;/span&gt;&lt;a href="http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/118/118_028l.html"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;憲法改正案に関する想定問答集（第三輯）&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;」国立国会図書館より&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-6086327912345820170?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/6086327912345820170/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/11/blog-post_25.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/6086327912345820170'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/6086327912345820170'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/11/blog-post_25.html' title='日本国憲法第９条義解＜１＞'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' 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/&gt;　清水澄先生が記した代表作&lt;strong&gt;「帝國憲法大意」&lt;/strong&gt;を私は何度も繰り返し読んだのですが、これは立憲主義精神の真髄と言うべき歴史的名著であり、美濃部達吉先生と並ぶ憲法学の第１人者でありました。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「国体と政体を混同してはならぬ」、「権威と権力を混同してはならぬ」&lt;/strong&gt;といった清水澄先生の「教え」は、私が憲法を学ぶ上で脳裏から離れることはありません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SwOk9fqJCXI/AAAAAAAAAFY/TCqU4lB66M4/s1600/simizutoru.JPG"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 152px; DISPLAY: block; HEIGHT: 196px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5405345354151954802" border="0" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SwOk9fqJCXI/AAAAAAAAAFY/TCqU4lB66M4/s400/simizutoru.JPG" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　【清水澄先生】&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて今回は、清水澄先生の&lt;strong&gt;「自決ノ辞」&lt;/strong&gt;を紹介します。&lt;br /&gt;　簡単に言うと、日本国憲法が制定されたころは、「天皇制を廃した共和制」だの、「天皇は戦争責任を取って退位せよ」だのと主唱するものがいました。&lt;br /&gt;　これは、天皇主権説などに一切の妥協を許さず「立憲君主主義」の精神を貫徹した清水澄先生から見れば、&lt;strong&gt;「権威の否定」&lt;/strong&gt;以外のなにものでもなく、日本が誤った将来を進むことを清水澄先生は憂慮したのです。&lt;br /&gt;　しかし、公職を離れた８０歳の１私人ではどうすることも出来なくなった&lt;strong&gt;「自分の微力さ」&lt;/strong&gt;を責め続け、遂に昭和２２年９月２５日、熱海の海岸から悲壮の&lt;strong&gt;投身自決&lt;/strong&gt;を遂げたのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;【自決ノ辞】&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團体及個人アリタリ&lt;br /&gt;其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ&lt;br /&gt;我國ノ將來ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ&lt;br /&gt;併シ小生微力ニシテ之ガ對策ナシ&lt;br /&gt;依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス&lt;br /&gt;之小生ノ自決スル所以ナリ&lt;br /&gt;而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ楚ノ名臣屈原ニ倣ヒタルナリ&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;元枢密院議長　　八十翁　清水澄　　法學博士　　昭和二十二年五月　新憲法実施ノ日認ム&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;追言　小生昭和九年以後進講（宮内省御用係トシテ十数年一週ニ二回又ハ一回）シタルコト従テ龍顔ヲ拝シタルコト夥敷ヲ以テ陛下ノ平和愛好ノ御性質ヲ熟知セリ従テ戦争ヲ御賛成ナカリシコト明ナリ&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;strong&gt;&lt;/strong&gt;　ところで、辞の中に&lt;strong&gt;「楚ノ名臣屈原」&lt;/strong&gt;とあります。&lt;br /&gt;　屈原は人名で、彼は、大昔の中国にあった「楚国」の国王に仕えていた楚国随一の頭脳明晰な臣下でした。&lt;br /&gt;　当時、楚国を滅ぼそうとしていた秦国の策略や甘言に惑わされていた国王や臣下に対し、屈原は命懸けで&lt;strong&gt;「秦国の口車に乗ってはならぬ」&lt;/strong&gt;と説得しました。&lt;br /&gt;　しかし屈原の意見など聞き入れられず、屈原の予言通り、楚国は秦に滅ぼされました。&lt;br /&gt;　それを「自分の無力さ」と自分を責めた屈原は重石を抱き、川に&lt;strong&gt;投身自決&lt;/strong&gt;を遂げました。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;清水澄先生が海に投身したのは、楚の名臣たる「屈原」に倣ったのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　さて、清水澄先生の憲法観ですが、これを見事かつ端的に比喩した昭和天皇のお言葉があります（注）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;【天皇機関説と天皇現神説】&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;斎藤実内閣当時、天皇機関説が世間の話題となった。私は&lt;strong&gt;国家を人体に譬え&lt;/strong&gt;、天皇は&lt;strong&gt;脳髄&lt;/strong&gt;であり、機関と云ふ代わりに&lt;strong&gt;器官&lt;/strong&gt;と云ふ文字を用ふれば、我が国体との関係は少しも差支ないのではないかと本庄［繁］武官長に話して真崎［甚三郎・教育総監］に伝へさした事がある。真崎はそれで判ったそうである。&lt;br /&gt;又&lt;strong&gt;現神［現人神と同意味。あきつかみ］&lt;/strong&gt;の問題であるが、本庄だったか、宇佐美［興屋］だつたか、私を神だと云うふから、&lt;strong&gt;私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。&lt;/strong&gt;そういふ事を云はれては&lt;strong&gt;迷惑だ&lt;/strong&gt;と云つた事がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;　&lt;/strong&gt;清水澄先生であれ、屈原であれ、国民の幸せと国家の安泰のために私を滅し公に奉じた孤高な精神は、何人たりとも汚すことのできない&lt;strong&gt;「澄み切った清水」&lt;/strong&gt;であります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;注）寺崎英成著「昭和天皇独白録（文春文庫）ｐ36-ｐ37」&lt;br /&gt;【補足】真崎甚三郎は機関説を「判ったそうである」が、実際は現神説の支持者であったことは余りにも有名。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-4431467906398060035?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/4431467906398060035/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/11/blog-post_18.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4431467906398060035'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4431467906398060035'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/11/blog-post_18.html' title='大日本帝國憲法ノ死ニ殉ス'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SwOk9fqJCXI/AAAAAAAAAFY/TCqU4lB66M4/s72-c/simizutoru.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-4856190482835691214</id><published>2009-11-10T12:26:00.035+09:00</published><updated>2009-11-11T21:23:10.378+09:00</updated><title type='text'>護憲派のための憲法改正義解</title><content type='html'>　今回は憲法改正についてお話します。&lt;br /&gt;　タイトルの護憲派というのは、ここでは「憲法改正反対派」のことであります。&lt;br /&gt;　簡単に言いますと、憲法を変えることを「何かわるいこと」、「何かこわいこと」と考えてらっしゃる方々のことであります。&lt;br /&gt;　早速ですが、独立宣言、アメリカ合衆国憲法を起草したトーマス・ジェファーソンと、明治憲法を起草した伊藤博文の言葉から。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;～トーマス・ジェファーソン～&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　私は法律や憲法をたびたび変えることを提唱するものではありません。&lt;strong&gt;しかし法律や憲法は、人の心の発達と相伴うものでなければなりません。人の心がもっと発達し、もっと啓蒙されるに従って、また、新しい発見がなされたり、新しい真理が発見されたり、作法や意見が移りゆく社会状況とともに変わるに連れて、憲法もまた時流に遅れずに進歩していかなければなりません。&lt;/strong&gt;文明化した社会に彼らの野蛮な先祖が作った規則のもとで永遠にやってゆくことを要求するのは、子供の時にぴったりだったコートを大人になってもまだ着ることを要求しているようなものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;　～伊藤博文の憲法義解～&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;慎んで思うには、憲法は‥‥不磨の大典とするところである。故に憲法は紛更を相容れない。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;ただし、法は社会の必要に調熟してその効用を為すものである。&lt;/strong&gt;故に国体の大綱は、万世に亘り永遠恒久であり移動すべきでないといえども、&lt;strong&gt;政制の節目は世運とともに事宜を酌量して、これを変通するのはまたやむを得ないことである。本条は、将来に向けてこの憲法の条項を改定する事を禁じていない。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　両者の共通点はまず、たびたび容易な改正を禁止しているという点であります。&lt;br /&gt;　しかし、社会が変化すれば国民国家も変化するものであり、憲法もそれに伴って変化すると言っているのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;国民国家の変化と憲法改正は無関係ではないと断じているのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　では、見方を変えまして、世界の国々の憲法改正動向を見てみましょう。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;西修駒澤大学教授の「日本国憲法を考える（文春新書）」&lt;/strong&gt;からです。&lt;br /&gt;　西修先生は、世界中の憲法学の研究や日本国憲法成立史の研究で優れた成果を挙げられた先生で、現在、比較憲法学の第一人者といっても過言ではありせん。&lt;br /&gt;　また、落語に御堪能で、創作憲法落語は非常に面白いです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　（以下、西修先生の「日本国憲法を考える」から要約）&lt;br /&gt;　まず、各国の制定年度順と改正動向は次の通り。&lt;br /&gt;　・アメリカ（１７８７年制定）は、１９９２年までに１８回。&lt;br /&gt;　・ノルウェー（１８１４年制定）は、１９９５年までに１３９回。&lt;br /&gt;　・ベルギー（１８３１年制定）は、大きく５次の改正。&lt;br /&gt;　・ルクセンブルグ（１８６８年制定）は、１９８３年までに９回。&lt;br /&gt;　・&lt;strong&gt;スイス（１８７４年制定）は、１９９７年までに１３２回。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　以降、制定年度は省略しますが順に、&lt;br /&gt;　・オーストラリアは、１９８８年までに８回。&lt;br /&gt;　・メキシコは、１９８８年までに８１回。&lt;br /&gt;　・フィンランドは、複数の憲法典から成るため頻繁。&lt;br /&gt;　・オーストリアは、１９７５年から１９８５年だけで１５回。&lt;br /&gt;　・リヒテンシュタインは、１９８６年までに１１回。&lt;br /&gt;　・ラトビアは、１９９３年に復活。&lt;br /&gt;　・アイルランドは、１９９６年までに１６回。&lt;br /&gt;　・アイスランドは、１９８４年までに３回。&lt;br /&gt;　・インドネシアは、１９５９年に復活。&lt;br /&gt;　そして日本（１９４７年）と続きます。&lt;br /&gt;　・&lt;strong&gt;ドイツは１９４９年ボン基本法制定以降、１９９８年までに４６回改正。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　・&lt;strong&gt;フランスは１９５８年新憲法制定以降、１９９９年１月までに１１回改正。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　これらの中で、&lt;strong&gt;無改正の国は日本のみです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　上記の国でスイスを例に挙げると、憲法を改正するには国民投票に付し、さらに一定多数の国民と州の承認が必要であり、日本と同様、改正には高いハードルが設けられています。&lt;br /&gt;　にもかかわらず、スイスは１３２回改正されています。&lt;br /&gt;　改正の具体例としては、１９７１年、&lt;strong&gt;「環境保護の規定」&lt;/strong&gt;が導入されました。&lt;br /&gt;　また、１９９２年、&lt;strong&gt;「生殖や遺伝子技術の濫用から人間や動・植物を保護するための規定」&lt;/strong&gt;が導入されました。&lt;br /&gt;　次にドイツでは例えば１９９３年、&lt;strong&gt;「亡命者庇護規定」&lt;/strong&gt;が制定されました。&lt;br /&gt;　これはネオ・ナチの台頭を排除するためのものであり、かつてのナチス排他的民族主義を反省するためのものです。&lt;br /&gt;　また、EUの礎となった「マーストリヒト条約」の批准に伴い、&lt;strong&gt;「EU国籍者なら郡・市町村の選挙権または被選挙権を付与する規定」&lt;/strong&gt;が盛り込まれました。&lt;br /&gt;　なおフランスは、「条約批准の条件は憲法改正」と憲法評議会が判断し、それによって&lt;strong&gt;「フランス語は共和国の言語である」&lt;/strong&gt;という規定が盛り込まれました。&lt;br /&gt;　（以上、西修先生の「日本国憲法を考える」から要約）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SvjdzHe1PXI/AAAAAAAAAFQ/vb7srKL2yqI/s1600-h/nisi_.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 240px; DISPLAY: block; HEIGHT: 240px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5402311623282343282" border="0" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SvjdzHe1PXI/AAAAAAAAAFQ/vb7srKL2yqI/s400/nisi_.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　&lt;span style="font-size:78%;"&gt; 【西修著「日本国憲法を考える」（&lt;/span&gt;&lt;a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%A5%BF-%E4%BF%AE/dp/4166600354"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;Amazon公式ｈｐ&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;）】&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　スイスであれ、ドイツであれ、フランスであれ、上記の改正例で共通することは、&lt;strong&gt;「国内外を問わず、社会や国の変化によって」憲法が改正されているということです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　その他の国も社会や国の変化に応じて同様に改正しているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以上より、ジェファーソンおよび伊藤博文の言葉、そして西修先生の研究から「国民国家の変化と憲法改正は無関係ではあり得ない」ことが明らかになりました。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;日本国憲法が制定されて６０年以上が経ち、６０年前と現在では国民も社会も国家も何の変化も感じない者は皆無でしょう。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　それでも「日本の憲法は世界の憲法と違う」と言い張る者がいるようです。&lt;br /&gt;　こういう者達は、日本国憲法に余程の愛着心や何らかの特殊性、神秘性を感じているのかもしれません。&lt;br /&gt;　しかしこれは、そもそも近代憲法の要諦を全く理解していない証拠であります。&lt;br /&gt;　歴史的に近代憲法典制定の口火を切ったのはフランス人権宣言またはアメリカ合衆国憲法であることは言うまでもないことですが、このとき次の２点が近代憲法の最低要件として確立されたのです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;権利保障と権力分立。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;国民の権利保障と国家の権力分立が憲法の最低要件です。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　「国民＝権利保障」と「国家＝権力分立」の最低要件なくして近現代憲法とは言えないのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;つまり、国民国家と憲法はコインの表裏の関係であり、そもそもそのように定義されているのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　&lt;strong&gt;だから改憲派というのは、この最低要件に抵触するような改正など何１つ主張していないのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　また、&lt;strong&gt;国民の国家に対する命令としての基本法たる憲法は公法中の公法であり、国家権力に勝手なことをさせてはならないことは近代憲法の大原則であります。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　従って、&lt;strong&gt;「国家による解釈改憲」&lt;/strong&gt;なるものは憲法原理に反する「禁じ手」であり論外であります。&lt;br /&gt;　ただ、解釈改憲は正式な法学用語ではなく、俗に公権力解釈の１つとされているのですが、公権力解釈自体が問題というのではありません（若干の補足は末尾にて）。&lt;br /&gt;　解釈改憲がたとえ国民意思を斟酌した妥当なものであっても、改憲行為が国家意思に基づいたものであること自体、これは「民意の自殺」を引き起こしかねないものであり許されるものではありません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;だからこそ、世界の国々は国民主権（民意）に基づいた憲法改正を断行してきたのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　こんなことは近代民主主義国家の世界では&lt;strong&gt;イロハの「あ」&lt;/strong&gt;であります。&lt;br /&gt;　改憲行為が許されるのは、国民または国民の代表者である国会の意思、すなわち「民意」に基づいた「憲法改正」のみであります（第９６条）。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;しかし、「庶民」が愚図愚図愚図愚図と憲法改正に踏み切らない間は、「お上」がダラダラダラダラと憲法を改正するしかなく、これは「世界に類を見ない国民不在の憲法改正」以外のなにものでもありません。&lt;br /&gt;　変えることが出来ないのは憲法の条文ではありません。&lt;br /&gt;　変えることが出来ないのは「時代と共に国民国家が変わる事実」であります。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SvjdrrlpPGI/AAAAAAAAAFI/9rlvn-iV3Cw/s1600-h/cent_5_face.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 211px; DISPLAY: block; HEIGHT: 198px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5402311495535639650" border="0" alt="" src="http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SvjdrrlpPGI/AAAAAAAAAFI/9rlvn-iV3Cw/s400/cent_5_face.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　【トーマス・ジェファーソン「５セントコイン」（&lt;a href="http://www2m.biglobe.ne.jp/~ZenTech/money/coin/p19_usa.htm"&gt;旅行のともZenTech&lt;/a&gt;）】 &lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 ところで、「憲法を改正しないのは政治家が悪いから」という国民が少なからずいることも事実です。&lt;br /&gt;　確かに改憲意識が欠如した一部の政治家に一番問題があることは間違いありません。&lt;br /&gt;　だからといって政治家「のみ」が悪いのではありません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「立憲政治の確立なくして立憲国民の覚醒はない」のと同時に、「立憲国民の覚醒なくして立憲政治がない」以上、政治家が改憲発議しようにも出来ないのは、国民の改憲意識が成熟していないという反対事実を否定することができないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;strong&gt;&lt;/strong&gt;　 さて、私の知り得る限り、護憲派には次のような類型が考えられます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;１．社会主義観念論者で最も解釈改憲を嫌う者。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　&lt;strong&gt;日本国憲法は資本主義&lt;/strong&gt;に立脚した憲法であることは何ら疑いの余地もありません（第１３条）。&lt;br /&gt;　しかし&lt;strong&gt;日本の実体は社会主義&lt;/strong&gt;であることも何ら疑いの余地もありません。&lt;br /&gt;　これこそ&lt;strong&gt;「解釈改憲」&lt;/strong&gt;というのですが、この点については何故か沈黙を守っています。&lt;br /&gt;　従って、基本的に&lt;strong&gt;「何か狂ってる」&lt;/strong&gt;としか言い様がありません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;２．改憲派を「軍国主義者」と決め付ける者。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　これは心情的に決して理解できぬものではありません。 　&lt;br /&gt;　確かに以前、民主主義の自殺によって軍国主義に突き進んだことは紛れもない事実であります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;だからこそ改憲派であれ、護憲派であれ、国家権力を「憲法でもって」民意の下に置こうと国民は努力してきたのではないか。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　ただし、より一層の努力が求められることは言うまでもありません。&lt;br /&gt;　これが立憲民主主義です。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;従って、何ら必然的根拠もなく軍国主義に「逆戻りする」などとアタマから決め付けることは、アタマから国民を信用していない何よりの証拠であります。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　これほど国民を愚弄する言動はなく、言語道断であります。&lt;br /&gt;　これこそが「民主主義の自殺」という恐ろしい結果を招くことを本人らが意識も自覚もしていない実態は看過できないものであります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;主権者であり基本的人権を享受すべき国民を信用できないこと自体が民主主義に対する「狂った理解」としか言い様がありません。&lt;/strong&gt; &lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;strong&gt;☆　解釈改憲を事実上容認する者。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　これは改憲派に近いもので、「広義の護憲派」といえるものです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;現実的といえば現実的なのかもしれません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　しかし上記の通り、&lt;strong&gt;「手続きなくして民主主義なし」&lt;/strong&gt;と言われるように、手続きを度外視することは民意を度外視した一方的な国家意思への追随を意味するものであり、民主主義の自殺に繋がりかねないものであります。&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;　これらに共通していえることは、そもそも憲法を&lt;strong&gt;「所与」&lt;/strong&gt;と誤解していることであります。&lt;br /&gt;　「与えられたもの」と誤解している間は、「空想的妄想的観念論」や「アナクロニズム」といった幼児性からの脱却は不可能であります。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;ジェファーソンも伊藤博文も国の歴史を変え、新しい国を作った張本人です。&lt;br /&gt;　張本人だからこそ、将来は国民も国家も変遷することを誰よりも実感していたのではないでしょうか。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（補足）&lt;br /&gt;政府であれ、裁判所であれ、公権力による憲法解釈自体が問題なのではない。ある公権力解釈を「反対」と解釈する者から見れば、その公権力解釈を解釈改憲というのである。例えば自衛隊・私学助成金。現在の公権力解釈は合憲である。しかし、違憲論者にとっては「解釈改憲」であり、要は見え方の違いである。解釈改憲の改正要件は日本国憲法第九十六条所定の憲法改正であり、解釈改憲か否かの最終的審判者は国民である。&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-4856190482835691214?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/4856190482835691214/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/11/blog-post_10.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4856190482835691214'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4856190482835691214'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/11/blog-post_10.html' title='護憲派のための憲法改正義解'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SvjdzHe1PXI/AAAAAAAAAFQ/vb7srKL2yqI/s72-c/nisi_.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-1848639501442058121</id><published>2009-11-03T11:09:00.011+09:00</published><updated>2009-11-03T13:47:41.765+09:00</updated><title type='text'>明治天皇御生誕ノ日</title><content type='html'>　今日は「文化の日」であります。&lt;br /&gt;　これは１９４８年に設けられた祝日で、日本国憲法公布日に因んだものであります。&lt;br /&gt;　しかし現在では忘れ去られがちなのですが、もともとは「&lt;strong&gt;明治天皇御生誕の祝日&lt;/strong&gt;」であり、公布当時は「明治節」と言われていました。&lt;br /&gt;　実は、日本国憲法公布日の決定には「ちょっとした経緯」があったのです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　時は昭和２１年１０月。&lt;br /&gt;　吉田内閣（第１次）は明治節に因み、「１１月３日公布」と決めていました。&lt;br /&gt;　しかし、１１月３日というのは明治天皇の御生誕に因んだ祝日であり、GHQらが文句を言ってこないかという不安が内閣にはあったのです。&lt;br /&gt;　だから閣内では施行日について、「５月１日でどうか」、「５月５日でどうか」といった議論がありました。 　　&lt;br /&gt;　しかし、５月１日のメーデーは&lt;strong&gt;「権利として保障されている労働運動の日」&lt;/strong&gt;であり、５月５日のこどもの日は&lt;strong&gt;「男子の祝日で男女平等の精神に抵触する」&lt;/strong&gt;といったことから、やはり５月３日の施行が妥当と内閣は考えました。&lt;br /&gt;　一方、GHQの一部には若干の不満があったようですが変更指令が出されることはなく、昭和２１年１０月２９日、１１月３日に公布することが閣議決定されました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Su-RQdayRHI/AAAAAAAAAFA/GCKDFXcbLMY/s1600-h/015-1.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 211px; DISPLAY: block; HEIGHT: 257px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5399694190201422962" border="0" alt="" src="http://1.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Su-RQdayRHI/AAAAAAAAAFA/GCKDFXcbLMY/s400/015-1.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　【明治天皇（&lt;a href="http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2000/00664/contents/015.htm"&gt;日本財団図書館ｈｐより&lt;/a&gt;）】&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　現在、文化の日については「明治節と直接的な関係はない」と解釈されていますが、上記のような経緯があった以上、間接的な関係はあるのです。&lt;br /&gt;　なお、明治憲法が制定された２月１１日は「建国記念の日（旧紀元節）」であり、これは&lt;strong&gt;神武天皇の御生誕&lt;/strong&gt;に因んだものであります。&lt;br /&gt;　また、昭和天皇の御生誕日は４月２９日であり、現在は「昭和の日」であります。&lt;br /&gt;　今上天皇の御生誕日は１２月２３日であり、これは「天皇誕生日」であります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;しかし、大正天皇の御生誕日は祝日として制定されていません。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　それが何故なのかは謎であります。&lt;br /&gt;　祝日は「歴史を偲ぶ日」でもあるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＜参考＞&lt;br /&gt;「国民の祝日に関する法律」第二条（抜粋）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;・建国記念の日　政令で定める日　建国をしのび、国を愛する心を養う。&lt;br /&gt;・昭和の日　四月二十九日　激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。&lt;br /&gt;・憲法記念日　五月三日　日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;・文化の日　十一月三日　自由と平和を愛し、文化をすすめる。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;・天皇誕生日　十二月二十三日　天皇の誕生日を祝う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-1848639501442058121?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/1848639501442058121/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/11/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/1848639501442058121'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/1848639501442058121'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/11/blog-post.html' title='明治天皇御生誕ノ日'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Su-RQdayRHI/AAAAAAAAAFA/GCKDFXcbLMY/s72-c/015-1.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-8797169886327291459</id><published>2009-10-28T09:53:00.008+09:00</published><updated>2009-10-28T17:19:45.222+09:00</updated><title type='text'>憲法施行と大逆罪・不敬罪</title><content type='html'>　刑法を大雑把に眺めてみますと、第１編と第２編があり、&lt;strong&gt;刑罰一般&lt;/strong&gt;についての規定は第１編、殺人罪や詐欺罪といった&lt;strong&gt;具体的な罪&lt;/strong&gt;は第２編に規定されています。&lt;br /&gt;　ところで、具体的な刑罰規定の１番最初の条文を見ますと、&lt;strong&gt;「削除」&lt;/strong&gt;と規定されているのです。&lt;br /&gt;　いきなり削除というのは何か変な感じがするのですが、とりあえず削除された条文を復元してみましょう。&lt;br /&gt;　条文は流し読みで構いません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;第２編第１章「皇室ニ対スル罪」&lt;br /&gt;第７３条（大逆罪）&lt;br /&gt;天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ危害ヲ加ヘ又ハ加へントシタル者ハ死刑ニ處ス&lt;br /&gt;第７４条（不敬罪）&lt;br /&gt;天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ３月以上５年以下ノ懲役ニ處ス神宮又ハ皇陵ニ対シ不敬ノ行為アリタル者亦同シ&lt;br /&gt;第７５条（大逆罪）&lt;br /&gt;皇族ニ對シ危害ヲ加ヘタル者ハ死刑ニ處シ危害ヲ加ヘントシタル者ハ無期懲役ニ處ス&lt;br /&gt;第７６条（不敬罪）&lt;br /&gt;皇族ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ２月以上４年以下ノ懲役ニ處ス&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;いわゆる大逆罪・不敬罪といわれる罪で、これは簡単にいうと、天皇や皇室は格別の存在だから、天皇や皇室に悪いことをすると重い罪になるという意味です。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　実は、この大逆罪・不敬罪の削除と日本国憲法の施行とは大きな関連があるのです。&lt;br /&gt;　今回は、皇室に対する罪が削除された過程についてのお話です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　時は昭和２１年１２月２０日。&lt;br /&gt;　ホイットニー民生局長（GHQ）は木村篤太郎司法大臣に対し、上記の条文を全部削除するよう指令を出しました。&lt;br /&gt;　それに対し、第１次吉田連立内閣（日本自由党・日本進歩党）の首相であった吉田茂は１週間後の１２月２７日、マッカーサーに対し、反論書簡を提出しました。&lt;br /&gt;　以下、単に「吉田」とします。&lt;br /&gt;　吉田の反論書簡を要約すると次の通りです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;『天皇が法の下の平等に服するといっても、象徴的な特別の地位にあるのだから、大逆罪を残したからといって法の下の平等に反することにはならず、現にアメリカ、イギリスだって元首に対する特別な罰則規定があるではありませんか』&lt;/strong&gt;（甲１）。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　反論書簡では吉田は大逆罪の存置は主張しているものの、どうしたわけか不敬罪の存置は主張していません。&lt;br /&gt;　その理由はともかく、マッカーサーは吉田に対し、翌年の２月２５日、吉田の反論書簡をアッサリと一蹴してしまいました。&lt;br /&gt;　マッカーサーの主張を要約すると次の通りです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;『天皇が象徴的な存在であっても１国民に変わりないのだから、法の下の平等に服するのが当然である以上は、天皇や皇室に特別な罰則規定を設けることは国民主権を謳った新しい憲法に馴染みませんし、現在、アメリカ、イギリスには元首に対する特別な罰則規定など存在しません』&lt;/strong&gt;（乙１）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　GHQと吉田の主張は平行線のまま、昭和２２年４月２５日、第２３回衆議院議員総選挙の投票を迎えました。&lt;br /&gt;　投票の結果、吉田が率いる日本自由党は野党に下野し、日本社会党が与党第１党となりました。&lt;br /&gt;　そして昭和２２年５月３日、日本国憲法が施行され、先の選挙結果に基づき５月２４日、日本社会党の片山哲を総理とする片山連立内閣（日本社会党・民主党・国民協同党）が発足しました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SueWNWOiZ3I/AAAAAAAAAEo/uQzAbxtiAyk/s1600-h/untitled.JPG"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 343px; DISPLAY: block; HEIGHT: 220px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5397447834475849586" border="0" alt="" src="http://1.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SueWNWOiZ3I/AAAAAAAAAEo/uQzAbxtiAyk/s400/untitled.JPG" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　【片山内閣（&lt;a href="http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/46.html"&gt;首相官邸ｈｐより&lt;/a&gt;）】&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　片山内閣は昭和２２年７月２８日、GHQ指令を丸呑みした形で「皇室に対する罪」の削除を改正案として衆議院司法委員会に提出しました。&lt;br /&gt;　この改正案に断固反対したのが日本自由党の&lt;strong&gt;北浦圭太郎衆議院議員&lt;/strong&gt;です。&lt;br /&gt;　以下、単に「北浦議員」とします。&lt;br /&gt;　北浦議員は弁護士でもあり、第１次吉田内閣では吉田内閣の重鎮として司法政務次官を務めたことで有名です。&lt;br /&gt;　北浦議員は昭和２２年７月３１日、上述した吉田の反対書簡に沿った形で概ね次のような反対意見を衆議院司法委員会で発言しました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;『確かに天皇は１国民には相違ないし相違ないに違いありません。&lt;br /&gt;ゆえに天皇が単なる１国民であるなら「法の下の平等」に服することになるでしょう。&lt;br /&gt;しかし法の下の平等は、&lt;strong&gt;全ての「一般国民」&lt;/strong&gt;に対する規定であり、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴でもある以上、&lt;strong&gt;天皇は「全ての一般国民に含まれない」&lt;/strong&gt;と解するのが当然であります。&lt;br /&gt;現に皇室典範においては法の下の平等の例外規定が定められており、１国民とは違う特別な存在なのです。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;特別な存在には特別な刑罰規定（皇室に対する罪）があって然るべきであって、これが法の下の平等に抵触することなど何もありません&lt;/strong&gt;』（甲２）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　北浦議員の主張に対し、佐藤藤佐政府委員は次のように答弁しています。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;『天皇も法の下の平等にいう&lt;strong&gt;「全ての国民に含まれるもの」&lt;/strong&gt;であり、その精神を徹底させるためにも皇室に対する罪を削除したいのであります。&lt;br /&gt;だからといって天皇に特別な地位を認めないという趣旨ではなく、&lt;strong&gt;皇室に対する罪を削除したからといって天皇の象徴性に抵触することなど何もありません&lt;/strong&gt;』（乙２）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;このように、北浦議員と佐藤政府委員の主張が正反対であることが一目瞭然でしょう。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　これは前述の吉田とマッカーサーの主張が正反対であったことと合致しています。&lt;br /&gt;　まあ、北浦議員は野党であったためか、皇室に対する罪を残すことは難しい情勢でありました。&lt;br /&gt;　それでも北浦議員は諦めず、１０月３日、皇室に対する罪から「天皇に対する不敬罪」のみに罪を絞って衆議院司法委員会にこれを修正案として提出しました。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;しかし、政府の改正案（GHQの削除指令）が連立与党の賛成多数で可決され、１０月２６日、刑法改正によって皇室に対する罪は削除されたのであります。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　以上が「皇室に対する罪」が削除された経緯であります。&lt;br /&gt;　なお、この改正と同時に以下の条文が削除追加されました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　刑法第９０条・第９１条（外国元首、使節に対する暴行、脅迫、侮辱の罪）&lt;br /&gt;　刑法第１３１条（皇宮侵入罪）&lt;br /&gt;　さらに、天皇などに対する名誉毀損罪・侮辱罪は内閣総理大臣が天皇に代わり告訴できる規定が追加されました（刑法第２３２条第２項）。 &lt;/p&gt;&lt;p&gt;　さて、以前&lt;a href="http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/10/blog-post_15.html"&gt;天皇を訴える？＜刑事編＞&lt;/a&gt;でお話したとおり、天皇が加害者である場合と天皇が被害者である場合とでは、法的な見方が随分違うものであります。&lt;br /&gt;　一見、二重基準かのように思えてしまうのですがそんな単純なものではありません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;天皇は日本国の象徴であり、日本国の歴史、文化、伝統の象徴であり、また日本国民統合の象徴であり、日本国民の生命、身体、精神の象徴でもあるからなのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　では、天皇が憲法以外の象徴として果たすべき役割責任とは何か？&lt;br /&gt;　答えは憲法に書かれていません。 &lt;/p&gt;&lt;p&gt;＜参考資料＞&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;（甲１）　&lt;/span&gt;&lt;a href="http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/05/134/134_001r.html"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;Letter from Shigeru Yoshida to General MacArthur dated December 27, 1946&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;&lt;br /&gt;（乙１）　&lt;/span&gt;&lt;a href="http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/05/137/137_001r.html"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;Letter from Douglas MacArthur to Prime Minister dated 25 February 1947&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;（甲２）　&lt;/span&gt;&lt;a href="http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=8135&amp;amp;SAVED_RID=1&amp;amp;PAGE=0&amp;amp;POS=0&amp;amp;TOTAL=0&amp;amp;SRV_ID=1&amp;amp;DOC_ID=1117&amp;amp;DPAGE=1&amp;amp;DTOTAL=10&amp;amp;DPOS=5&amp;amp;SORT_DIR=1&amp;amp;SORT_TYPE=0&amp;amp;MODE=1&amp;amp;DMY=8388"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;第１回衆議院司法委員会議録第９号（昭和２２年７月３１日）&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;（乙２）　&lt;/span&gt;&lt;a href="http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=8135&amp;amp;SAVED_RID=1&amp;amp;PAGE=0&amp;amp;POS=0&amp;amp;TOTAL=0&amp;amp;SRV_ID=1&amp;amp;DOC_ID=1117&amp;amp;DPAGE=1&amp;amp;DTOTAL=10&amp;amp;DPOS=5&amp;amp;SORT_DIR=1&amp;amp;SORT_TYPE=0&amp;amp;MODE=1&amp;amp;DMY=8388"&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;第１回衆議院司法委員会議録第９号（昭和２２年７月３１日）&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="font-size:78%;"&gt;全て国立国会図書館ｈｐより&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-8797169886327291459?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/8797169886327291459/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/10/blog-post_28.html#comment-form' title='1 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/8797169886327291459'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/8797169886327291459'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/10/blog-post_28.html' title='憲法施行と大逆罪・不敬罪'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SueWNWOiZ3I/AAAAAAAAAEo/uQzAbxtiAyk/s72-c/untitled.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-5429498737594910858</id><published>2009-10-20T09:37:00.003+09:00</published><updated>2009-10-20T10:13:55.759+09:00</updated><title type='text'>天皇を訴える？＜民事編＞</title><content type='html'>　前回は刑事上の問題についてお話をしました。&lt;br /&gt;　今回は、前回の具体例のように、天皇が不注意で誰かに怪我を負わせた場合、天皇にはどのような民事上の問題が生じるかを検討します。&lt;br /&gt;　民事上の問題といっても、これは刑事上の問題と同様、&lt;strong&gt;「民事裁判権」と「民事責任」&lt;/strong&gt;と２つに分けて考えなければなりません。&lt;br /&gt;　では、天皇と民事裁判権の関係について考えましょう。&lt;br /&gt;　刑事訴訟で天皇に刑罰を科した裁判例など存在しません。&lt;br /&gt;　しかし、民事裁判で天皇を訴えた「つわ者」が実は存在するのです。&lt;br /&gt;　その一例を紹介します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　昭和６３年、昭和天皇が崩御する寸前のこと。&lt;br /&gt;　千葉県知事が昭和天皇の病気快癒を願い、県民記帳所を設置しました。&lt;br /&gt;　しかし、この記帳所設置に公費を使うことを違法として千葉県知事に対し損害賠償を、また、設置費用相当額を不当利得した昭和天皇を平成天皇が相続したとして平成天皇に対し不当利得返還を、千葉県民が千葉地裁に請求しました。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　少し複雑な内容かもしれませんが、気にすることはありません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;なぜなら、結論から言えば、天皇は被告になりません、と裁判所はアッサリ判断したからです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　裁判所といっても、実は千葉地裁と東京高裁を行ったり来たりしていたのですが、いずれの裁判所も「訴状」または「訴え」を門前払いしたのです。&lt;br /&gt;　理由は簡単です。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;天皇は象徴だから。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　納得のいかない千葉県民は最高裁に上告しました。&lt;br /&gt;　上告理由は簡単です。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;単に象徴だから天皇が被告にならないのは理由になりません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;strong&gt;&lt;/strong&gt;　さて、上告状と上告理由書を読んだ最高裁は平成元年１１月２０日、どう判決を下したか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;【判決】　上告棄却&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;上告人の上告状及び上告理由書記載の上告理由について。&lt;br /&gt;天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、&lt;strong&gt;天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である。&lt;/strong&gt;したがって、訴状において天皇を被告とする訴えについては、その訴状を却下すべきものであるが、本件訴えを不適法として却下した第一審判決を維持した原判決は、これを違法として破棄するまでもない（注１）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　つまり最高裁は、上告状と上告理由書を見ただけでサッサと判決を下しています。&lt;br /&gt;　これは下級裁と同様、門前払いということです。&lt;br /&gt;　ただし、この判決には議論の余地があるのも事実です。&lt;br /&gt;　というのは、この判決文は余りにも単純な短文であり、象徴という言葉が明確に定義されていないからです。&lt;br /&gt;　また、天皇を被告にしたからといって、何故それが直ちに象徴否定につながるのか、何ら説明がなされていないからです。&lt;br /&gt;　個人的にはこの判決を妥当と考えますが、将来また誰かが天皇を訴えたところで判例は変更されないと思います。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;結論としては、天皇に民事裁判権は及ばない、すなわち、天皇を民事で裁判所に訴えることは出来ないのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　一方、天皇に民事責任があるのか否かを検討してみましょう。&lt;br /&gt;　冒頭の例で考えますと、民事責任、すなわち、天皇には治療費、慰謝料を支払う義務があるかどうかです。&lt;br /&gt;　これは結論としては天皇にも「民事責任はある」とするのが通説であります。&lt;br /&gt;　天皇といっても公務（国事行為）を離れれば、私法行為を行うものであり、象徴といっても何も法を超越した存在ではなく、民法上の私的自治の原則に服するものと考えられています。&lt;br /&gt;　ただし、直接天皇が責任を負うのか否かということです。&lt;br /&gt;　すなわち、直接的に誰が責任を負うのかが問題となるのですが、これについて宮内庁は平成１７年２月１８日、皇室典範に関する有識者会議（第２回）で次のような見解を示しています（注２）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国事行為以外の行為についても天皇の行為である以上は&lt;strong&gt;「内閣が常に最終的な責任を持つ」&lt;/strong&gt;ということであり、国事行為等における内閣の責任とは意味合いないしは程度が違う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この見解は、日本国憲法第３条に基づく見解であります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第３条】&lt;br /&gt;天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　つまり、内閣の責任を国事行為だけに限定するのではなく、&lt;strong&gt;それ以外の行為にも範囲を広めて内閣に責任を負わせるという解釈です。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　これを法学では「拡大解釈」といいます。&lt;br /&gt;　ただし、上記の見解通り、国事行為における責任よりは軽いのです。&lt;br /&gt;　「常に最終的な責任を持つ」というのは若干不明瞭な表現ですが、これは現実的にはまず宮内庁が責任を負い、常に内閣が宮内庁と連帯して責任を負うことになるのでしょう。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;よって、被害者は、天皇（宮内庁等）に対し、治療費や慰謝料を請求することは可能なのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　まあ、天皇ご自身の行為に関することですから、宮内庁（または内閣）はケチケチせずキチンキチンとお金を支払うのではないでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;以上より、天皇を民事裁判で訴えることはできないものの、間接的に天皇に民事責任を問うことはできるのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（注１）　最高裁判所の判決文は&lt;a href="http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/C7E49A91B974C69049256A8500311EDA.pdf"&gt;裁判所公式ｈｐ&lt;/a&gt;より。&lt;br /&gt;（注２）　皇室典範に関する有識者会議（第２回）は&lt;a href="http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai2/2gijiyousi.html"&gt;首相官邸ｈｐ&lt;/a&gt;より。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-5429498737594910858?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/5429498737594910858/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/10/blog-post_20.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/5429498737594910858'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/5429498737594910858'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/10/blog-post_20.html' title='天皇を訴える？＜民事編＞'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-7999674327699209283</id><published>2009-10-15T17:43:00.003+09:00</published><updated>2009-10-16T08:37:15.918+09:00</updated><title type='text'>天皇を訴える？＜刑事編＞</title><content type='html'>　例えば誰かとすれ違ったとき、不注意によって相手に怪我を負わせたとしましょう。&lt;br /&gt;　法的には刑事上の問題と民事上の問題が生じるのですが、この場合、刑事的には「過失傷害罪」の問題であり、民事的には「損害賠償」の問題です。&lt;br /&gt;　しかし怪我を負わせた者が天皇であった場合、これをどのように考えればよいのでしょうか。&lt;br /&gt;　刑事上の問題と民事上の問題は性質が異なりますので、別々に分けて考えてみます。&lt;br /&gt;　今回は刑事上の問題について、次回は民事上の問題についてお話します。&lt;br /&gt;　さて、刑事上の問題といっても、&lt;strong&gt;「刑事裁判権」と「刑事責任」&lt;/strong&gt;の２つに分けられます。&lt;br /&gt;　先ずは天皇と刑事裁判権の関係を検討しましょう。&lt;br /&gt;　当たり前といえば当たり前なのですが、そもそも天皇が刑罰を受けた裁判例などありません。&lt;br /&gt;　また直接的な条文規定もないのですが、あえて言えば皇室典範第２１条に求めることができると考えられています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【皇室典範第２１条】&lt;br /&gt;摂政は、その在任中、&lt;strong&gt;訴追されない&lt;/strong&gt;。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「訴追」という言葉ですが、これは刑事訴訟で使われるものであり、民事訴訟で使われることはあまりありません。&lt;br /&gt;　さて、条文から明らかなように、摂政ですら在任中は訴追されないわけですから、天皇なら勿論訴追されないと解釈できるのです。&lt;br /&gt;　これを法学では&lt;strong&gt;「勿論解釈」&lt;/strong&gt;といい、立派な法学用語であります。&lt;br /&gt;　逆に、天皇と摂政は違うのだから、天皇は訴追されると解釈することは、理屈の上では可能です。&lt;br /&gt;　これを法学では「反対解釈」というのですが、殆んど支持されていない解釈であります。&lt;br /&gt;　但し、在任中は訴追出来ないだけであり、在任中でなければ訴追は可能です。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;とはいっても、皇位継承の要件は天皇崩御ですから（皇室典範第４条）、天皇の生存中は訴追されることがないのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　なお、訴追という用語に明確な定義がなく、天皇の訴追に関していえば、逮捕、勾留も通説では訴追に含まれます。&lt;br /&gt;　しかし訴追の権利は害されないわけですから、これを素直に解釈すれば、天皇の崩御後なら犯罪の疑いのある行為や事実を捜査することは出来るわけです&lt;br /&gt;　ただし、被疑者「崩御」として検察官送致が出来るまでで、崩御している以上、不起訴処分とするしかありません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;従って結論としては、天皇には刑事訴訟権は及ばない、すなわち、検察は天皇を被告人として刑事裁判を起こすことは出来ないのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　次に、天皇を刑事責任に問えるか否かを検討してみましょう。&lt;br /&gt;　刑事責任というのは、単純に「刑法上の責任」と考えて差し支えありません。&lt;br /&gt;　さきほどの皇室典範第２１条を文字通りに解釈した限りでは、たとえ天皇であっても犯罪行為、犯罪事実そのものを払拭することは出来ないものであります。&lt;br /&gt;　その意味においては天皇も刑事責任を有しています。&lt;br /&gt;　これは、刑法第１条にその根拠を求めることが出来るのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【刑法第１条第１項】&lt;br /&gt;この法律は、日本国内において罪を犯した&lt;strong&gt;すべての者&lt;/strong&gt;に適用する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　すべての者とあるから、天皇も１個人であるだけなら天皇にも適用されて然るべきでしょう。&lt;br /&gt;　しかし、天皇の場合、そう単純な話ではないのです。&lt;br /&gt;　なぜならこれは、今回及び次回の話の中心となる日本国憲法第１条の規定があるからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第１条】&lt;br /&gt;天皇は、&lt;strong&gt;日本国の象徴&lt;/strong&gt;であり&lt;strong&gt;日本国民統合の象徴&lt;/strong&gt;であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　すなわち、天皇は単なる個人だけでなく、「日本国の象徴」であり、「日本国民統合の象徴」でもあるからです。&lt;br /&gt;　これは天皇の三面性といわれる極めて特殊な存在であり、天皇は特別格段の地位にあるのです。&lt;br /&gt;　この３つの立場を時々に応じて切って切り離すことが出来るなら、上記の「すべての者」の適用を当然に受けることとなります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;しかし、この３つの立場はいつ如何なる場合においても切り離すことは不可能と考えるのが自然であり、法学でも争いはありません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　従って、「個人としての天皇も刑法の適用を受けるが、同時に象徴という特別格段の地位を有しているが故に&lt;strong&gt;刑法上のすべての者に該当しない&lt;/strong&gt;」ということです。&lt;br /&gt;　ややこしい言い回しに聞こえるかもしれませんが、要するに俗な言い方をすれば、「人は犯罪人になっても、日の丸は犯罪人にならない」ということです。&lt;br /&gt;　結局のところ、刑事裁判権についても天皇の象徴性が前提となっているのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;もっとも、象徴を法的に定義することは簡単ではないのですが、世界に誇るべき永い歴史、伝統、文化を有する「日本国」と、日本固有の精神を有する「総ての日本人」とを統合する「天皇の地位の尊厳性重大性」から、「天皇が罪を犯す」ことなど想定していないのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;以上より結論としては、「天皇には刑事責任はなく、天皇に対し刑事訴訟を起こせない」のです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　ただし、刑事訴訟と刑法は本来的には別物であり、天皇に刑事訴訟権が及ばないこと「のみ」をもって直ちに刑事責任が排除されるものではないことに注意して頂ければと思います。&lt;br /&gt;　次回は民事上の問題についてです。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-7999674327699209283?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/7999674327699209283/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/10/blog-post_15.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/7999674327699209283'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/7999674327699209283'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/10/blog-post_15.html' title='天皇を訴える？＜刑事編＞'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image 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/&gt;内閣総理大臣は、内閣を代表して内閣提出の法律案、予算&lt;strong&gt;その他の議案&lt;/strong&gt;を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;さて、今回検討したいのは、内閣が作成した憲法改正原案を国会に提出できるか否かであります。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　上記２つの条文には憲法改正という言葉がありません。&lt;br /&gt;　書かれてない以上、国会に提出できる意見とできない意見とに分かれるのは仕方ないことではありますが、「書いてある、書いてない」だけで争ってみても意味がありません。&lt;br /&gt;　このような場合は、条文解釈によって結論を導かなければならないのです。&lt;br /&gt;　さて、上記の内閣法第５条をよく見ますと「その他の議案」とあります。&lt;br /&gt;　ここでは&lt;strong&gt;「憲法改正案がその他の議案に含まれるのか含まれないのか」&lt;/strong&gt;を考えればよいのです。&lt;br /&gt;　因みに、法律と憲法は法理論上別物ですので、条文中の法律案に憲法改正案は含まれません。&lt;br /&gt;　内閣法第５条の議案というのは、&lt;strong&gt;「国会での審議の対象となる原案」&lt;/strong&gt;のことであります。&lt;br /&gt;　法律案であれ、予算案であれ、その他の議案であれ、内閣が原案として国会に提出するのは権利（または義務）として認められています。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;しかし、原案を審議検討する権利は専ら国会にあるのですから、国会が原案通りに議決しようと廃案にしようと色々と修正して議決しようと国会の勝手なのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　「あくまでも内閣が原案として国会に提出できるだけ」というのが条文の意味なのです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;従って、憲法改正原案が国会での審議の対象である以上は、内閣が憲法改正案を原案として国会に提出することだけなら何の問題もありません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　ただし、憲法改正については、前回紹介した日本国憲法第９６条規定のとおり、各議院の総議員の３分の２以上の賛成がなければ、憲法改正案として国民に発議することができません。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　なお、憲法改正原案の発議権については当然国会にも認められていますが、基本的要件は&lt;strong&gt;「衆議院　議員においては１００人以上・参議院においては５０人以上」の賛成&lt;/strong&gt;です（国会法第６８条の２など）。&lt;br /&gt;　また、各議院に&lt;strong&gt;憲法審査会&lt;/strong&gt;を設置することができ、憲法審査会は憲法改正原案を発議することが出来ます（国会法第１０２条の６・国会法第１０２条の７）。&lt;br /&gt;　ただし、国会による発議権は、「日本国憲法の改正手続きに関する法律」が来年施行されるまでは適用されません（施行は来年５月以降の予定）。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;ここで注意しなければならないのは、あくまでも国会が憲法改正原案を発議する権利と要件についての規定であり、「内閣が改正原案を国会に提出してはならない」という禁止規定ではないのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　上記のポイントを整理しておきましょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;・内閣も国会も憲法改正原案を国会に提出（発議）することができる。&lt;br /&gt;・提出元が内閣であれ国会であれ憲法改正原案を議決する権利は国会のみにある。&lt;br /&gt;・国会が議決した憲法改正原案を「憲法改正案」として国民に発議する権利は国会のみにある。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　提出と発議の言葉上の違いは、作成元が内閣か国会かの違いに過ぎず、提出権というのは単純に発議権と考えれば良いのです。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;　原案を「提出する」も「発議する」も、「意見を出す」という意味に決まってるではありませんか。&lt;br /&gt;　単なる言葉の違いをやたら目くじら立てて強調するから、「内閣に提出権があっても発議権がないから提出権がない」など意味不明で頓珍漢チンプンカンプンな話になるのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　「内閣の国会への提出権」・「国会の議決権」・「国会の国民への発議権」は別の話なのであり、このことを混同するが故に、議論がややこしくなるのです。&lt;br /&gt;　 &lt;strong&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　なお、内閣の憲法改正原案の提出権について日本政府はどのような見解を示しているか。&lt;br /&gt;　これは、土井たか子元衆議院議員が平成１６年８月５日に提出した政府への質問趣意書において「内閣の憲法改正原案の提出権の有無」を&lt;a href="http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a160066.htm"&gt;質問&lt;/a&gt;したのに対し、&lt;strong&gt;「政府としては、憲法改正についての議案についても、内閣はこれを提出できると考えている」&lt;/strong&gt;と&lt;a href="http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b160066.htm"&gt;答弁&lt;/a&gt;しています。&lt;br /&gt;　ただし、現在政府が憲法改正を現実の課題としていないのは、内閣が憲法改正原案を出したところで国会の議決を得られないだけのことだからなのです。&lt;br /&gt;　あくまでも現在は課題と「していない」だけであり、課題に「できない」わけでもなく、「してはならない」わけでも何でもありません。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;内閣は憲法改正原案を国会に提出できるのです。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-3114052376716889146?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/3114052376716889146/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/09/blog-post_30.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/3114052376716889146'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/3114052376716889146'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/09/blog-post_30.html' title='内閣と憲法改正の関係'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-7302476514551613060</id><published>2009-09-20T11:27:00.003+09:00</published><updated>2009-09-20T13:03:53.679+09:00</updated><title type='text'>大臣の改憲発言</title><content type='html'>　改憲発言によって辞任に追い込まれたり国会を空転させてしまった大臣が何人もいます。&lt;br /&gt;　大臣の改憲発言を問題視する人達（特に護憲派左翼）が先ず引き合いに出すのは第９９条です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【第９９条（憲法尊重擁護義務）】&lt;br /&gt;天皇又は摂政及び&lt;strong&gt;国務大臣、国会議員&lt;/strong&gt;、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここで検討されなくてはならないのは&lt;strong&gt;「改憲発言が憲法尊重擁護義務に違反するか否か」&lt;/strong&gt;であります。&lt;br /&gt;　まず、改憲発言が違憲であると仮定しましょう。&lt;br /&gt;　この仮定が正しいのなら、国会議員の改憲発言も違憲ということになります。&lt;br /&gt;　しかしこれは明らかに間違いであります。&lt;br /&gt;　何故か。&lt;br /&gt;　それは、日本国憲法には以下の規定があるからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【第９６条第１項（憲法改正手続）】&lt;br /&gt;この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;国会議員の改憲発言が違憲であるなら、国会議員が憲法改正案を審議することも、国民に発議することも全て違憲になってしまうのです。&lt;br /&gt;　これでは憲法改正手続の存在理由はないのではないでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　憲法改正手続と憲法尊重擁護義務との整合性をどのようにとるのか。&lt;br /&gt;　護憲派と呼ばれる人達からの明確な説明はありません。&lt;br /&gt;　また、第９９条以外にも違憲の根拠を議院と内閣の連帯責任制に求める意見や（第６６条第３項）、内閣の議案提出権に求める意見がありますが（第７２条）、いずれも改正発言違憲を説明できないものであります。&lt;br /&gt;　要するに上記の仮定そのものが間違いなのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、第９９条の正しい解釈はこうです。&lt;br /&gt;　天皇も摂政も国務大臣も国会議員も裁判官その他の公務員も、彼らが&lt;strong&gt;「職務を遂行するのにあたり」&lt;/strong&gt;憲法に違反することがあってはならない。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;すなわち大臣は、自分の考え方が憲法の規定と異なるからといって政府の方針に逆らって憲法違反となるような行政権を行使してはならないだけのことなのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　大臣の改憲発言だけをもって憲法で保障されている国民の個別的具体的権利が侵害された実例は存在しません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;公言であれ私言であれ、職務遂行と改憲発言は全く別次元の話であります。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　別次元の話を持ち出して改正手続規定を無視することが果たして健全な護憲と言えるのか。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;　憲法を守れと言いながら片方では憲法を無視しているのが護憲派の実態なのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　真に護憲を唱えるならば、改正手続条項は削除されなければなりません。&lt;br /&gt;　しかしこれって&lt;strong&gt;「改憲論そのもの」&lt;/strong&gt;ではないのでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　自衛軍・核武装・国立追悼施設（靖国神社代替施設）・一院制・首相公選制・大選挙区制・衆議院の法案再議決権などなど憲法と関連のある議題は山ほどあります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「話し合いましょう話し合いましょう話し合いが大切です」と口先だけ並べ立てている護憲派は、「憲法に指一本触れないとは言ってません」と枕詞は添えるものの、上記のような国の根幹に関わる議題を前向きに検討する気は全くありません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　いや、それどころか第９９条を問答無用の改憲論封殺（権力闘争）の根拠にしているのです。&lt;br /&gt;　このことは、第９６条のみならず、第２１条（言論の自由）をも無視していることを意味します。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;反権力も権力は権力です。&lt;br /&gt;　護憲は「誤憲」であります。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　このことを銘記しつつ、支離滅裂な護憲派の蛮行を常に警戒しなければなりません。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;　大臣の改憲発言は合憲です。&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-7302476514551613060?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/7302476514551613060/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/09/blog-post_20.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/7302476514551613060'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/7302476514551613060'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/09/blog-post_20.html' title='大臣の改憲発言'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-2979853644215763379</id><published>2009-09-15T10:00:00.005+09:00</published><updated>2009-09-15T10:16:25.599+09:00</updated><title type='text'>言葉の使い分け</title><content type='html'>　日常会話においては似たような言葉を曖昧に区別して使うものです。&lt;br /&gt;　例えば、口論などがあった場合、「今言ったことを取り消せ」といったり、「今言ったことを撤回しろ」といったりするのですが、法律では&lt;strong&gt;「取り消し」&lt;/strong&gt;と&lt;strong&gt;「撤回」&lt;/strong&gt;は、法の遡及効においては対概念であり、法律の世界では両者を正確に使い分けなければなりません。&lt;br /&gt;　また報道を見てますと、刑事事件も民事事件も共に&lt;strong&gt;「被告」&lt;/strong&gt;という言葉が使われるのですが、法律では、被告は民事事件等で使う言葉に対し、刑事事件では&lt;strong&gt;「被告人」&lt;/strong&gt;と必ず「人」を付けなければなりません。&lt;br /&gt;　これ以外にも、法律では細かい言葉の使い分けがたくさんあります。&lt;br /&gt;　この用語の使い分けが法律をとっつきにくくしている理由の１つかもしれないのですが、慣れてくると法律の意味を明瞭に理解できる便利なものなのです。&lt;br /&gt;　以下、よくある法令用語の違いを思いついたまま列挙してみます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　&lt;strong&gt;「及び」・「並びに」&lt;br /&gt;　　「又は」・「若しくは」&lt;br /&gt;　　「以上」・「超える」&lt;br /&gt;　　「以下」・「未満」&lt;br /&gt;　　「以内」・「内」&lt;br /&gt;　　「以前」・「前」&lt;br /&gt;　　「以後」・「後」・「以降」&lt;br /&gt;　　「以外」・「その他」・「その他の」&lt;br /&gt;　　「のほか」・「を除くほか」&lt;br /&gt;　　「者」・「物」・「もの」&lt;br /&gt;　　「とき」・「時」・「場合」&lt;br /&gt;　　「期限」・「期日」・「期間」&lt;br /&gt;　　「送達」・「到達」・「通達」・「進達」&lt;br /&gt;　　「係る」・「関する」&lt;br /&gt;　　「適用」・「準用」&lt;br /&gt;　　「棄却」・「破棄」&lt;br /&gt;　　「推定」・「みなす」&lt;br /&gt;　　「してはならない」・「することができない」&lt;br /&gt;　　「妨げない」・「ものとする」&lt;br /&gt;　　「善意」・「悪意」　&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　これらがどのように違うのかは、具体的な条文等を紹介した際、必要に応じて説明したいと思います。&lt;br /&gt;　今回は、「何か違いがあるのだなぁ」と思う程度に留めていただければと思います。&lt;br /&gt;　上記以外にも例えば&lt;strong&gt;「かりょう」&lt;/strong&gt;と読む法令用語には&lt;strong&gt;「科料」&lt;/strong&gt;と&lt;strong&gt;「過料」&lt;/strong&gt;の２つがあり、それぞれを区別するために「とがりょう」、「あやまちりょう」と読む場合があります。&lt;br /&gt;　また&lt;strong&gt;「けんげん」&lt;/strong&gt;と読む法令用語には&lt;strong&gt;「権限」&lt;/strong&gt;と&lt;strong&gt;「権原」&lt;/strong&gt;の２つがあり、それぞれを区別するために「けんげん」、「けんばら」と読む場合があります。&lt;br /&gt;　また、ユニークなのですが、&lt;strong&gt;「天然果実」&lt;/strong&gt;という用語があります。&lt;br /&gt;　これは本当に民法の条文に出て来るもので、私が初めてこの言葉を知ったとき、「どんな意味かな」と思った記憶があります。&lt;br /&gt;　なお、天然果実のほか、「法定果実」、「毒樹の果実」といった用語もあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　【民法第８８条】&lt;br /&gt;　　物の用法に従い収取する産出物を&lt;strong&gt;天然果実&lt;/strong&gt;とする。&lt;br /&gt;　　２．物の使用の対価として受けるべき金銭その他の物を&lt;strong&gt;法定果実&lt;/strong&gt;とする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「毒樹の果実」&lt;/strong&gt;というのは、日本国憲法第３５条（または刑事訴訟法第３章第４節「証拠」）所定の「違法収集証拠」を検討するときに使われる言葉です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="justify"&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sq7n1XUnHlI/AAAAAAAAAEY/PlbxHnsR0sQ/s1600-h/kokusho.JPG"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 344px; DISPLAY: block; HEIGHT: 214px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5381493508733869650" border="0" alt="" src="http://1.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sq7n1XUnHlI/AAAAAAAAAEY/PlbxHnsR0sQ/s400/kokusho.JPG" /&gt;&lt;/a&gt; 　　　　　　　　　　　　　【日本国（準）国章（&lt;a href="http://www.kantei.go.jp/jp/q&amp;amp;a/archive/20040805a.html"&gt;首相官邸ｈｐより&lt;/a&gt;）】&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div align="justify"&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div align="justify"&gt;　法律関係に携わる者は、このような言葉を使い分けなければなりません。&lt;br /&gt;　実務法律家は特に「時間に関する用語」については毎回神経を尖らせています。&lt;br /&gt;　これを間違うと、時効によって依頼人の権利が全て消滅する虞があるからです。&lt;br /&gt;　もっとも、日常会話で法令用語の違いを持ち出していちいち「これとあれは意味が違う」などと言わないように私は心がけています。&lt;br /&gt;　そうでないと「こいつは頭が硬い」と思われますから。&lt;br /&gt;　そうでなくても私は「頭が硬い」と思われているのですが‥。&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-2979853644215763379?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/2979853644215763379/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/09/blog-post_15.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/2979853644215763379'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/2979853644215763379'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/09/blog-post_15.html' title='言葉の使い分け'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sq7n1XUnHlI/AAAAAAAAAEY/PlbxHnsR0sQ/s72-c/kokusho.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-136960869520829321</id><published>2009-09-10T16:49:00.007+09:00</published><updated>2009-09-10T17:12:19.998+09:00</updated><title type='text'>国会召集について</title><content type='html'>　今回は条文の紹介が中心になりますが、国会召集についてお話します。&lt;br /&gt;　国会召集については、憲法または国会法（憲法附属法）で&lt;strong&gt;「常会」、「臨時会」、「特別会」&lt;/strong&gt;の３つが定められています。&lt;br /&gt;　国会召集には召集証書が必要であり（国会法第１条）、天皇が国会を召集します（憲法第７条第２号）。&lt;br /&gt;　なお、通常国会、臨時国会、特別国会という言葉はマスコミ用語であり、法律ではこのような言葉を使いません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「常会」&lt;/strong&gt;は、次の規定に基づいて召集されます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第５２条】&lt;br /&gt;国会の常会は、毎年一回これを召集する。&lt;br /&gt;【国会法第２条】&lt;br /&gt;常会は、毎年１月中に招集するのを常例とする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回の選挙に基づいて召集されるのが&lt;strong&gt;「特別会」&lt;/strong&gt;で、特別会は、次の規定に基づいて招集されます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第５４条第１項】&lt;br /&gt;衆議院が解散されたときは、解散の日から４０日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から３０日以内に、国会を召集しなければならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　特別会で最初に決めることは議長と副議長で、この時の司会進行役は「事務総長」であります（国会法第７条）。&lt;br /&gt;　議長と副議長が決まると、議長の下で議席や会期などが決められ、そして総理大臣が指名されます。&lt;br /&gt;　その後、組閣に入ります。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　衆議院議員任期満了に因る選挙の後は&lt;strong&gt;「臨時会」&lt;/strong&gt;が招集されます。&lt;br /&gt;　臨時会を召集することが「できる場合」、&lt;strong&gt;「しなければならない場合」、&lt;/strong&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style="color:#993399;"&gt;「しなくてもよい場合」&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;については、次の規定に基づきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第５３条】&lt;br /&gt;内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。&lt;strong&gt;いづれかの議院の総議員の４分の１以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;【国会法第２条の３】&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;衆議院議員の任期満了による総選挙が行われたときは、その任期が始まる日から３０日以内に臨時会を召集しなければならない。&lt;span style="color:#993399;"&gt;但し、&lt;/span&gt;&lt;span style="color:#993399;"&gt;その期間内に常会が召集された場合又はその期間が参議院議員の通常選挙を行うべき期間にかかる場合&lt;/span&gt;&lt;span style="color:#993399;"&gt;は、この限りでない。&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;２．&lt;strong&gt;参議院議員の通常選挙が行われたときは、その任期が始まる日から３０日以内に臨時会を召集しなければならない。&lt;span style="color:#993399;"&gt;但し、&lt;/span&gt;&lt;span style="color:#993399;"&gt;その期間内に常会若しくは特別会が召集された場合又はその期間が衆議院議員の任期満了による総選挙を行うべき期間にかかる場合&lt;/span&gt;&lt;span style="color:#993399;"&gt;は、この限りでない。&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="center"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sqivt-0oetI/AAAAAAAAAEQ/CtzdX4ir0S0/s1600-h/gijidou002.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 329px; DISPLAY: block; HEIGHT: 206px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5379742959386786514" border="0" alt="" src="http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sqivt-0oetI/AAAAAAAAAEQ/CtzdX4ir0S0/s400/gijidou002.jpg" /&gt;&lt;/a&gt; 【衆議院議場（&lt;a href="http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kokkai.htm"&gt;衆議院公式hp「国会施設案内」より&lt;/a&gt;）】&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;　上記の国会召集のほかに、&lt;strong&gt;「参議院の緊急集会」&lt;/strong&gt;というのが憲法で定められています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第５４条第２項・第３項】&lt;br /&gt;２．衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、&lt;strong&gt;内閣は&lt;/strong&gt;、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。&lt;br /&gt;３．前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後１０日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;何故「集会」かといいますと、これは「内閣による召集」であって、「天皇の国事行為による召集ではない」からであります。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　ただし戦後、緊急集会が召集されたことはほとんどありません。&lt;br /&gt;　国会以外にも、一般社会では「◎◎総会」や「取締役会」などといった会の名称があるのですが、「国会」というには、上記のような召集手続きを経なければならないのです。&lt;br /&gt;　国によって国会召集手続の違いはあるものの、国会召集手続については必ず憲法や法律によって明確に定められています。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-136960869520829321?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/136960869520829321/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/09/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/136960869520829321'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/136960869520829321'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/09/blog-post.html' title='国会召集について'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sqivt-0oetI/AAAAAAAAAEQ/CtzdX4ir0S0/s72-c/gijidou002.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-8151836980921573769</id><published>2009-08-31T17:16:00.003+09:00</published><updated>2009-08-31T17:32:22.039+09:00</updated><title type='text'>国民の審判</title><content type='html'>　&lt;strong&gt;第４５回衆議院議員総選挙が終わりました。&lt;br /&gt;　二大政党だけを比べますと、前回の自民党の獲得総議席数２９６議席に対し、今回は１１９議席と大きく減少しました。&lt;br /&gt;　一方、前回の民主党の獲得総議席数１２３議席に対し、今回は３０８議席と大きく増加しました。&lt;br /&gt;議席数だけを見れば、自民党の議席数がほぼそのまま民主党に移った感じです。&lt;br /&gt;　このような民主党の歴史的圧勝（自民党の歴史的惨敗）により政権が交代した大きな要因の１つは、「小選挙区制比例代表並立制」であります。&lt;br /&gt;　詳しくは、以前お話した&lt;/strong&gt;&lt;a href="http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009_07_01_archive.html"&gt;&lt;strong&gt;民意と小選挙区制度～郵政選挙～&lt;/strong&gt;&lt;/a&gt;&lt;strong&gt;を参照していただければと思います。&lt;br /&gt;　ただし今回民主党が圧勝したのも、決して民主党に対して「Yes」の審判を国民が下したのではなく、むしろ自民党に対して「No」の審判を下した結果であるといえるでしょう。&lt;br /&gt;　逆に言えば、今後の民主党を中心とする政権運営次第では、次回の国政選挙で国民が民主党に「No」の審判を突き付けることもあり得るということです。&lt;br /&gt;　民主党が政権に執着恋着し、また、国情の変化に即さない既成の政治理念に囚われているようでは政党腐敗、政治不信を招くだけです。&lt;br /&gt;　立憲国民の覚醒を促す「憲政の大義」を掲げ、いま一度政党政治の原点に立ち返り、「憲政の常道」を歩まれることを民主党に期待します。&lt;br /&gt;　民主党に１票を投じた１国民として‥。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;　先月の衆議院議員解散から投開票までの間、意識的に選挙制度の話をしてきました。&lt;br /&gt;　憲法で保障されている選挙権は、最高裁の判例を引用するまでもなく、最も大切な人権の１つです。&lt;br /&gt;　確かに人権保障は憲法の大きな柱ですが、同時に権力分立（統治機構）も大きな柱であります。&lt;br /&gt;　いや、ある意味、権力分立規定こそ憲法で最も重要な規定と言っても過言ではありません。&lt;br /&gt;　さて、今回の選挙結果に基づいて、来月中旬に国会が開かれます。&lt;br /&gt;　次回は、国会召集規定についてお話をします。&lt;/strong&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-8151836980921573769?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/8151836980921573769/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/08/blog-post_31.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/8151836980921573769'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/8151836980921573769'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/08/blog-post_31.html' title='国民の審判'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-7343910035641411850</id><published>2009-08-25T13:33:00.004+09:00</published><updated>2009-08-25T13:55:32.351+09:00</updated><title type='text'>小さな一歩を大切に‥</title><content type='html'>　どこの世界を見ても、完成された個人が存在しないように、完成された社会も国家も存在しません。&lt;br /&gt;　完成された政党も０点の政党も存在しません。&lt;br /&gt;　日本国憲法は国民主権・基本的人権を謳っていますが、&lt;strong&gt;民主主義の「完成された状態」を書いたものではないのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　そうではなく、国民１人１人が民主主義国家の実現に向けて&lt;strong&gt;「不断の努力をせよ」&lt;/strong&gt;と書いてあるのです（第１２条）。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;民主主義の実現にゴールはありません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　このことをわきまえず、「どうせ誰が議員になっても世の中も生活も変わらない」と言って投票に行かない者がいます。&lt;br /&gt;　確かに、政治に対する異常な不信感（または過剰な期待感）から政治に無知になり、政治に関心を失ってしまうことも理解できないわけではありません。&lt;br /&gt;　残念ですが、己の私利私欲に走り、賄賂を貪る不心得な政治家がいるのが現実です。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;しかし、このような腐敗した立候補者・堕落した政治家を生み出した責任は国民自身にあることを忘れてはなりません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　一方、政治に多くの関心を持っている者が様々な政党を検討し、その結果、「支持政党は無し」と結論づけ、投票権を放棄する者もいます。&lt;br /&gt;　これはこれで１つの正義かもしれませんが、如何なる理由であれ、投票権を放棄することは&lt;strong&gt;「ぐるみ選挙」&lt;/strong&gt;を後押しすることになりかねないものであり、結果的に&lt;strong&gt;「民主主義の後退を助長促進する」&lt;/strong&gt;ことに繋がるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="justify"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SpNptyXduEI/AAAAAAAAAEI/NPn3CdPqdwc/s1600-h/top_img.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 370px; DISPLAY: block; HEIGHT: 170px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5373755015718352962" border="0" alt="" src="http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SpNptyXduEI/AAAAAAAAAEI/NPn3CdPqdwc/s400/top_img.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　 【国会議事堂（&lt;a href="http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index.htm"&gt;衆議院公式HP&lt;/a&gt;）】&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;投票権の放棄は民主主義の放棄を意味します。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　投票権放棄の先には何が待っているか。&lt;br /&gt;　それは「専制政治」しかありません。&lt;br /&gt;　専制政治では、法律や予算を「話し合いによって決める場」などありません。&lt;br /&gt;　権力者が思うがままに国民の生命・自由・財産を横奪します。&lt;br /&gt;　これに文句を言えば、場合によっては処刑されてしまいます。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;専制政治下では自由な政治思想は犯罪です。&lt;br /&gt;　それに対し、立憲政治下では自由な政治思想は正義です。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　歴史的に立憲政治は、正義と自由を求めて戦って専制政治から勝ち取ったものです。&lt;br /&gt;　時には「暴政には暴力をもって」勝ち取ったのであります。&lt;br /&gt;　長い歴史の中、無数の人間が幾多の試練に堪え、血を流して戦った結果、ようやく私達１人１人に&lt;strong&gt;「投票の葉書」&lt;/strong&gt;が届けられたのです。&lt;br /&gt;　これは今も、これからも侵すことが出来ない永久の権利であります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;自ら民主主義を放棄することは、歴史の歯車を反対に回す暴挙蛮行以外のなにものでもありません。&lt;br /&gt;　「社会が悪い、国家が悪い」などと不貞腐れて政治的無関心を正当化してはなりません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　投票権は、民主主義国家に生きる国民１人１人の大切な権利です。&lt;br /&gt;　投票をしたからといって国民国家が良くなる保証はありません。&lt;br /&gt;　しかし、投票を放棄すれば必ず国民国家が悪くなることは確かです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私の好きな政治家の１人で、&lt;strong&gt;ベンジャミン・ディズレーリ&lt;/strong&gt;というイギリス元首相がいます。&lt;br /&gt;　彼は、スエズ運河を買収し、フランスの東洋進出をくい止め、ロシアの南下政策を押さえ込んだ様々な業績を残しています。&lt;br /&gt;　彼の非凡な「弁論力」で内閣や議会を圧倒し、当時イギリスで大問題となっていた穀物法をはじめ、様々な国内問題と次から次へと解決した大政治家であります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「議会においては、数は金や物ではなく弁論力でもって獲得せよ」&lt;/strong&gt;という彼の教訓は、以後のイギリス議会に大きな影響を与えました。&lt;br /&gt;　イギリス憲政史においては、「ディズレーリの時代をもってイギリス憲法が完成した」と言われています。&lt;br /&gt;　その彼は、次のような言葉を残しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;行動は、必ずしも幸福をもたらさないかもしれないが、行動のないところに幸福は生まれない。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　&lt;span style="color:#cc33cc;"&gt;小さな一歩を大切に‥&lt;/span&gt; &lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-7343910035641411850?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/7343910035641411850/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/08/blog-post_25.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/7343910035641411850'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/7343910035641411850'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/08/blog-post_25.html' title='小さな一歩を大切に‥'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SpNptyXduEI/AAAAAAAAAEI/NPn3CdPqdwc/s72-c/top_img.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-5338864885666893305</id><published>2009-08-20T11:05:00.006+09:00</published><updated>2009-08-21T15:37:12.483+09:00</updated><title type='text'>これはわからない</title><content type='html'>　&lt;span style="font-size:130%;"&gt;桜井龍子氏・竹内行夫氏・涌井紀夫氏・田原睦夫氏・金築誠志氏・那須弘平氏・竹崎博允氏・近藤崇晴氏・宮川光治氏&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;　この名前にピンときたら、これは相当な法学通の人でしょう。&lt;br /&gt;　この方々というのは、実は&lt;strong&gt;「最高裁判所の裁判官」&lt;/strong&gt;なのです。&lt;br /&gt;　上記の９名の裁判官は、来たる８月３０日の国政選挙の際、「国民によって裁判官の職を罷免されるか否かの対象」となっているのです。&lt;br /&gt;　このことは憲法に明記されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第７９条】&lt;br /&gt;２．最高裁判所の裁判官の&lt;strong&gt;任命&lt;/strong&gt;は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後１０年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。&lt;br /&gt;３．前項の場合において、投票者の多数が裁判官の&lt;strong&gt;罷免&lt;/strong&gt;を可とするときは、その裁判官は、罷免される。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　条文では任命と書いてありますが、実質的には（または判例上は）罷免制度です。&lt;br /&gt;　実際、辞めて欲しい裁判官には「バツ印」をつけます。&lt;br /&gt;　従って、&lt;strong&gt;「最高裁の裁判官を罷免する権利」&lt;/strong&gt;と理解して問題ありません。&lt;br /&gt;　とはいっても、任命されて間もない裁判官を審査するのは困難ですし、審査の直前に退官した裁判官は審査の対象外になります。&lt;br /&gt;　言い換えれば、実績の無い裁判官を審査しなければならなかったり、反対に、実績のあった者を審査することができない場合があるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ところで、最高裁の裁判官は１５人で構成されています。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;裁判長は「内閣が指名し、天皇が任命します」。　&lt;br /&gt;　１４人の裁判官は「内閣が任命し、天皇が認証します」。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　これは裁判所法第３９条に規定されています。&lt;br /&gt;　また裁判官の資格ですが、これは「相当な法学知識を有する者や長期間の法律実務を経験している者に限ります」。&lt;br /&gt;　この詳細は裁判所法第４１条に規定されています。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;最高裁に限らず、憲法審査には、個別具体的違憲審査制・統治行為論・事情判決の法理・利益衡量論・憲法判断回避・合憲限定解釈・適用違憲などといった「高度な法知識」が要求されるものであり、普段から法学に馴染んでないものには理解できないものです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="center"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SoyvkIuYntI/AAAAAAAAAEA/Wd2Ck0OqG2c/s1600-h/img_03.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 319px; DISPLAY: block; HEIGHT: 205px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5371861490898345682" border="0" alt="" src="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SoyvkIuYntI/AAAAAAAAAEA/Wd2Ck0OqG2c/s400/img_03.jpg" /&gt;&lt;/a&gt; 【最高裁判所の法廷（&lt;a href="http://www.courts.go.jp/about/sosiki/saikosaibansyo.html"&gt;最高裁判所公式ｈｐ&lt;/a&gt;）】&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;　確かに大きな判決となると、テレビや新聞などで「マスコミ弁護士」や「マスコミ元検事」らが判決内容を解説しています。&lt;br /&gt;　しかし、限られた時間、限られた紙面では充分な説明が困難であり、正確な判決内容が伝わってきません。&lt;br /&gt;　１つの判決につき、納得のいく反対意見を唱える裁判官もいれば、納得のいかない賛成意見・補足意見を唱える裁判官もいます。&lt;br /&gt;　また、１人の裁判官についても、ある判決ではその裁判官の意見に賛成できても、別の判決では賛成できなかったりと、１人１人の裁判官を総合的に評価して罷免を判断することは極めて困難なのです&lt;strong&gt;。&lt;br /&gt;　果たして、高度な専門知識を前提として難解な憲法審査を行う裁判官を国民が審査できるのでしょうか。&lt;br /&gt;　いや、今まで出来てきたでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　このような罷免制度は、国民の定着性浸透性に疑問があり、憲法の国民審査規定は既に空文・死文化したと評価するのが自然でしょう。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;現実に、国民審査によって罷免された裁判官はいません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　最高裁の裁判官罷免は、専ら「国民から選挙された国会議員の権限」に基づくような制度改正が望まれます。&lt;br /&gt;　そのためには&lt;strong&gt;憲法改正の検討&lt;/strong&gt;が必要であることは言うまでもありません。&lt;br /&gt;　なお、現行憲法では、国会は裁判官を弾劾する権限が認められています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第６４条第１項】&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;国会&lt;/strong&gt;は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;国民による罷免であれ、国会による罷免であれ、裁判は&lt;strong&gt;参政権&lt;/strong&gt;と密接な関係にあることに違いはありません。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-5338864885666893305?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/5338864885666893305/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/08/blog-post_20.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/5338864885666893305'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/5338864885666893305'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/08/blog-post_20.html' title='これはわからない'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SoyvkIuYntI/AAAAAAAAAEA/Wd2Ck0OqG2c/s72-c/img_03.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-1210712456874226034</id><published>2009-08-15T17:48:00.007+09:00</published><updated>2009-08-20T18:43:45.794+09:00</updated><title type='text'>敗戦と平和ボケを反省する日</title><content type='html'>　今回は、「昭和天皇独白録（文春文庫）」を紹介します。&lt;br /&gt;　この本は、昭和２１年３月から４月にかけ、昭和天皇の側近らが、張作霖爆破事件から終戦に至るまでの経緯を昭和天皇から直々に聞き取り、まとめたものであります。&lt;br /&gt;　編著者は寺崎英成およびマリコ・テラサキ・ミラーです。&lt;br /&gt;　昭和天皇側近の１人であった寺崎英成は、昭和天皇とマッカーサーとの会談で単独同時通訳をしたことで知られています。&lt;br /&gt;　マリコ・テラサキ・ミラーは寺崎英成の娘であり、寺崎英成が私的に保管していた記録の公開者であります。&lt;br /&gt;　少し長いですが、以下は本書からの引用です（注釈・太字は稿者による）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;「大東亜戦争の遠因」（ｐ２４）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列強の容認する処とならず、黄白の差別感が依然残存し&lt;strong&gt;加州移民拒否&lt;/strong&gt;の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島還附を強いられたこと亦然りである。&lt;br /&gt;　かゝる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がつた時に、之を抑へることは容易な業ではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size:85%;"&gt;&lt;strong&gt;注）加州移民拒否は、１９２４年、米国で制定された「排日移民法」のこと。当事の日本人移民は米国の加州に集中していた。加州はカリフォルニア州のこと。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;&lt;strong&gt;「敗戦の原因」（ｐ９９）&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　敗戦の原因は四つあると思う。&lt;br /&gt;　第一、兵法の研究が不充分であつた事、即孫子の、敵を知り、己を知らねば、百戦危なからずといふ根本原理を体得してゐなかつたこと。&lt;br /&gt;　第二、余りに精神に重きを置き過ぎて&lt;strong&gt;科学の力&lt;/strong&gt;を軽視した事。&lt;br /&gt;　第三、陸海軍の不一致。&lt;br /&gt;　第四、常識ある主脳者の存在しなかった事。往年の山縣［有朋］、大山［巌］、山本権兵衛、と云ふ様な大人物に缺け、政戦両略の不充分の点が多く、且軍の主脳者の多くは専門家であつて部下の統率の力量に缺け、所謂下克上の状態を招いた事。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size:85%;"&gt;&lt;strong&gt;注）科学の力とは、ここでは欧米の政治力学・国際慣習法・そして外交交渉力のことを主に指す。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style="font-size:130%;"&gt;「結論」（ｐ１５９）&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　開戦の際東条内閣の決定を私が裁可したのは&lt;strong&gt;立憲政治下に於る立憲君主&lt;/strong&gt;として已むを得ぬ事である。若し己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、之は専制君主と何等異る所はない。&lt;br /&gt;　終戦の際は、然し乍ら、之とは事情と異にし、廟議がまとまらず、鈴木総理は議論分裂のまゝその裁断を私に求めたのである。&lt;br /&gt;　そこで私は、国家、民族の為に私が是なりと信ずる所に依て、事を裁いたのである。&lt;br /&gt;　今から回顧すると、最初の私の考えは正しかつた。陸海軍の兵力の極度に弱つた終戦の時に於てすら無条件降伏に対し「クーデター」の様なものが起つた位だから、若し開戦の閣議決定に対し私が&lt;strong&gt;「ベトー」&lt;/strong&gt;を行つたとしたならば、一体どうなつたであろうか。&lt;br /&gt;　日本が多年練成を積んだ陸海軍の精鋭を持ち乍ら愈愈と云ふ時に蹶起を許さぬとしたならば、時のたつにつれて、段々と石油は無くなって、艦隊は動けなくなる、人造石油を作つて之に補給しよーとすれば、日本の産業を殆んど、全部その犠牲とせねばならぬ、それでは国が亡びる、かくなつてからは、無理注文をつけられては、それでは国が亡びる、かくなつてからは、無理注文をつけられて無条件降伏となる。&lt;br /&gt;　開戦当時に於る日本の将来の見透しは、斯くの如き有様であつたのだから、私が若し開戦の決定に対して&lt;strong&gt;「ベトー」&lt;/strong&gt;したとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない、それは良いとしても結局凶暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨劇が行はれ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になつたであらうと思ふ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size:85%;"&gt;&lt;strong&gt;注）「ベトー」とは「閣議決定に対する拒否権発動」のこと。昭和天皇は「ベトーは行わなかった」と繰り返し断言している。まさに昭和天皇は専制君主ではなく立憲君主としての立場を貫いたのである。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="center"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SoZ2nDRTT8I/AAAAAAAAAD4/wMnEBKVwYBI/s1600-h/250px-S200814_gozenkaigi.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 277px; DISPLAY: block; HEIGHT: 149px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5370110018950746050" border="0" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SoZ2nDRTT8I/AAAAAAAAAD4/wMnEBKVwYBI/s400/250px-S200814_gozenkaigi.jpg" /&gt;&lt;/a&gt; 【終戦の決定をした御前会議（&lt;a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%89%8D%E4%BC%9A%E8%AD%B0"&gt;Wikipedia&lt;/a&gt;）】&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;　日本は戦争に負けました。&lt;br /&gt;　しかし、単なる敗戦体験主義は、時には歴史的教訓（科学的分析）を封殺する危険な観念です。&lt;br /&gt;敗戦体験のみを殊更強調して&lt;strong&gt;「平和、へいわ、戦争はんたい」と叫んでいるだけの「エセ平和主義」&lt;/strong&gt;などは、上述した「敗戦の原因（第二）」の&lt;strong&gt;精神論&lt;/strong&gt;そのものであります。&lt;br /&gt;　こういった連中は、平和的不安定な現実から目をそむけ、事ある度に事実を捏造する&lt;strong&gt;歴史修正主義者&lt;/strong&gt;であり、歴史的教訓または人類的叡智への挑戦以外のなにものでもありません。&lt;br /&gt;　失敗を歴史から学んだからと言って、過ちを絶対繰り返さない保証はありません。&lt;br /&gt;　しかし、単なる体験からは「絶対過ちを繰り返す」ことに「絶対間違いありません」。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「敗戦を体験したから平和が手に入りました」だとか、「世界に誇る憲法第９条があるから外国は攻めてきません」などと考えることが如何に大きな勘違い、心得違いなことか。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　日本と同じ敗戦国であるドイツの先哲ビスマルク皇帝は断言しています。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;&lt;strong&gt;　　&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;&lt;strong&gt;　「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　結局のところ、&lt;strong&gt;戦前の天皇神話&lt;/strong&gt;が&lt;strong&gt;戦後の９条神話&lt;/strong&gt;に摩り替わっただけのことであり、聖戦貫徹も平和ボケ貫徹も、根っこは同じであります。&lt;br /&gt;　またしても日本は地獄を体験しなければならないのでしょうか。&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-1210712456874226034?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/1210712456874226034/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/08/blog-post_15.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/1210712456874226034'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/1210712456874226034'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/08/blog-post_15.html' title='敗戦と平和ボケを反省する日'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SoZ2nDRTT8I/AAAAAAAAAD4/wMnEBKVwYBI/s72-c/250px-S200814_gozenkaigi.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-7195406701913137416</id><published>2009-08-10T15:11:00.006+09:00</published><updated>2009-08-10T17:33:52.678+09:00</updated><title type='text'>おかしな選挙活動規制</title><content type='html'>　早速ですが、北海道宗谷郡猿払村で起こった選挙活動に関する事件を紹介します。&lt;br /&gt;　昭和４２年の第３１回衆議院議員選挙に際し、&lt;strong&gt;１人の郵便局員が、日本社会党（当事）公認候補者の選挙ポスターを掲示、配布しました。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　この活動が公務員の「政治的中立」に反するかどうかが社会的大問題となり、裁判沙汰になったのですが、最高裁にまで話が縺れました。&lt;br /&gt;　この話の争点は、当該行為が国家公務員法および人事院規則所定の&lt;strong&gt;「公務員による政治的活動の制限」&lt;/strong&gt;の範囲を超えた行為か否かであります。&lt;br /&gt;　最高裁は当該行為を「政治的中立に反する行為」とし、この郵便局員に対する国家公務員法の適用を「合憲」としたのです。&lt;br /&gt;　確かに公務においては個人として政治的立場を持ち込んではならないことは当然です。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;しかし、当該行為はそもそも勤務外の行為であり、公務を離れれば政治的行為も政治的意見表明も「憲法上の権利として保障される」のは近代国家なら常識中の常識であります。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　然るに、最高裁は、「全体の奉仕者」、「政治的中立」、「行政の中立的運営」などを殊更大袈裟に強調し、この郵便局員に罰金刑を下しました。&lt;br /&gt;　なお、この判決には４人の裁判官が反対意見を主張しています。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;勤務外にまで公務員の自由に干渉する権限は国家にありません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　この事件は&lt;strong&gt;「猿払事件」&lt;/strong&gt;という名で知られています。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　公務員個人の政治的活動制限以外にもおかしな規制があります。&lt;br /&gt;　たとえば公職選挙法所定の&lt;strong&gt;「戸別訪問禁止」&lt;/strong&gt;なる規定であります。&lt;br /&gt;　普通、投票が近くなると、最も選挙活動が活発になるのは当然であります。&lt;br /&gt;　候補者自らが有権者１人１人に顔を見せ、握手を求め、支援を求める行為を何故原則的に禁止せねばならないのか。&lt;br /&gt;　理解に苦しむところであります。&lt;br /&gt;　また、公職選挙法ではマニフェストの配布に対しても相当厳しい制限規定が設けられており、各議員や候補者が、自身のホームページやブログでマニフェストを掲載することは禁止されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="center"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 319px; DISPLAY: block; HEIGHT: 163px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5368214119090343970" border="0" alt="" src="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sn-6TJ6d0CI/AAAAAAAAADw/PkLBnvQmC0Q/s400/0.bmp" /&gt; 【風雪の塔・農業資料館（&lt;a href="http://www.vill.sarufutsu.hokkaido.jp/web/PD_Cont.nsf/eb3ad322058bb29749256c9b00100d2f/38bdd481b25ab1c949256e760008e262?OpenDocument"&gt;猿払村公式hpより&lt;/a&gt;）】&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;　&lt;br /&gt;　ところで、猿払事件で争点となった&lt;strong&gt;「政治的中立」&lt;/strong&gt;とはそもそも何なのでしょう。&lt;br /&gt;　確かに法の世界では公正さの確保といった観点から裁判官、官吏などに中立的立場が求められることはあります。&lt;br /&gt;　しかし、政治の世界、すなわち「国民主権」の下では、選挙というのは「国民的合意を獲得する戦いの場」であります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;言い換えれば、国民１人１人が選手であって中立的な審判員では有り得ないのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　公務員であれ、１国民として政治的意見や支持政党を持つのは当然であって、政治的中立などあろうはずがありません。&lt;br /&gt;　また、政党というのは、国の政策や目標を同じくする者同士が行動を共にするものであり、政党は団結権として憲法で保障されています。&lt;br /&gt;　特定の政党を支持することも１つの立場でありますし、また、どの政党にも偏らない&lt;strong&gt;「中道」&lt;/strong&gt;という考え方も１つの立場であり、政治的中立とは別物であります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;要するに、「政治的中立」などは「他人事」という意味以上の以外の何ものでもないのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　完全な個人など存在しないように、立候補者も完全な人間ではありませんし、完全な政党だって存在しません。&lt;br /&gt;　逆に言えば、全てが０点ということもないのです。&lt;br /&gt;　従って、比較的良い立候補者や政党を投票するよりほかないのが現実でしょう。&lt;br /&gt;　「相対民主主義」といわれるものであります。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　悪いものを良いものに変え、良いものを「より良いもの」に変えていくこと。&lt;br /&gt;　これが民主主義実現に向けた「不断の努力」ではないでしょうか。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「どうせ誰が政治家になったところで国も暮らしも良くならない」&lt;/strong&gt;と言って政治的無関心を装い、不貞腐れて投票に行かない人がいます。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;しかし、これは民主主義国家の一員である以上、許されることではありません。&lt;br /&gt;　なぜなら、憲法は「国民主権&lt;/strong&gt;&lt;strong&gt;を放棄する権利」を認めていないからです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　&lt;br /&gt;　現在の公職選挙法は、一言で言えば、あれはアカン、これはイカンといった&lt;strong&gt;「はじめに禁止ありき」&lt;/strong&gt;なのです。&lt;br /&gt;　選挙活動の規制自体に異論を唱えるものではありません。&lt;br /&gt;　しかし行き過ぎた規制は、民主主義の放棄を助長、促進する弊害であります。&lt;br /&gt;　市民政治の実現のためにも一刻も早い法改正が望まれます。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-7195406701913137416?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/7195406701913137416/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/08/blog-post_10.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/7195406701913137416'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/7195406701913137416'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/08/blog-post_10.html' title='おかしな選挙活動規制'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sn-6TJ6d0CI/AAAAAAAAADw/PkLBnvQmC0Q/s72-c/0.bmp' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-1168012938618799241</id><published>2009-08-05T08:35:00.005+09:00</published><updated>2009-08-05T08:57:35.557+09:00</updated><title type='text'>民意と比例代表制</title><content type='html'>　前回はイギリスと日本の選挙結果を基にして小選挙区制度の特徴を検討しました。&lt;br /&gt;　一言でいうと、得票率が議席率に反映されない&lt;strong&gt;「少数が多数を支配する構造」&lt;/strong&gt;が小選挙区制度の特徴です。&lt;br /&gt;　今回は、ドイツと日本の選挙結果を基にして、さらに選挙制度を考えてみます。&lt;br /&gt;　なお、下記のＣＤＵは、実際はＣＳＵとお互い連合同士の党関係です。&lt;br /&gt;　ＣＳＵはバイエルン州のみの政党で、ＣＤＵはバイエルン州以外の政党です。&lt;br /&gt;　ＣＤＵは日本語で&lt;strong&gt;「キリスト教民主同盟」&lt;/strong&gt;です。&lt;br /&gt;　ＣＳＵは日本語で&lt;strong&gt;「キリスト教社会同盟」&lt;/strong&gt;です。&lt;br /&gt;　慣れてないとややこしいですね。&lt;br /&gt;　ここでは便宜上、単にＣＤＵとします。&lt;br /&gt;　ＳＰＤは日本語で&lt;strong&gt;「社会民主党」&lt;/strong&gt;です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;◎ドイツ連邦議会の選挙結果（２００５年９月１８日実施）&lt;br /&gt;　政党：　（得票率）　→　(議席率)&lt;br /&gt;　ＣＤＵ：　３５．２％　→　３６．７％&lt;br /&gt;　ＳＰＤ：　３４．３％　→　３６．２％&lt;br /&gt;　総議席数６１３（超過議席１５・法定定数５９８）。CDU２２５。SPD２２２。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;◎日本衆議院の比例区選挙結果（２００５年９月１１日・郵政選挙）&lt;br /&gt;　　 政党：　（得票率）　  →　（議席率）&lt;br /&gt;　自民党：　３８．２％　　→　４２．８％&lt;br /&gt;　民主党：　３１．０％　　→　３３．９％&lt;br /&gt;　総議席数１８０。自民党７７。民主党６１．&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ドイツも日本も結果を見ると、２党の得票率がほぼそのまま議席率に反映されています。&lt;br /&gt;　結論を先に言うと、これが&lt;strong&gt;比例代表制の特徴&lt;/strong&gt;なのです。&lt;br /&gt;　では、ドイツの比例代表制の特徴を見てみましょう。&lt;br /&gt;　ドイツでは先ず最初に、各政党が比例で獲得した票に応じて各党の総議席数を配分します。&lt;br /&gt;　これを「器」として、小選挙区で当選した議員を器に流し込むわけです。&lt;br /&gt;　そして、不足した議席数を比例名簿から流し込むのです。&lt;br /&gt;　ただし、小選挙区での当選者が比例で確定した総議席数を上回ることがあり、この上回った議席数は&lt;strong&gt;「超過議席」&lt;/strong&gt;として認められています。&lt;br /&gt;　従って、最初に各政党の得票率に応じて総議席数を決めるわけですから、得票率が議席率に反映されるのは当然といえば当然のことであり、ドイツ連邦議会は本質的に「比例代表制度」であります。&lt;br /&gt;　また&lt;strong&gt;「比例で５％」&lt;/strong&gt;または&lt;strong&gt;「３以上の小選挙区で第１位の当選」&lt;/strong&gt;がなければ議席は与えられません。&lt;br /&gt;　これは小さい政党の乱立を制限するためであり、かつての小政党乱立から一気に一党独裁へ向かった&lt;strong&gt;ナチスの反省&lt;/strong&gt;によるものであります。&lt;br /&gt;　一般に「制限条項」または「阻止条項」と呼ばれており、&lt;strong&gt;「戦う民主主義」&lt;/strong&gt;の１つであります。&lt;br /&gt;　以上より、ドイツ連邦議会では小選挙区と比例代表を&lt;strong&gt;「併用」&lt;/strong&gt;しています。&lt;br /&gt;　これを「小選挙区比例代表併用制」と言います。&lt;br /&gt;　繰り返しますが、ドイツ連邦議会の選挙制度は、本質的に「比例代表制度」であります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="center"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SnjF2ej8vRI/AAAAAAAAADo/r5xwKltwOXw/s1600-h/008_reichstag.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 270px; DISPLAY: block; HEIGHT: 175px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5366256495719398674" border="0" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SnjF2ej8vRI/AAAAAAAAADo/r5xwKltwOXw/s400/008_reichstag.jpg" /&gt;&lt;/a&gt; 【ドイツ議会（&lt;a href="http://www.bundestag.de/htdocs_e/parliament/index.html"&gt;ドイツ議会公式HPより&lt;/a&gt;）】&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;　ところが日本はドイツと違い、小選挙区制度と比例代表制度とを&lt;strong&gt;「並立」&lt;/strong&gt;させています。&lt;br /&gt;　これを「小選挙区比例代表並立制」と言います。&lt;br /&gt;　この「併用」と「並立」は実は正反対の関係になります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;日本の場合、小選挙区は小選挙区、比例代表は比例代表と各々を別個に扱って合算しているのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　だから日本の衆議院の選挙制度は、本質的に「小選挙区制度」であります。&lt;br /&gt;　ドイツと日本の違いを数式的に表現すると次のとおりです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　ドイツ（併用性）：総議席数　－　小選挙区　＝　比例代表&lt;br /&gt;　　 日本（並立制）：小選挙区　＋　比例代表　＝　総議席数&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　なお、中選挙区制度ですが、敢えてどちらかというと比例代表制度に近いものであります。&lt;br /&gt;　簡単に言えば、それぞれの選挙区で当選するための十分条件は、Ｍ人区では「有効投票数の（Ｍ＋１）分の１」ですから、Ｍの値が大きくなればその分、小政党の当選確率が高くなるというものです。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;換言すれば、得票率が少なくても小政党が当選する可能性は高いのです。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以上、２回にわたり小選挙区制度と比例代表制度を考えてみました。&lt;br /&gt;　もっとも、比例代表制度が世界の潮流になっているとはいえ、一方的に優れた制度と言えるものではありません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;比例代表制度の下では政党間での相乗りや妥協が生まれやすく、安定した基盤が形成されにくく、「強い政府」にはなりにくいのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　現にドイツでは歴史的にほとんどが連立政権であります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;小選挙区制度の下では前述のとおり、二大政党制または一党優位制が生まれやすく、安定した基盤が形成されやすく、「強い政府」になりやすいのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　要するに、比例代表制か小選挙区制かは&lt;strong&gt;「民意を反映する議会」&lt;/strong&gt;なのか&lt;strong&gt;「強い政府」&lt;/strong&gt;なのかが基本的な基準となるのです。&lt;br /&gt;　どちらの制度を採用するにせよ、「高度に組織化された政党」、「健常な議会（三権分立）の徹底」が要求されることは言うまでもありません。&lt;br /&gt;　選挙制度は、主権者である国民と国権の最高機関である国会を結ぶ「架け橋」であります。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　※ドイツの選挙結果は&lt;a href="http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4258376.stm"&gt;「BBC　NEWS」&lt;/a&gt;より。&lt;br /&gt;　　日本の選挙結果は&lt;a href="http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/shugiin44/pdf/h17sousenkyo_050911_03_01.pdf"&gt;「総務省」&lt;/a&gt;より。&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-1168012938618799241?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/1168012938618799241/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/08/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/1168012938618799241'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/1168012938618799241'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/08/blog-post.html' title='民意と比例代表制'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SnjF2ej8vRI/AAAAAAAAADo/r5xwKltwOXw/s72-c/008_reichstag.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-7128280454771321706</id><published>2009-07-30T10:12:00.016+09:00</published><updated>2009-07-30T18:38:37.403+09:00</updated><title type='text'>民意と小選挙区制度～郵政選挙～</title><content type='html'>　今回は長文になりますが、選挙制度についてお話します。&lt;br /&gt;　２００５年、ドイツ、イギリス、日本で国政選挙が行われました。&lt;br /&gt;　ドイツでは連邦議会選挙、イギリスでは庶民院選挙、日本では衆議院総選挙ですが、連邦議会も庶民院も日本の衆議院に相当します。&lt;br /&gt;　なお、今回は「イギリスと日本」、次回は「ドイツと日本」の２回に分けてお話します。&lt;br /&gt;　早速ですが、各政党の得票率と議席率を見てみましょう。&lt;br /&gt;　今回は選挙制度の話ですので、上位２党の得票率、議席率に絞ります。&lt;br /&gt;　数字や算数が出てきますが、苦手な方は少し我慢して頂ければと思います。&lt;br /&gt;　なお、日本の比例代表制については次回の稿にて検討します。&lt;br /&gt;　まずは選挙結果から。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;◎イギリス庶民院の選挙結果（２００５年５月５日実施）&lt;br /&gt;　 　 政党：　 得票率　 →　 議席率&lt;br /&gt;　 労働党：　３５．２％　→　&lt;strong&gt;５５．１％&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　 保守党：　３２．４％　→　３０．５％&lt;br /&gt;　 総議席数６４６：労働党３５６・保守党１９７&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;◎日本衆議院の小選挙区選挙結果（２００５年９月１１日実施・郵政選挙）&lt;br /&gt;　　政党：　 得票率　　→　 議席率&lt;br /&gt;　自民党：　４７．８％　→　&lt;strong&gt;７３．０％&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;　&lt;/strong&gt;民主党：　３６．４％　→　&lt;strong&gt;１７．３％&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　総議席数３００：自民党２１９・民主党５２&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　まず、得票率の結果を見ますと、イギリス労働党と保守党の得票差は２．８％、日本の自民党と民主党の得票差は１１．４％と、イギリスも日本も政党間で得票率に大きな差はありません。&lt;br /&gt;　この得票率の&lt;strong&gt;形式的価値&lt;/strong&gt;を数値で表現してみましょう。&lt;br /&gt;　第１党の得票率を第２党の得票率で割るのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 イギリス： ３５．２％　÷　３２．４％　＝　１．０９&lt;br /&gt;　　　 日本： ４７．８％　÷　３６．４％　＝　１．３１&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　問題は議席率の結果です。&lt;br /&gt;　第１位のイギリスの労働党と日本の自民党は、得票率に対し議席率が増加し、反対に、第２位のイギリス保守党と民主党は減少しています。&lt;br /&gt;　この&lt;strong&gt;得票率と議席率の乖離こそが小選挙区制度の一般的な特徴&lt;/strong&gt;なのです。&lt;br /&gt;　この乖離現象をもう少しだけ詳しく見てみましょう。&lt;br /&gt;　議席率を得票率で割ってみます。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　　 政党：　 議席率　÷　 得票率　　＝　増加率&lt;br /&gt;　労働党： ５５．１％　÷　３５．２％　＝　１．５７&lt;br /&gt;　保守党： ３０．５％　÷　３２．４％　＝　０．９４&lt;br /&gt;　自民党： ７３．０％　÷　４７．８％　＝　１．５３&lt;br /&gt;　民主党： １７．３％　÷　３６．４％　＝　０．４８&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　労働党も自民党も１．５倍以上と大幅な増加率で、共に過半数の議席を占めています。&lt;br /&gt;　一方、イギリス保守党は小幅な減少率ですが、民主党はかなりの減少率であります。&lt;br /&gt;　では得票率と議席率の&lt;strong&gt;実質的価値&lt;/strong&gt;を数値で表現してみましょう。&lt;br /&gt;　第１党の増加率を第２党の増加率で割るのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　イギリス：　１．５７　÷　０．９４　＝　１．６７&lt;br /&gt;　　　日本：　１．５３　÷　０．４８　＝　３．１９&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もちろん、各選挙区における得票分布に偏在はあるものの、双方とも実質的価値に大きな数値が出るのは、小選挙区制度では&lt;strong&gt;１選挙区１定数を原則&lt;/strong&gt;としているからなのです。&lt;br /&gt;　すなわち、当選か落選（次点）かは&lt;strong&gt;「たった１票の差」&lt;/strong&gt;に因るのが小選挙区制度なのです。&lt;br /&gt;　以上をまとめると次のとおりです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　　　 国：　形式的価値　→　実質的価値&lt;br /&gt;　イギリス：　　１．０９　　　 →　　　１．６７&lt;br /&gt;　　　日本：　　１．３１　　 　→　　　３．１９&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;このように、小選挙区制度においては、得票率の小差が議席率の大差を生み出す「怖い制度」なのです。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　&lt;strong&gt;過半数に満たない得票率なのに過半数を占める議席率では、民意（得票率）が議会に変換されたとは言えないでしょう。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　&lt;strong&gt;政治学上の経験則によると、一般に小選挙区制度は、二大政党制または一党優位制が生まれやすい傾向にあります。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　換言すれば、小選挙区制度は、第３党以下の党にとっては厳しい制度であり、第３党以下が過半数にせまるくらいの得票率を獲得しないかぎり、第１党が簡単に過半数を占めてしまうのです。&lt;br /&gt;　なお、これは余談かもしれませんが、イギリスの知人によると、イギリスの大部分の有権者はマニフェストを購読していないそうです。&lt;br /&gt;　イギリスでは有料で市販されています。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;大量の死票を生み出す小選挙区制度は「少数が多数を支配する制度」&lt;/strong&gt;であり、過半数が支持しないマニフェストを守って何の意味があるかと考えることもできるからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="center"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SnDzite_-0I/AAAAAAAAADg/euSFGTLzePs/s1600-h/a_pic.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 249px; DISPLAY: block; HEIGHT: 175px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5364054933848980290" border="0" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SnDzite_-0I/AAAAAAAAADg/euSFGTLzePs/s400/a_pic.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;【小泉純一郎元首相（&lt;a href="http://www.jimin.jp/jimin/daily/05_08/27/170827a.shtml"&gt;自民党より&lt;/a&gt;）】&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;　ところで、得票層には大きく分けて、支援団体や後援会といった特定の政党支持層&lt;strong&gt;（不動票）&lt;/strong&gt;と、時事情勢などによって支持政党を決める浮遊層&lt;strong&gt;（可動票）&lt;/strong&gt;の２つに分けられます。&lt;br /&gt;　小選挙区制度では、可動票の取込力が選挙の「大きな」勝敗を分けるポイントとなります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　なお、郵政選挙の「意味」について少しだけ触れておきます。&lt;br /&gt;　小泉純一郎元首相は、自民党議員としては小選挙区制度に反対の立場でありました。&lt;br /&gt;　小泉元首相の解散権行使は、郵政民営化法案に反対されたことが本当の原因ではありません。&lt;br /&gt;　要するに、「自民党内の抵抗勢力」が民営化法案を&lt;strong&gt;「つるし」&lt;/strong&gt;にかけ、「&lt;strong&gt;倒閣運動（おろし）」&lt;/strong&gt;を繰り広げたことが本当の原因です。&lt;br /&gt;　小泉元首相が再三再四、解散を予告・警告していたのにもかかわらず。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「おろし」を真の目的として何か具体的なことを「つるし」にかけるのは、自民党の伝統的常套手法で、「小泉おろし」など珍しいことではありません。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　そういえば、かつて&lt;strong&gt;小選挙区制度導入（政治改革法案）&lt;/strong&gt;が叫ばれた時、小泉元首相はこの法案を「つるし」にかけ、倒閣運動を繰り広げたのではなかったでしょうか。&lt;br /&gt;　とはいえ、彼が郵政民営化を「キーワードに」可動票を取り込み、小選挙区制度をフル活用したことが&lt;strong&gt;「結果的に」&lt;/strong&gt;自民党に大量の議席数を与えました。&lt;br /&gt;　この大量獲得議席数を問題視することは大切ですが、これは上記のとおり、&lt;strong&gt;問題の本質は小選挙区制度&lt;/strong&gt;であって、小泉元首相自身ではありません。&lt;br /&gt;　この問題の矛先を小泉元首相に向けている者がいるようですが、全くの筋違いであります。&lt;br /&gt;　もっぱら小泉氏に問題があったのなら、当時の岡田克也氏は民主党代表を引責辞任する必要はなかったはずでしょう。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　郵政選挙から４年が経ちました。&lt;br /&gt;　麻生太郎政権は相次ぐ自爆行為により支持率が低下しました。&lt;br /&gt;　自民党はこの４年間の&lt;strong&gt;総括&lt;/strong&gt;を巡り、党内のあっちこっちで右往左往したまま総選挙に突入してしまいました。&lt;br /&gt;　今回の選挙ではどちらの党にどれだけの可動票が集まるかが注目点です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※ 　イギリスの選挙結果は&lt;a href="http://www.parliament.uk/commons/lib/research/rp2005/RP05-033.pdf"&gt;UK Parliament&lt;/a&gt;より。&lt;br /&gt;　　 日本の選挙結果は&lt;a href="http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/shugiin44/pdf/h17sousenkyo_050911_03_01.pdf"&gt;総務省&lt;/a&gt;より。&lt;br /&gt;　　　&lt;span style="font-size:85%;"&gt;（ともにpdf表示）&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-7128280454771321706?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/7128280454771321706/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/07/blog-post_30.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/7128280454771321706'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/7128280454771321706'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/07/blog-post_30.html' title='民意と小選挙区制度～郵政選挙～'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SnDzite_-0I/AAAAAAAAADg/euSFGTLzePs/s72-c/a_pic.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-4793104934803684042</id><published>2009-07-25T13:53:00.019+09:00</published><updated>2009-07-27T19:33:10.882+09:00</updated><title type='text'>斎藤隆夫～議員の言論自由権～</title><content type='html'>&lt;div align="left"&gt;　戦前戦中、斎藤隆夫（明治３年―昭和２４年）という議員がいました。&lt;br /&gt;　弁護士でもあった彼は、天賦の才能とも言うべくスバ抜けた弁舌力、演説力、そして&lt;strong&gt;言論自由権を「最大最強の武器」にして&lt;/strong&gt;他の議員や内閣、軍部を圧倒した「大スター議員」でありました。&lt;br /&gt;　この余りにも卓越した演説力に感極まって涙する議員が続出したというエピソードがあったくらいです。&lt;br /&gt;　特にシナ事変に対する軍部や内閣、議会の誤った方針・政策・目的を徹底的に糾弾した&lt;strong&gt;「反軍演説」&lt;/strong&gt;は「不朽の大演説・名演説」として有名であります。&lt;br /&gt;　ただ、この演説は「聖戦貫徹を侮辱したもの」と看做され、斎藤は何と議員資格を剥奪されてしまうのです。&lt;br /&gt;　従って反軍演説は、帝国憲政史における&lt;strong&gt;「最後の言論自由」&lt;/strong&gt;と評価されることがあるのです。　&lt;br /&gt;　斎藤隆夫は、いわゆる「地元利権誘導」に依らずして堂々と当選できる数少ない「真の実力者」でありました。&lt;br /&gt;　明治４５年の初当選から昭和２４年の死去までの４０年間近くにわたり、衆議院議員当選回数が１３回という驚異的な人気を持つ斎藤隆夫は、立憲国民の覚醒を促し、そして立憲政体、政党政治を徹頭徹尾貫いた大政治家であり、尾崎行雄と並ぶ&lt;strong&gt;「憲政の神様」&lt;/strong&gt;として知られています。&lt;br /&gt;　斎藤隆夫の大功績、大偉業を語ると枚挙に暇がありませんので、前置きはこれくらいにして、斎藤隆夫が明治３９年に執筆した&lt;strong&gt;「比較国会論」（東京渓南書院）&lt;/strong&gt;という論文中に&lt;strong&gt;「国会議員の言論自由の権利」&lt;/strong&gt;なる論文があります。&lt;br /&gt;　１００年以上も前の論文ですが、今回はこの論文の要約を紹介します。&lt;br /&gt;　要約は以下のとおりです。 &lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div align="center"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SmqP_76QPaI/AAAAAAAAADY/4Sp4XGMTrbE/s1600-h/445px-SaitoTakao_2.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 173px; DISPLAY: block; HEIGHT: 239px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5362256634914553250" border="0" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SmqP_76QPaI/AAAAAAAAADY/4Sp4XGMTrbE/s400/445px-SaitoTakao_2.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;【斎藤隆夫（&lt;a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E9%9A%86%E5%A4%AB"&gt;Wikipedia&lt;/a&gt;）】 &lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;　（要約）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　歴史における議院内での言論自由権の発明者は&lt;strong&gt;イギリス&lt;/strong&gt;であります。&lt;br /&gt;　議員は院内において完全な言論自由権を有する故、院内での発言や言論に対し、&lt;strong&gt;法的な処分を受けることはありません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　しかし、歴史的に言論自由権はそう簡単に確立されるものではありませんでした。&lt;br /&gt;　イギリスの例を挙げると、１３９３年、「ハクレー」という議員が王室費を消滅すべき議案を提出して「反逆罪」に処せられました。&lt;br /&gt;　また、ヘンリー８世時代、「ストロールド」という議員がある地方の穀物事件に関してある議案を提出して「禁獄の刑」に処せられました。&lt;br /&gt;　その他の議員の言論が国王の意志にそぐわないと刑罰を受けること甚大でありました。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;度重なる国王による圧政に対し、議会が言論自由を主張し戦い続けた結果、遂に１６８９年、あの歴史的な「権利章典」が制定され、言論自由が確立されます。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;【権利章典第１条第９項】&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;議院における言論の自由討議及び議事手続は、議院外で裁判所その他いずれの場所においても告訴又は質問されることはない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※なお、私が１つ付言するなら、議会内での言論自由権が発祥したのはヘンリー８世の娘であるエリザベス女王の時代（１５５８年―１６０３年）とされています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　国会議員の言論自由は国会の独立を保持し、その政治目的を達する上で最も重要な権利であります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;換言すれば、国会が独立した機関でないのなら、自由の意思を発表する場ではあり得ず、自由の意思でなければ真正の自由ではなく、真正の意思を発表することができない国会は虚偽の国会であり真正の国会ではありません。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　従って、国会の意思は議員の意思に依って成立し、議員は言論自由の保障があって初めて真正な意思を発表できるものであります。&lt;br /&gt;　言論自由権は国会の政治目的と切っても切り離せない関係であります。&lt;br /&gt;　言論自由権は、国王や政府やといった権力と闘争する上での&lt;strong&gt;「武器」&lt;/strong&gt;であることは疑いの余地もありません。&lt;br /&gt;　学理的な観点からは、この権利は国会の発達に従って当然に発生するべきものであり、１６８９年の権利章典から遡ること数世紀にわたる歴史的教訓は、イギリス国会史の一部を組成するものであります。&lt;br /&gt;　このイギリスで明記された条文は、アメリカ、ドイツ、フランス、イタリア、そして日本の憲法で同様に明記されています。&lt;br /&gt;　欧米諸国、日本の憲法に明記されている言論自由権は、いずれも直接的間接的を問わず、イギリスの影響による&lt;strong&gt;至当の規定&lt;/strong&gt;であります。&lt;br /&gt;　ただし残念ながら、この権利は往々にして濫用されることがあり、このために国家の秩序が崩壊し国家の威信が傷つくことがあるのですが、これを予防・防止する適切な方法が無いことは政治上の課題点と言わざるを得ません。&lt;br /&gt;　故に、憲法、規則、または慣習に依って適切なる予防方法を備えておくことを妨げるものではないことは言うまでもありません。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;（要約終）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;p align="center"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SmqP43mkr4I/AAAAAAAAADQ/tZJgSjDk3QA/s1600-h/hikakukokkairon.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 259px; DISPLAY: block; HEIGHT: 178px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5362256513499180930" border="0" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SmqP43mkr4I/AAAAAAAAADQ/tZJgSjDk3QA/s400/hikakukokkairon.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;【比較国会論（&lt;a href="http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?tpl_wid=WBPD120&amp;amp;tpl_wish_page_no=1&amp;amp;tpl_select_row_no=1&amp;amp;tpl_hit_num=1&amp;amp;tpl_toc_word=+%C8%E6%B3%D3%B9%F1%B2%F1%CF%C0&amp;amp;tpl_jp_num=40020660&amp;amp;tpl_vol_num=&amp;amp;JP_NUM=40020660&amp;amp;VOL_NUM=00000&amp;amp;KOMA=&amp;amp;tpl_search_kind=2&amp;amp;tpl_keyword=%C8%E6%B3%D3%B9%F1%B2%F1%CF%C0&amp;amp;tpl_sort_key=TITLE&amp;amp;tpl_sort_order=ASC&amp;amp;tpl_list_num=20&amp;amp;tpl_end_of_data="&gt;近代デジタルライブラリー&lt;/a&gt;）】&lt;br /&gt;　&lt;/p&gt;&lt;p align="left"&gt;　以上が「比較国会論」中の「言論自由の権利」の要約であります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;斎藤隆夫が言う「議員の言論自由権」というのは、単に権利が与えられているだけのものであってはならず、他の議員、そして何よりも国民を納得、説得させて合意を幅広く獲得できる「真の言論力」を身に付ける責務が前提となっています。&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;　勇気に裏付けられる「知力・徳力・行動力」が真の言論力の必要条件であり、「真の言論力」を備えた者こそが「真の政治家」であります。&lt;br /&gt;　現在でこそ言論の自由は「人権」としても日本国憲法第２１条で保障されていますが、&lt;strong&gt;生来は「議会の権利」&lt;/strong&gt;であり、これが長い歴史的発展によって人権にまで拡張されたのであります。　&lt;/p&gt;&lt;p align="left"&gt;&lt;strong&gt;【日本国憲法第５１条（免責特権）】&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は評決について、&lt;strong&gt;院外で責任を問はれない&lt;/strong&gt;。 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-4793104934803684042?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/4793104934803684042/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/07/blog-post_25.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4793104934803684042'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4793104934803684042'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/07/blog-post_25.html' title='斎藤隆夫～議員の言論自由権～'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SmqP_76QPaI/AAAAAAAAADY/4Sp4XGMTrbE/s72-c/445px-SaitoTakao_2.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-4783559240800428887</id><published>2009-07-20T17:36:00.012+09:00</published><updated>2009-07-20T21:15:13.175+09:00</updated><title type='text'>総理の専権事項</title><content type='html'>　いよいよ衆議院解散総選挙が近づいて来ました。&lt;br /&gt;　「そう遠くない日の」国政選挙では、与党が苦しい戦いが強いられるものと予想されます。&lt;br /&gt;　そこで今回は、解散権と憲法の関係についてお話をしたいと思います。&lt;br /&gt;　解散権は&lt;strong&gt;「総理の専権事項」&lt;/strong&gt;と言われています。&lt;br /&gt;　憲法にはそのような明文規定が存在しないのですが、解散権に関しては、大きく分けて&lt;strong&gt;「衆議院での不信任案が可決された場合」&lt;/strong&gt;と&lt;strong&gt;「それ以外の場合」&lt;/strong&gt;で考えることができるのです。&lt;br /&gt;　先ず、内閣不信任案に関する条文を紹介しましょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第６９条】&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;内閣&lt;/strong&gt;は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、１０日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここでの特徴は何といっても不信任案の決議権が&lt;strong&gt;「衆議院のみ」&lt;/strong&gt;にあるということです。&lt;br /&gt;　衆議院以外に権限はありません。&lt;br /&gt;　また、決議案は原則として&lt;strong&gt;「１会期中に１度」&lt;/strong&gt;しか出すことが出来ません。&lt;br /&gt;　これは会期制における慣例なのですが、これは「条文にない慣習法」であり、れっきとした「法」であります。&lt;br /&gt;　なお、信任決議案の否決および総辞職に過去の例が無いことは、我が国における議院内閣制及び会期制の特徴であります。&lt;br /&gt;　さて、第６９条による解散は、戦後４例あります。&lt;br /&gt;　１９４８年の第２次吉田内閣、１９５３年の第４次吉田内閣です。&lt;br /&gt;　これらは&lt;strong&gt;「馴れ合い解散」、「バカヤロー解散」&lt;/strong&gt;と言われています。&lt;br /&gt;　また、１９８０年の大平内閣、１９９３年の宮澤内閣です。&lt;br /&gt;　これらは&lt;strong&gt;「ハプニング解散」、「嘘つき解散」&lt;/strong&gt;と言われています。&lt;br /&gt;　一方、信任決議案は戦後３例ありますが、これらは全て可決されています。&lt;br /&gt;　１９５６年鳩山内閣、１９９２年宮澤内閣、２００８年福田内閣の３例ですが、鳩山内閣の信任決議案は撤回されており、実質的には２例であります。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;div align="center"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SmQtDe_rV9I/AAAAAAAAADI/AgxicLrKgKY/s1600-h/kyu-kantei.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 399px; DISPLAY: block; HEIGHT: 310px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5360458994360735698" border="0" alt="" src="http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SmQtDe_rV9I/AAAAAAAAADI/AgxicLrKgKY/s400/kyu-kantei.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;【竣工当時（昭和４年３月）の総理官邸・&lt;a href="http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2001/kanteiphoto.html"&gt;首相官邸&lt;/a&gt;より】　&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;　では、不信任案可決以外の場合の解散権に関する条文を紹介しましょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第７条】&lt;br /&gt;天皇は、&lt;strong&gt;内閣&lt;/strong&gt;の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。&lt;br /&gt;３．衆議院を解散すること。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これは天皇の国事行為であり、国事行為には国政上の権能はありません。&lt;br /&gt;　衆議院の解散は、&lt;strong&gt;内閣の助言と承認&lt;/strong&gt;によるもので、権限は内閣にあります。&lt;br /&gt;　なお、天皇陛下が外遊中の時などは、皇太子が国事行為を代行できると考えられています。&lt;br /&gt;　通常の衆議院解散は、この７条に基づいて選挙が行われるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　以上の２つの条文から、文言上の解散権は「内閣の専権事項」であります。&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;内閣は、内閣総理大臣とその他の国務大臣で組織されています。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　内閣が決めること、すなわち「閣議決定」は全員一致が原則で、１人でも反対すれば解散権は行使できないのです。&lt;br /&gt;　では、何故、解散権は&lt;strong&gt;「総理の専権事項」&lt;/strong&gt;と言われるのでしょう。&lt;br /&gt;　実は、総理は普通の大臣に対し、次のような権限を持っているからなのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【日本国憲法第６８条第２項】&lt;br /&gt;内閣総理大臣は、&lt;strong&gt;任意に&lt;/strong&gt;国務大臣を&lt;strong&gt;罷免&lt;/strong&gt;することができる。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;strong&gt;「任意に」&lt;/strong&gt;とあるように、総理はいつでも自由に普通の大臣の首を切ることができるのです。&lt;br /&gt;　従って、解散に反対する大臣などはクビにすれば済むだけのことなのです。&lt;br /&gt;　この規定があるからこそ、解散権の実質的権限は総理大臣にあるのです。&lt;br /&gt;　これが「総理の専権事項」の意味なのです。&lt;br /&gt;　罷免された最近の例としては、小泉純一郎元首相のいわゆる「郵政解散」に反対した島村宜伸元農水相です。&lt;br /&gt;　あの時、麻生太郎元総務大臣や中川昭一元経産大臣その他１名の閣僚が反対したのですが、罷免されたのは島村氏１人だけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SmQswjN9NxI/AAAAAAAAAC4/ymYURDvLw8k/s1600-h/kantei.jpg"&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 400px; DISPLAY: block; HEIGHT: 276px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5360458669076854546" border="0" alt="" src="http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SmQswjN9NxI/AAAAAAAAAC4/ymYURDvLw8k/s400/kantei.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div align="center"&gt;【現在の総理官邸・&lt;a href="http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2001/kanteiphoto.html"&gt;首相官邸&lt;/a&gt;より】&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかし、大臣の罷免というのは過去に数例しかありません。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　殆どが&lt;strong&gt;「辞表提出」&lt;/strong&gt;によって大臣が交代しています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　確かに憲法上、総理は大臣のクビを自由自在に切れるのですが、実はそう簡単に切れるものではないのです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　というのは、大臣の罷免には憲法上、天皇の&lt;strong&gt;認証&lt;/strong&gt;が必要であり、この&lt;strong&gt;「罷免と認証の時間差」&lt;/strong&gt;が国家危機管理の上で、大臣の罷免を非常に厄介なものにしているのです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　つまり、これは「憲法の欠陥」であります。　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　この具体的内容については今回触れませんが、要するに&lt;strong&gt;「辞任なら認証不要」&lt;/strong&gt;ということで憲法の欠陥を補ってるだけで、過去の大臣はほとんど&lt;strong&gt;「実質的には罷免されている」&lt;/strong&gt;のです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　 &lt;/div&gt;&lt;div&gt;　ところで、「いつ」、「いかなる場合に」解散出来ないのかが問題です。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　いわゆる&lt;strong&gt;解散権の制限&lt;/strong&gt;についての明文規定は憲法にはありません。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　一応、本予算案および補正予算案の審議や重要法案の審議などの間は差し控えるべきと考えられています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　もっとも、解散権行使を違憲として解散無効の確認を求める裁判は過去に何度かありました。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　しかしいずれも裁判所は、&lt;strong&gt;「解散権は内閣の専らの政治的裁量に委ねられるものであり、司法審査に馴染まない」&lt;/strong&gt;と判断しています。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　法律用語ではこれを「統治行為論」といいます。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　このような裁判所の判断が妥当か否かは別として、裁判所が積極的な判断を回避する以上、解散権制限の法的解釈を司法に頼る意味はなさそうです。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　因みに私は、この裁判所の判断は妥当と考える立場であります。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　たとえ総理に解散権があっても、総理が「K．Y．」、即ち「国民が読めない」、「解散が読めない」ようでは解散権の値打ちはありません。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　そう遠くない日の選挙結果はどうなるのか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　政権交代が実現するか否か。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　どの政党が「国民的合意を獲得」するか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;　私は投票先を既に決めてます。&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6845872322388289602-4783559240800428887?l=funakoshijimusyo.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/feeds/4783559240800428887/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/07/blog-post_20.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4783559240800428887'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6845872322388289602/posts/default/4783559240800428887'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://funakoshijimusyo.blogspot.com/2009/07/blog-post_20.html' title='総理の専権事項'/><author><name>士書政行</name><uri>http://www.blogger.com/profile/09799385193496120864</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='32' height='27' src='http://2.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/Sk28oRadf3I/AAAAAAAAAA4/ExvSJY9MFA4/S220/image003.jpg'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_GZp3ZakOpdU/SmQtDe_rV9I/AAAAAAAAADI/AgxicLrKgKY/s72-c/kyu-kantei.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6845872322388289602.post-6315389845248134601</id><published>2009-07-15T10:35:00.007+09:00</published><updated>2009-07-15T11:12:17.605+09:00</updated><title type='text'>そして幸せの追求</title><content type='html'>　前回・前々回において、幸福追求権の元々の意味は私有財産権であり、その淵源は労働であることを説明してきました。&lt;br /&gt;　もう一度、日本国憲法第１３条を引用します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【 日本国憲法第１３条】&lt;br /&gt;すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び&lt;strong&gt;幸福追求&lt;/strong&gt;に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私有財産権は、他人であれ、国家であれ、干渉を許さない権利であります。&lt;br /&gt;　これを「絶対的排他的権利」といいます。&lt;br /&gt;　絶対的排他的権利は、長い歴史の発展とともにその具体的内容や性質も発展し、権利に「広がり」を見せてきたのです。&lt;br /&gt;　この歴史的発達の重要性といった観点から、既存の権利に限らず、将来も「新しい権利」が絶対的排他的権利として「広がりうる」と考えるのは、ある意味当然のことであります。&lt;br /&gt;　結論から言えば、この&lt;strong&gt;「新しい権利への広がり」&lt;/strong&gt;というのが幸福追求権の意味なのです。&lt;br /&gt;　これは「独立宣言」および「アメリカ合衆国憲法修正第９条」に明記されています。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;【独立宣言（抜粋）】&lt;br /&gt;すべての人間は平等につくられている。創造主によって、生存、自由そして&lt;strong&gt;幸福の追求&lt;/strong&gt;を含むある侵すべからざる権利を与えられている。&lt;br /&gt;【修正第９条】&lt;br /&gt;この憲法に一定の権利を列挙したことを根拠に、人民の保有する他の諸権利を否定し、または軽視したものと解釈してはならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　一定の権利の列挙、即ち既存の権利というのは、合衆国憲法修正第１条から第１０条に規定されている諸々の権利のことです。&lt;br /&gt;　信教の自由・思想の自由・表現の自由・住居不可侵権などなどで、日本国憲法にも明記されています。&lt;br /&gt;　この修正第１条から第１０条までの修正条項は&lt;strong&gt;「権利章典」&lt;/strong&gt;と呼ばれています。&lt;br /&gt;　１７９１年に
